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2012/08/28

安定し持っている物が多い人ほど閉塞感を感じ、不安定でも時間と自活能力がある人は輝いている

みどり荘 目黒区青葉台の高級住宅地にありながら、豪邸よりも不思議と輝いている

■「自分の人生」と「他人の人生」

「自分の人生」を生きてる人は、「決定権」を自分で握っています。どんな仕事を誰とするのか?どこに住むのか?どう時間を使うのか?の決定権を持っています。

一方で、「他人の人生」を生きるとは、判断基準を「社会のものさし」にし、言い訳をしながら、決定権を使わずに受動的に選択を行っている生き方です。

「他人の人生を生きる」人にとって、一番の言い訳は「不安定な状態・どうなるかわからないものを選べない」ということでしょう。

しかし、「自分の人生」を生きている人たちにとっても条件は同じです。視点が違うだけです。「一年後、どうなっているかわからない」という不安と「一年後、新しい計画を立てられる」という可能性は表裏一体です。

■「自分の人生」を生きたければ、チャンスを失わない状態に

目の前にあるチャンスを掴みたいのに、自分の今持っている権利や待遇を手放すのが嫌で、見逃してしまう人がいます。これは、やっぱりもったいない。

だから、チャンスを掴むために、僕がオススメしているのは「普段から自分の損益分岐点を低くしておくこと」


固定費を低くして、収入に合わせて自分の生活をコントロールできる自信があったら、みすみすチャンスを見逃す必要はなくなる。

(別に貧乏に生きろというメッセージしているわけではなく、チャンスを掴めるだけの準備をしとけという意味です。数年間やっていけるキャッシュがあることもチャレンジには有効です)

会社からの給与を前提とした生活設計と、それに基づいて楽観的に組んだ住宅ローンは自分を縛り付ける「高い損益分岐点」をつくってしまう。フットワークが重くなるような選択をしないことが、機会損失をしない状態作りでは大事です。


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上で書いたような考えに惹かれるのはどうやら僕だけではないようだ。

自分の人生を生きるために、消費依存社会のあり方に疑問を抱き、自分で創ることで愉快に生きていくことを実践している人たちがいる。

アバンギャルドな取り組みが書かれている下記二冊の販売が好調なのを見ていると、現在の消費依存社会への「閉塞感」を感じている人が多いようだ。

独立国家のつくりかた/坂口恭平(著)


ナリワイをつくる/伊藤洋志(著)



二人に共通しているのは、「マイホーム」という世間で言う大きな買い物の意義を疑っていること。現代社会をサバイブするためには必ずしもお金が必要ではないと考えていること。

共通するメッセージは以下のようなものだ。
「買わなくても、創れる」を実践している人たち、手に職を持った仲間のネットワークを持っている人たちは強い。 

なぜなら、買わないと必要な物が手に入らない人、自活技能を持った仲間がまわりにいない人は、市場で必要な物・スキルを手に入れなければならなくなる。その分だけ、生きるためにお金が必要になるから。

安定し持っている物が多い人ほど閉塞感を感じ、不安定でも時間と自活能力がある人は輝いている。この現象をどう考えたらいいのだろうか?

昔への憬れ? 高度経済社会への反動? それとも進化だろうか?


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2012/08/19

「都市と消費とディズニーの夢」グローバル化する世界、ショッピングモール化する社会




速水健朗さんの『都市と消費とディズニーの夢をお盆休みの飛行機の中で読みました。そのせいもあって、ショッピングモール化・テーマパーク化する空港の現実を目の当たりに感じながら、今後の都市の在り方、Web上で起きていることとの類似性についてぐるぐると考えることができました。

無視できない存在なのに軽んじられている「ショッピングモール」の歴史・現状・競争原理などが書かれている本です。新書のため文章量も多くはないのですが、都市好きやコミュニケーション・消費などに関しての仕事をしている人には、多くのアイデアを与えてくれる本だと思います。


