最初は斬新なブランドだったとしても規模が大きくなるにつれ、陳腐化することと戦わなくちゃいけない。
こんなことを思ったのが、家の近所である池尻の裏道にinspired by Starbucksが出店準備をしているのを見つけたから。その前には同じく近所の代沢にも店舗ができていました。(どうやら玉川三丁目、北沢五丁目につづき三店舗目?)
inspired by Starbucksはスターバックスの新業態で、“Your Neighborhood & Coffee”と銘打ち、まるで今流行のサードウェーブコーヒーのショップのような店舗コンセプト。
出店エリアもチェーン店が出店しないような場所、大通りから一歩入った場所。お酒も出すし、コーヒーもハンドドリップなどで入れるためメニューも通常のお店とは異なります。
スターバックスもいまではすっかりマスブランド。海外では"starbucked"と過去形で呼ばれることもあるらしい。もともとはアメリカのコーヒー文化に新しいものを持ち込んだ“尖った“ブランドだったが、成長し巨大化することでいつのまにか陳腐化してしまうもの。自分たちが当たり前を作ってしまい、ありふれてしまったから。
そうすると、新たにより“尖った”価値を提供する挑戦者に追い立てられるようになります。そういったときに、危機感を持って“尖った”側のものを取り込めるのか? 自分たちをアグレッシブな側にいつづけることを選べるのか?
スターバックスは、自分たちのブランドが陳腐化しないように、チャレンジャーと同じ価値を提供するコンセプトにも挑戦することを選んだのでしょうか。(サブブランドでであっても)。それとも新たな白地への出店計画としてのサブブランドというだけなのでしょうか。そのあたりの思惑はわかりません。
■
翻って、この教訓は個人にとっても言えることだと思います。自分が陳腐化しないように、常に新しいチャレンジを取り込んでいく。片足を既存のものに置きながら、未来のために新しい挑戦を仕込んでおく。大きなブランドでさえ、こうやってチャレンジしているのだから、小回りが効く個人ならなおさら忘れちゃいけないよなぁ。
RSSリーダーで購読する
にほんブログ村
グローバル サイトタグ(gtag.js)
2014/02/26
2014/02/20
「努力の目利き」ができるようになるには? 情報収集環境が整った分、自分の頭で考えることがより重要に。
「努力について回る高度経済成長期の呪い−シロクマの屑籠」というエントリーを読んでいて、「ああ、言っちゃったぁw」と言葉を漏らしてしまいました。そのぐらい、事実として自分たちのいる時代×場所を冷静に把握しているエントリーだと思いました。
誰のアドバイスを聞くべきなのか?誰をロールモデルとすべきなのか?どこに山を張るべきなのか?ちゃんと見極めなくちゃいけない。それこそが生きる上での選択ってものです。
---
さて、ここからが本題。上にも書いてあるように「努力の目利き」が必要な時代。この「努力の目利き」ってどうやったら手に入れられるのでしょうか?
