どうしてこんなことを考えているのかというと、歴史を鑑みてもイノベーションが起こるのは、異文化がぶつかる場所だからだ。
西欧社会から失われていた古代ギリシャの文明や科学を、アラビア世界経由で再発見した時代。宗教的な違いや言語の違いを超えて、アラビアに真実の学問があると学んだ人々。そして、イベリア半島などの文化がぶつかる地点の重要さが書かれている。
音楽だってそうだ。
レゲエがジャマイカで生まれたのは奴隷として運ばれた人の文化と、アメリカから入るラジオの音楽という文化が影響しあって新しい音楽が生まれたと言われている。ジャズにしろ、ヒップホップにしても、文化が出会って生まれてきた。
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異文化が出会う場所は、地政学的にみると、港町が多かった。外国の船がやってきて、新しいものが持ち込まれる。そこに集まるのは、交易を商売にする商人など“差”がビジネスになると気がついていた人々だ。だからこそ、“差”を排除して安定を求めるよりも、“差”を面白がって売り出すほうに自然と向かった。
そう。重要なのは“異文化が出会う場所”では、新しいものに触れてインスパイアされる環境があり、そしてそこから生まれたものを面白がる環境の2つが同時に存在していた。
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さて、元の問いに戻ろう。「今、異文化がぶつかり、新しいものが生まれる場所はどこなんだろう?」
ネットの中だと思う人もいるかもしれない。しかし、僕は違うと思う。いくらネットで情報交換が行えるようになったとしても、リアルの社会に偏った場所にはかなわない。なぜなら、新しいものにインスパイアされる出会いは“顕在化”しているものではない。だからこそ、出会い頭で、ショックのような感情を揺り動かす体験が伴い、新しい創作意欲が湧いてくる。顕在化してないから、検索して出会うわけにはいかない。
ネットは、すでに見つけた道を掘り下げていくときには、非常にいいツールだ。だけど、自分に影響を与えてくれる新しい道を見つけるようなランダム性は偶発性はリアル社会のほうが強い。
今、異文化が出会い、新しいものを受け入れる環境にあるのは以下のような場所だ。
1:経済的に成功チャンスが高まるプラットフォームを持った都市(ニューヨークや上海、シリコンバレー、最近ではオースティンとかも。アジアの新興国の都市もここに入る)
昔、交易で栄えた都市が担っていたのと同じく、今でも経済的なチャンスがある都市には、世界中から人が集まり、異文化が出会い、それを商売とする人が現れる。この都市の位置づけを都市は競っているし、世界中からタレントを集めるの戦いが行われている。
東京は、1のポジションを取るだけの経済的なポテンシャルも規模もあるけれども、新しいものを受け入れる“受容態度”に問題があることで、大きな損失をしているような気がしてならない。
2:経済都市としての魅力が相対的に低い分、馬鹿者にチャンスが与えられる地方都市(デトロイトや日本の地方都市。経済的なものではなく、自然など人を引きつけるものがある場所)
一方で、全く逆の動きもある。廃れてしまったことにより、隙間が生まれ、経済的な負担の必要性が低く、新しいことを仕掛けたい人があえて集まる場所もある。合理的ではない判断で、自然や人に惹かれてやってくる少数のタレント同士が化学反応を起こすことで新しいものが生まれてくる場合である。当事者たちはまったく意識していないでしょうが、ある種のリバースイノベーション(※)なのかもしれない。
※これまでのグローカリゼーションが、先進国で製品開発を行い、その商品をマイナーチェンジした廉価版を新興国向けに投入してきたのに対し、リバース・イノベーションでは、新興国市場に合った商品を一から生み出す「イノベーション」を行い、その商品をリバース(逆戻り=逆流)させ、先進国に投入する
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もちろん、こういうことを考えているのは、自分が今いる場所が“化学反応が起こる場所”なのかを気にしているからだ。せっかくなら、異文化がぶつかって、その差異を認め合い楽しめる世界のほうにいたいから。
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