以下、僕が考えさせられた部分のメモを箇条書きに列挙しておきます。

1:目的型から滞留型へ。Webとの類似性

検索エンジン主導線から、滞留型サイトからの導線が主流に変わってきたwebとの類似性がショッピングモールでもとっくにたどった道だった。人間中心に考えた場合、顕在化したものから潜在的なものを発見する喜びに移行してくるのは自然な流れなのだろう。

・1970年の時点で、フランスの批評家のジャン・ボードリヤールはショッピングモールを「未来都市の規模にまで拡大されたドラッグストア」と評しています 
・彼は、百貨店とショッピングモールの違いをこう説明します。百貨店はあくまで「現代的消費財」を売る場所であり、目的を持って歩き回ることができる空間であるが、モールは「多様な消費活動の綜合を実現する」空間であるといいます 
・「綜合」される「多様な消費活動」とは、日々の食料品から生活の知恵から、映画から家族での食事まで、商品に限らない「多様」な消費財が「万華鏡式」に「混合されている」状態を指しています 
・つまり、人々がショッピングモールで消費する物とは、余暇や機会といったものになっているということです 
・1970年代以降のショッピングモールとは、金銭消費型から滞在・滞留型へと進化します。つまりは、消費をするために集まった人びとにお金を使わせることが、本来のモールの消費の在り方でしたが、70~80年代のモールは、足を運んだ人に消費の機会を突きつけるというものに変化したのです

2:ショッピングモール族という世界共通のトライブ

国や宗教よりも属性の違いのほうが、見ている世界を規定しています。ショッピングモールを訪れる人たちと、バックパッカーの見ている世界は異なる。地元のクリエイティブピープルが出入りする場所と、観光客向けのたまり場も異なっています。(フォロワーや知人によって、接触する情報が異なるSNSとの類似性)


・批評家の東浩紀は、リゾート地のショッピングモールで見かけるクロックスの合成樹脂の靴を履いた子どもを連れた人びとの存在に触れています。 
・彼らクロックスピープルは、人種も文化も使用言語も宗教もばらばらです。彼らは富裕層ではありません。東は「異国のリゾート地で過ごすていどの経済力を備えたグルーバルな上層中流階級」と彼らを名付け、「ショッピングという共通言語」が彼らを深く結びつけているのだと指摘します。言い換えると「ショッピングが支えるグローバルな階級意識」ということになります。


3:プラットフォームとしてのモール、コンテンツとしてのテナント、コンセプトとしてのテーマパーク

都心の経済価値の高い土地を有効活用しようとすると、その要請に応えられるのは「ショッピングモール」となる。共通のプラットフォームの中に、コンテンツとしての店子が入り、店子を入れるコンセプトであるテーマによって差別化されていく。

ショッピングモールの話をしているのか、オンライン上のメディアの話をしているのか、わからなくなります。人を集め賑わいの場所をつくることにはオンライン・オフライン関係なく共通点があります。

ちなみに、この本にはメディア企業であるテレビ局がモール化している現状も書かれてあります。核テナントをフジテレビとした「お台場」、テレビ朝日と「六本木ヒルズ」、日本テレビと「汐留」、TBSと「赤坂サカス」・・・。


4:ショッピングモールと都市の生態系

中に入る人を制限して安全を担保するゲイテッドシティ、自動車を地下して安全に歩ける街、職住隣接させて利便性を極めた場合に生まれてくるショッピングモール都市。ウォルト・ディズニーが最期に構想していた夢の国だそうです。


・彼(ウォルト・ディズニー)の構想していた都市には、EPCOTというプロジェクトコードがついていました。これは“実験未来都市”(Experimental Prototype Community of Tomorrow)の略です 
・EPCOTは、中心から等距離の同心円状に拡がり、商業地区と居住地区が分離(さらに居住地区は、高密度と低密度に分かれている)され、それぞれの層をモノレールが結んでいました。人々が乗る自動車やゴミ収集車など、都市の維持に欠かせないクルマは都市の表面から閉め出され、地下に走らせた道路を通ることになっています。化石燃料を消費し、二酸化炭素を吐くクルマは、この都市ではバックヤードに追いやられているのです。そうすることで、交通事故は激減し、人々は都市の表面で安心して暮らすことができるというアイデアが込められています

