グローバル サイトタグ(gtag.js)

2011/02/28

異文化がぶつかることで、新しいものが生まれる

以前、このblogで「ルネサンス三大発明から考える現代の三大発明は?」という記事を書いたところ、読んで頂いた方から、12世紀ルネサンスという本を紹介いただきました。



この本に刺激されて、このエントリーを書いています。
12世紀ルネサンスは、本当に知的刺激が得られる素晴らしい本でした。

一言で言えば、「異文化がぶつかるときに、新しいものが生まれる」ということを歴史的に実証している本と言えると思います。

西欧社会から失われていた古代ギリシャの文明や科学を、アラビア世界経由で再発見した時代。宗教的な違いや言語の違いなどを超えて、アラビアに学んだ人々の功績。そして、イベリア半島などの文化がぶつかる地点の重要さなど、今にも通じることがたくさんあります。

個人的に言っても、海外に行ったときに行き詰まっていたアイデアがスパークすることや、他文化の視点から日本を見て気が付くことが多々あります。そして、今取り組んでいる書籍もNYと日本というやりとりで作っているので、異文化がぶつかることで浮き彫りになる事実があって興味深いです。

そう考えると、ソーシャルメディアを使って異文化がぶつかったり、議論できたりするチャンスは、人類にとって第三のルネサンス期になるかもしれないですね。

民族運動や、民主化運動のツールとしてのソーシャルメディアという側面に今は注目がいっていますが、次は異文化の衝突から新しいものが生まれるムーブメントが来るでしょうね。

個人的にも、もっともっと異文化衝突する機会を増やしていかないと。

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/24

「雇われない、雇わない生き方」

昨日、イケダハヤトさん(@IHayato)のBlogに
私と会ったときに感じたことを紹介していただきました。

誰のための拡大路線か」と
損益分岐点の低い生き方」という二つの記事です。

この記事への返答として、もう少し自分の思想を書いておきます。

以前にも「『右肩上がり』を疑えれば、楽しい会社は創れる
という記事で書いていますが、
なぜ拡大を目指す必要があるのか?を疑っています。

「拡大再生産」は資本主義の大前提ですが、僕には気持ち悪いのです。

なぜ、毎年毎年事業を拡大し、売上と利益を
どんどん膨らませなくちゃいけないのでしょうか?

個人商店を例にとって説明すると。

最初は自分たちが好きなものを選んで、
喜んでもらえるお客さんに気持ちよく商売ができていたお店が、
拡大するにつれどんどん忙しくなり、
店員やネットショップ要員を雇うようになります。
売れれば売れるほど、人件費などの固定費が増えていきます。

もちろん調子の良いうちはいいのですが、
急に主力商品の売上が伸び悩んできたときに、
壁にぶつかるようになります。
雇ってしまった人件費のために、
売上をキープするか利幅を確保する必要が出てくるのです。

気がつくと、売れるからという理由で、
自分たちが好きでもない商品を扱うことが出てくる。
もともといたような、
好きで買ってくれるお客さんではなくなってしまう。

考えてみたら、
小さく個人商店でやっていたころが一番楽しかったなぁ。。。
ということが起こります。
ある程度のところで、
拡大を止めておけばよかったという後悔が出るはずです。


もちろん、拡大していくに喜びを感じる人も多いと思います。
また、現在の社会では拡大してもらって、
たくさんの人を雇ってくれて
多くの税金を国に収めてくれる企業は
もっと尊敬されてしかるべきだと思います。
右肩上がりで人のためになる事業をやることを
否定しているわけではありません。

でも、小さい企業として考えたときに、
別に右肩上がりの経営をやる必要もないし、
だったら人を雇わないという選択をして、
事業設計をすることも可能なわけです。

「何のために働くのか?」の根幹に関わる考え方です。

自分の知的好奇心が満たされる業務を
信頼しあえて、刺激しあえるプロフェッショナルたちと
一緒にやっていきたいのです。

だから僕は雇われずに雇わず会社を経営しようと決めています。
そのため、できる限り変動費化しています。
プロジェクト単位で、スペシャリストを集めて業務にあたります。
プロフェッショナルなので、お互いが学べることも多いし、
案件単位でお願いするので変動費化できます。

そして、雇わないために、徹底的なアウトソースも必要です。
経理業務や税務業務、出張時の新幹線の予約チケット受け取りとか
徹底的にアウトソースしています。自分の時間は貴重ですからね。

現在の会社法では一人でも法人は作れますし、
パートナーたちと四六時中一緒にいなくても
協働するためのツールがたくさん揃っています。

もしかしたら、
次の社会ルールでの会社のあり方なのかもしれません。
こういった新しい会社のあり方を、
僕自身が人柱となって選択肢を提示できればと思っています。





にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/23

ソーシャルメディア時代には、企業コミュニケーションも「草食系」になる

やっぱりそうだよなぁ、と思ったことがあるので
自分なりの解釈に直して備忘録的にblogに書いておきます。
後々原稿書くときに使えるかもしれないからw

マスメディアの時代には、企業自体が感情をこめて、自社のことを宣伝していた。
しかし、ソーシャルメディアの時代には、企業は自分の事実だけを発表し、
ファンだったり、利用した人が感情をこめて、その企業の宣伝を行うようになる。

