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2014/03/31
“もうスーツなんか着ている余裕はない”という世界
ここのところ、まったく違う観点で服装について書かれたエントリーが目に留まりました。
学生のための「ドレスコード」入門〜「面接は私服でOK」の本当の意味:大石哲之のノマド研究所
NYで流行ってるらしい「Normcore」(究極の普通)とはなんぞ - Pebbles
前者は、服装はTPOに合わせて(ドレスコードに合わせて)選択するというルールについて説明し、だからこそ面接はビジネスモードで行くということ。
後者は、“既存のファッショナブルさに対する懐疑、快適さ重視のスタイルの肯定”として、ファッショナブルな人ほど“普通の格好”をしているトレンドについてとりあげています。
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依然として多くの仕事は、ビジネスというコードが存在しています。就職するというのは、まだまだそういった世界です。(前者の記事の世界)
一方で俯瞰的に世界で起こっていることを見ていると、スーツを着て、デスクに座ってできる“定型的”で“説明責任の強い”仕事や、“ハイファッション着て、パーティに出て自分の村で仲良くやっていればいい”仕事がどんどん減っていき、カジュアルに動いて頭つかって汗かいて生み出さなくちゃ、生き残っていけなくなっているという現象もあります。(後者の記事の世界)
だからこそ、従来通りのホワイトカラー的な世界を目指すには、狭き門を勝ち残ることが必要になります。一方で、後者の世界で生きていくためには、もうスーツなんか着ている余裕はないのです。
スーツというコードに代表される社会ルールや業界ルールを守っていれば弾き飛ばされない世界よりも、服装がカジュアルで自由そうな世界のほうが、より厳しい環境なのだと思います。
もちろん、これからのことを考えると、カジュアルの世界でも生きていく力を身につけておいたほうが、スーツの世界でも活躍できるチャンスは増えるでしょう。
もうみんな平等にそこそこ楽できる時代は長くはありません。カジュアルな世界は、社会のコードよりも、自分自身のライフスタイルや価値観が問われる世界。自由には責任が伴う世界。残された時間は、あと10年ぐらいだろうか?それとも…。
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