都市の課題を解決するために生まれたものがショッピングモールであり、さらに経済効率的にも支持されたからこそ、ここまで広がったプラットフォームであるわけです。

実際、新興都市にはショッピングモール都市といえるような場所が多々あります。しかし、今あるショッピングモール都市には必ず別の生態系も共存しているからこそ、うまく成り立っているように感じます。

ショッピングモールを活用する層と、それとは別の生態系であるクリエイティブ層、そして中間所得層に憧れる層があってはじめて今の都市の生態系が成り立っています。

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ちょっと前に、以下のようなtweetをしたのですが、まさにこの分野が、自分が深掘りして考えておきたい分野です。


もっと世界で起きていることを見たいし、都市の住人に起きていることを見たい。そこには、これからを生きるヒントがたくさん隠れているから。





都市と消費とディズニーの夢
ショッピングモーーライゼーションの時代/速水健朗

目次
まえがき

第一章 競争原理と都市
コインパーキングによって変わった街の風景
都市のすき間を埋めるビジネス
公共施設にスターバックスができる理由
病院にカフェが増えるメリットとは
サービスエリアの民営化による変化
競争原理のもうひとつの側面
東京駅、羽田国際ターミナル、東京スカイツリー
ステーションシティ化とは何か?
空港民営化時代の競争戦略とテーマパーク化
東京スカイツリーとショッピングモール
グランドゼロの教訓と都市の創造者
最適化する都市=ショッピングモーライゼーション
六本木ヒルズはショッピングモールか?
商店街の衰退について回るウソについて
社会学から見たショッピングモール批判
まちづくりとコミュニティデザインブームへの違和感

第二章 ショッピングモールの思想
ディズニーの最後の夢とショッピングモール
ウォルトの最初の“夢の王国”
都市の夢と20世紀初頭の偉人たち
鉄道マニアの果てに
東西冷戦とノスタルジー
保守主義者・愛国主義者のウォルト
“夢の国”の誕生
テーマパークとは何か?
テーマパークと物語の導入
アメリカにとっての建国物語である西部開拓史
「トイ・ストーリー」に示された二つのフロンティア
ディズニーランドの視覚効果
ディズニーランドの次の夢
ウォルトの死によって完成しなかった都市
犯罪ゼロの理想的都市EPCOT
1950年代の大都市の荒廃
ショッピングモールの父、ビクター・グルーエン
ショッピングモールと田園都市

第三章 ショッピングモールの歴史
街と消費のかかわり、パサージュから百貨店へ
スーパーマーケットの登場
黎明期のショッピングモール
現代のショッピングモールの原型の誕生
モータリゼーションからスーパーハイウェイへ
ルート66の廃線とアメリカ人のノスタルジー
「カーズ」で描かれるアメリカ道路行政の転換点
アメリカ的生活とショッピングモール
「シザーハンズ」とニュータウンの共同性
「シザーハンズ」と郊外生活者のディストピア
公共性を帯びていく60年代のモール
モールに対する反発と批判の1960年代
映画「ゾンビ」のショッピングモールの様式
人はゾンビになっても消費から逃れられない
ゲイテッドスペースとしてのモール
モールの手法を用いた都心の再開発が始まった1970年代
観光地と結びつくモール
複合プロジェクト型再開発時代の始まり
映画「ターミネーター2」とダウンタウンモール
サンディエゴの都市再開発とジャーディ
アメリカダウンタウンのモーライゼーション
ボードリヤールのモールへの予言