マスメディアが元気な時代には、人間も企業も「肉食系」だった。
ガツガツと上昇志向があり、「オレがオレが…」のオレオレ主義だった。

右肩上がりの経済成長を目指し、従業員が多くて、上場企業であることを誇り
お化粧してでも、自分をよく見せようと背伸びしてやってきた。

CMやマス広告を使って、より豊かになる生活を目指させる。
所持することの喜びや、持っていることで作られる自分像を想起させる。

一方で、これからは企業も「草食系」になる必要がある。

自分の事実をありのままに伝える。
失敗したことや、ダメな部分もさらけ出す。

自分たちに大事にしている価値を信じ、別に他社と比較されても
うちはうちの価値観でやってますから真摯に対応できる。

従業員数や、売上や上場企業であるかなどはまったく関係なく
いかにユーザーに愛されているのかを重視する。

やはり、新しく生まれた人間のが先に進化して、
企業や社会の仕組みが遅行して変わっていくのでしょう。

次は企業の「草食」化、草食企業が注目されますよ。


無印良品や、ANAなど日本企業でうまく
ファンとのキズナができている企業には
もともとブランドのDNAに
草食要素が組み込まれているのかもしれないなぁ。
そうすると、ブランドの作り方自体変わってくるかもなぁ。




にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/22

「昔話=自己啓発書」人間が生きるのに欠かせないモノは、形が変われど残る

以前からblogで告知しているように、
グラミー受賞アーティストのダグラスさんの本を執筆中です。
今、全体構成の見直しをしながら、
ロジカルに「カリカリ」に原稿を詰めに行っています。

ここまで長くインタビューしてきたものを、どうまとめたらより伝わるのか?
自分の本とは違う筋肉を使っています。
口から語られて納得することと、
文章として読んで腹落ちすることの違いを痛感しています。

さて、そこで感じたことです。
これって昔話を口述から本にする時に、ぶつかった課題なのかな?と。
グリム兄弟もぶつかった壁なのかも?

多くのビジネス書や自己啓発書で語られていたエッセンスは、
もともと口述で「物語」として語られてきた教訓に起源があると思います。

人間が生きる上での「不安」や「不条理さ」を納得するために
「物語による教訓」や「宗教」という信じるべきものが生まれたのでしょう。

つまり、ビジネス書や自己啓発書自体、
人間が生きるために欠かせないものだ
ということです。
手法が変わって、口述→絵本・書籍・映画→電子書籍・アプリになっているだけです。
そして、以前の手法が廃れるわけではなく、各々のフォーマットが
良さを発揮できる伝える技術を磨いてきた歴史があるだけです。

個人的には、もちろん表面で起こる変化によって
業界でどう浮き沈みが起こるかに興味があります。

しかし、コンテンツ制作者の立場では
表面で起こっていることに、踊らされずに、本質的な価値の部分を
ちゃんと大事にしたものを創っていきたいなぁと思いながら原稿と格闘中です。






にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/20

開店祝いのお花って、リアル「ソーシャル・アド」だよね。

よく見かける芸能人の名前が乱立する開店祝いのお花って、リアル「ソーシャル・アド」ですよね。

ソーシャル・アドで言われているのは、友達が「Like」した広告に、誰がLikeしたという情報を表示することで、クリック率を上げたり、アテンションを集める方法ですよね。そりゃ、どんなキャッチより友達の名前や顔のほうに目がいきますよね。

ということで、この写真です。最近開店する店ってこのパターンが多く感じます。


本当に関係者と知り合いでお花を出しているのか?
それとも、こういった広告商品があるのか? と疑ってしまいます。


芸能人の名前オンパレードです。

・Aランク芸能人は10万円。Bランク芸能人は5万円とかの単品料金表
・セットメニュー(10人、15人×店舗ブランディング)
 F1層向けカジュアルな店舗開店花パック、高級店舗開店花パックなど
 お花セットで50万円とかのセットメニューがあったりして・・・

はたして、これも新しい潮流なのでしょうか?
どこまでがホントだか、わからなくなってきています。。。






にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/17

「人間は環境に最適化する」だから、常に後進のほうが優秀なんだよね。

もともと環境に最適化した結果、我々がいると思っています。
しかし、そのことを忘れて、どんどん進化していく下の世代に
「今どきの若いものは」と言い続けて来ているのも事実です。

さて、2011年という今を考えると、
僕は「デジタルネイティブ」といわれる世代の感覚が
次の常識になることが間違いないと信じています。

特に感じているのが以下2つです

・どのコミュニティでも1つの人格を露出
 家族にも、ビジネス関係のネットワークでも、
 趣味の仲間でも、大学時代の友人にも、全部同じ「顔」を見せる。
 ライフスタイル全部を公開していくことに、やましさがない
 個人の行動、趣味思考もすべて公開することに抵抗がない