・二世代以上上の世代や混乱期にのし上がってきた人、海外など環境の異なる場所に飛び込んでもがいた人などにあたりをつけて、話を聞いたりネット上で情報を集めるなどの情報収集・調査能力
・ヒアリングした内容を普遍性を持った教訓に昇華した上で、自分の状況に照らしあわせた場合に何ができるかを考えられる応用力
実行する前の「努力の目利き」時点で、これだけのアクティブな情報収集能力が必要となります。というか、これに数値で示して説得していくプレゼン能力とか加えていったら、まるでコンサルですw
奇しくも、この情報収集部分はインターネットにより効率的に、LCCなどによって移動コストが下がったおかげで、先進国ではある程度万人が利用できる環境にあります。だからこそ、どこにアンテナを立てて調査をしていくことが「センス」というワードがしっくりくるのだと思います。
他の人より圧倒的に秀でた才能があって、それを自分としてもやらざるをえない人以外は、自分の欲求を言葉にしながら、その欲求とマッチングできる市場を探す必要があるのです。
まさに自己判断の時代。情報だけ集めても自分の頭で考えられないと意味がない時代。ちゃんと考えずに誰かさんの真似しようぐらいのフラフラとした意思決定は命取り。努力する前にちゃんと調査して、戦略を考える。個人の生き方にも虎視眈々と戦略を、と本気で思っています。
関連エントリー:「会社や組織の戦略は練るのに、自分のライフ戦略が後回しではもったいない。」
RSSリーダーで購読する
にほんブログ村
努力の“目利き”がきかない人間には、努力の成果が実感しにくい時代がやってきた。いや、元に戻ったというべきか。どんな人間もエスカレーターに乗って上昇できる時代のほうが、どこかおかしい。
にもかかわらず、世の多数派を占めているのも、発言力のあるポジションを占めているのも、エスカレーターに乗っていた世代だ。彼らは自分達の実体験をもとに、「努力すれば必ず報われる」と発言する。いや、発言しないとしても、価値観や規範意識として、無意識のレベルに染みこんでいれば、そのような価値規範は言動の端々に現れる。
誰のアドバイスを聞くべきなのか?誰をロールモデルとすべきなのか?どこに山を張るべきなのか?ちゃんと見極めなくちゃいけない。それこそが生きる上での選択ってものです。
---
さて、ここからが本題。上にも書いてあるように「努力の目利き」が必要な時代。この「努力の目利き」ってどうやったら手に入れられるのでしょうか?
・二世代以上上の世代や混乱期にのし上がってきた人、海外など環境の異なる場所に飛び込んでもがいた人などにあたりをつけて、話を聞いたりネット上で情報を集めるなどの情報収集・調査能力
・ヒアリングした内容を普遍性を持った教訓に昇華した上で、自分の状況に照らしあわせた場合に何ができるかを考えられる応用力
実行する前の「努力の目利き」時点で、これだけのアクティブな情報収集能力が必要となります。というか、これに数値で示して説得していくプレゼン能力とか加えていったら、まるでコンサルですw
奇しくも、この情報収集部分はインターネットにより効率的に、LCCなどによって移動コストが下がったおかげで、先進国ではある程度万人が利用できる環境にあります。だからこそ、どこにアンテナを立てて調査をしていくことが「センス」というワードがしっくりくるのだと思います。
他の人より圧倒的に秀でた才能があって、それを自分としてもやらざるをえない人以外は、自分の欲求を言葉にしながら、その欲求とマッチングできる市場を探す必要があるのです。
まさに自己判断の時代。情報だけ集めても自分の頭で考えられないと意味がない時代。ちゃんと考えずに誰かさんの真似しようぐらいのフラフラとした意思決定は命取り。努力する前にちゃんと調査して、戦略を考える。個人の生き方にも虎視眈々と戦略を、と本気で思っています。
関連エントリー:「会社や組織の戦略は練るのに、自分のライフ戦略が後回しではもったいない。」
RSSリーダーで購読する
にほんブログ村
2014/02/13
「自分でコントロールできる時間が増える」とパフォーマンスが上がるというシンプルな仮説。
時間の裁量は、時間に余裕があるか?とかゆったりできているのか?ということではない。多忙だって人生を楽しんでいる人は沢山いるし、暇だからといって幸せなわけではない。
じゃあ何が違うのかというと、「活動時間に占める自分のやりたいことをやっている時間比率」だろう。
自分で自分の時間に裁量権を持ちやすいのが、インディペンデントな働き方をしている人や、起業をしている人。一方で組織に勤めていると分業やしがらみの中で、時間の裁量権を持ちづらいという傾向は間違いなく存在している。