第四章 都心・観光・ショッピングモーライゼーション
東京近郊高級住宅街の現在
緑と明るい空間に太陽光が差すモール
戦後のニュータウンと戦前の郊外住宅
鉄道会社主体の都市計画
多摩田園都市というニュータウンの誕生
中流階級台頭とモールの普及
モールとデパートの違い

【自動車時代のショッピングモール ららぽーとTOKYO-BAY】
日本版本格的郊外型ショッピングモールの登場
船橋ヘルスセンターと東京ディズニーランドの共通点
モール=ハードウェア、テナント=コンテンツ
ショッピングモールにとっての優良コンテンツ

【観光地とショッピングモール】
アミューズメントパークとモール
ラスベガスのショッピングモーライゼーション
ジャーディとラスベガス
モール、テーマパーク“シティ”への環境変化

【1990年代の日本のショッピングモール状況】
1990年代以降の日本のモール急増
日本版ダウンタウンモール
代官山モーライゼーション
都市とコンテンツ、モール化するテレビ局

【グローバル化とモールの関係】
訪日観光客で変わる街
観光客はショッピングモールを目指す
世界のモール化する観光地
クアラルンプールのショッピングモール
観光都市という視点
ショッピングモーライゼーションがもたらすもの

あとがき

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2012/08/06

23年前に黒川紀章さんが書いた「ノマドの予言書」を今こそ読むべき

故・黒川紀章

都市を計画したり、多くの人が使う建物を設計する建築家にはビジョナリーであることが求められる。

2007年に亡くなった建築家の黒川紀章さんは、間違いなくビジョナリーの一人だった。多くの人にとっては、都知事選出馬やバラエティ番組によって「変わった人」という印象だけが強くなってしまっているのが、大変残念である。

その中で、1989年に出版された「ノマドの時代 情報化社会のライフスタイル」は、まさしく先見の明があったことを証明する書籍でしょう。

ノマドという言葉が新しかったため、書名にも「新遊牧騎馬民族」とルビがふってある。この本で書かれているのは、ノマドというムーブメントを予測だけでなく、21世紀への3つのキーワードは「騎馬民族(ノマド)」「江戸」「情報化社会」と明言している。

以下の目次を眺めていただければ想像できるように、リチャード・フロリダなどが提唱している「クリエイティブ都市」としてのあり方について書かれている。


<
目次>
序章 新騎馬民族とは
1章   騎馬民族のライフスタイル
2章   情報都市−江戸
3章   江戸を見る目
4章   江戸は“旅”の時代だった−巡礼の道
5章   江戸のホモ・モーベンスと講−伊勢参り
6章  「過密」こそ情報を生む−江戸の情報網
7章   西欧の「広場」と東洋の「道」
8章   環の思想
9章   ネットワークの時代
10章  江戸の時間コミュニティ
11章  情報のダブル・コード−受けつつ送る
12章 「高密都市」の情報マッサージ
13章  演劇空間都市
終章  情報化社会と情報都市


本文からちょっとピックアップするだけで、我々がネットで議論していることがこの古いテキストにそのまま現れてくる。


人材と情報が集中するオアシスでこそ強い都市になる
集積回路としての都市の舞台だから、移動空間を情報空間にする
アドホックなグループコミュニティが成立する、ノマドの時代の人間関係
高密都市だから持てる、フェイス・トゥ・フェイスの口コミュニケーション
ものから関係への情報化社会
均質なイコン社会から、多様な個の関係の社会に変わる
ダブルバインドが情報化社会を生きる「新騎馬民族」のキーワード
情報化社会はシンボリズムの時代
農耕・工業化社会の掟から人類の解放をめざす「新遊牧騎馬民族」
ハイブリッドで多種多様体な異質文化が共生するノマドの時代
・・・


すでに絶版になっている書籍なので、中古で入手するしかないのが非常に残念だが、間違いなく「今こそ」読むべき本。夏休みにじっくり読んで、個人と都市、今後の社会予測などにじっくり向き合うのに最適なテキストだと思う。




関連記事:「ノマド論に対して、会社員とフリーが対立することの不毛さ。


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