もちろん、企業内にいても「自分でコントロールできる時間」を増やす工夫はできるし、組織から出て自分でやっている人にも「自分でコントロールできる時間」を有効に使えていない人もいる。
あくまで傾向として考えていくと(自分の経験も含めて)、大きな組織に属している人には、その時間をどんどん他の人からのアポイントや会議でびっしり埋まってしまう。
自分の部署の戦略を考えたり、来期に向けた仕掛けを行ったりする時間はちゃんと存在するし、自分で受けたい社外研修を受けにいったり、話を聞きたい人にヒアリングに出かけたりも「自分のやりたいことをやっている時間」に当てはまる。会社員にとっても至福の時間と言ってもいいだろう。
とはいえ、この時間に対して圧倒的に組織システムに占有される時間が多くなってしまう。
部下の査定のための時間、定例会議という名前のたくさんの「定例」化することでの安心感、会議を招集する人の手間を省くために半年先、一年先まで押さえられている会議・・・。
それがインディペンデントな働き方や起業をしている人は、“定例に支配される”流れからは無縁になってくる。必要なのか不必要なのかをジャッジして、選んでいくことが当たり前だからだ。
そうすると、「自分でコントロールできる時間」を持っている人たちは、昼間だろうが、平日だろうが、どんどん未来へ向けた打ち合わせを行うことができる。面白そうだと思ったことを、共有したり、企んだりすることができる。
この違いはすごく大きいじゃないかなぁ。
こちら側にいる人たちも、同じように忙しいかもしれない。
けれども、その忙しさは自ら望んだスケジュールや未来へ向けた仕込みのための愉しい時間によって忙しいのだ。
仕事へのパフォーマンスや充実感の違いは、実は、この「自分でコントロールできる時間」で決まってくるんじゃないのかなぁ?
そんなことを書いている僕には「育児」という定例が。。。いや、これも大事な未来へ向けた取り組みですよ!(キリッ)。
RSSリーダーで購読する
にほんブログ村
2014/02/06
自分のプロジェクト持っていますか? Narrativeな起業、ストーリーのある事業づくり。
現在、自由大学で新しく始めようと思っている「起業系」の講義を準備中です。
起業系というといわゆる“スタートアップ”的なIT系のイメージがしてしまうと思うのですが、そうではなく“自由大学らしい”そして“僕が伝えたい”起業とは何なのかを考えています。
以前にもこのBlogに書いたかもしれませんが、「自分が提供する価値や疑問に従って起業をするということは、その人のストーリーでありビジネスモデルではない」と考えています。ビジネスモデルなら誰でもできるけれど、ストーリーがあるものはその人がやる必要性がある。海外では「ナラティブ(Narrative)」という単語で呼ばれている。
そして僕が、わざわざ「起業」のプログラムを作ろうとしているのも、自分が幼少の頃に自営業の中で育った原体験があるからこそ。自分たちで商売をしている大人たちは、仕事も好奇心むき出しで、まるで遊びのように楽しみながらもがく姿を見てきたからだと思っています。
自分のストーリーに則った商売をしている愉しい大人が増えたら社会はまだまだ面白くなるよなぁ、という気持ちが僕の中にあるからです。
自由大学でずっとやってきている脱藩学でも、おじいさんやおばあさんのやってきた仕事までさかのぼって、ヒアリングしてくる宿題を出しています。だいたいそこまで戻ると、個人事業を経験している人が出てきます。
いつのまにか、起業=遠い世界の出来事、特別な人がすること、という概念が広まっていますが、昔はそんなことなかったはず。そして、自分の生きている時間を何に使うかを考えた場合に、マイプロジェクトとして主体的にチャレンジするストーリーを作って欲しいと思っています。
もちろん、企業内でチャレンジしてもいいし、外でもいいと思っています。自分が生きてきたストーリーや思想をちゃんと次世代に見せられるようになりたいですからね。
規模の大小ではなく、ちゃんと想いがあって自分の人生の時間を費やしてきたかを語れるかが重要なんだろうなぁ。そんなことを考えている昨今です。
あ、あと肝心の起業系の講座ですが、座学だけはつまらないので実際にいろいろ現実に動いているプロジェクトに参加してもらうことで、僕らのビジネス現場を体験してもらう仕組みも作ろうと思っています。習うより慣れろ、でね。
■関連エントリー
・「職業は、自分で作っていいんだよ。」
・「$100STARTUP」他人から相談・質問されることが自分の食える分野
RSSリーダーで購読する
にほんブログ村
登録:
投稿 (Atom)