・「自己顕示欲」よりも「自己効用感」
 他人と比較して、グレードの高いモノを持っていたい。
 強く見られたい、偉くみられたい、お金持ちに見られたい…
 といった自己顕示欲求があきらかに落ちてきています。
 その代わり、誰かの役に自分が立ちたい…
 自分や周りの人が幸せになるように貢献していきたい…
 という自己効用感を非常に重視してきています

「1つの人格で自分を露出」は世界同時に進んでいきそうな進化で、
後者の「自己効用感」は、日本などの先進衰退国wで
世界に先駆けて起きていく進化だという分析をしています。

下の世代との概念の違いをネガティブに捉えて、嘆くのではなく
ポジティブに進化している人たちだと見ると、多くのヒントが得られます。


先日は「創職」や「露出リテラシー」を実践している
玉置沙由理さんに会って、濃い議論ができました。
来週には、書籍「フェイスブック」を出版したばかりの
イケダハヤトさんと会います。

二人とも、私より一回り下の進化した世代の中の
さらに、炭鉱のカナリアのポジションを務める人たちです。
あれ、ポジティブな表現はファーストペンギンかな?
本当に楽しみです。




にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/16

他人依存の生き方から、自分本位の生き方へ




気持ちよく生きるコツは、「自分本位」に生きること。
ただ、それだけかもしれません。
今年になって、各種方面で活躍されている方と
お会いする機会が非常に多くなっています。

会社でバリバリ活躍されている人もいれば、
自分でプロジェクトを起こしている人や起業している人。
自分の信じることにチャレンジしている人などなど。
なにかしら、自己紹介の時に熱く語ることができる人たちです。

こういった方に会っていて感じたのが、人生の満足度を上げるには
「他人依存」で誰かのせいにしながら生き続けるのか?
「自分本位」に、面白いことをやろうとして生きているのか?

この違いしかないよなぁ、ということ。

そして、僕自身、会いたい人に
自由に会える状態なのも、ひとえに自分本位に
生きているからだよなぁとつくづく実感しました。

ちょっと、わがままに
「自分がこれをやりたいからやっている!」と
思えるものを持っていると、
人生がぐんと楽しくなるんだよなぁ。

すごく当たり前のことなんだけど、
そういう生き方をしている人たちに
立て続けに会うとクラクラします。





にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/13

今の時代に必要なのは「鉄は熱くなるまで打て!」というメッセージ。

正しくは「鉄は熱いうちに打て!」なのですが、中学の時に校長先生が「鉄は熱くなるまで打て!」と激しく言ってたことが未だに印象に残ってます。

この校長先生が黒のチェイサーに乗っていて、短気で熱い方でした。

中体連で勝つために、授業は短縮授業にし、部活の時間を長くする。スポーツ選手を教師として赴任させて徹底的に部活の質の向上はかる。

結果的に、多くの種目が良い成績を納め、スポーツ推薦で高校に行く人も増えました。

ここまでの話を聞いて「私立は、そうやって学校の人気を高めることができるよね」と感じたことと思います。

ですが実は、田舎の町の公立の中学です。

地域含めて、誰も部活最適の方針に誰一人疑問を持っていなかったと思います。

普通、勉強が大事だから。。。とかスポーツが苦手だから。。。などと、そこまでの集中化施作には反対意見が出てるものです。そして、どっち付かずの中庸なところに落ち着きます。

しかし、なぜか誰も疑問を持たずに突き進めたのでしょうか? たぶん、田舎の町では「先生の言うことに間違いはない」という暗黙の認識があったと思います。

それと、地方の公立中学で三年間の間にできる一番の教育は、勉強じゃなく、部活を通しての忍耐力や達成感を養うことだけだと割り切っていたのかもしれません。正しい判断だと思います。

結果的に、僕らは完全に熱くなるまで打たれ、社会に出てから困難な事があっても、比較する基準ができました。
仕事が大変でも、体力的に部活に比べてたらたいしたことないという気持ちになりました。
社会人になって、仕事をしていても怪我するわけじゃないですからね。

世の中いろんなところで、ヴィジョンが見えないとか文句を言う人がいます。一方で、ヴィジョンを示せば保守派からは、チクチクと問題点が指摘されます。で、結局中庸案に落ち着くと、ヴィジョンが見えない。。。

こんなときに、冒頭に書いた「鉄は熱くなるまで打て!」と言い放って、集中した戦略をとった校長先生を思い出しました。

今の時代、「鉄は熱くなるまで打て!」ぐらいのメッセージがちょうどいいのかもしれません。





にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/10

思い入れのあるブランドに対して「無給外部ブレーン」になりたい感じ。




先日NewBalanceのM1400を海外に注文して届いたときに思いました。
いったい今まで何足買ったんだろう?
今あるだけでも10足以上靴棚にニューバランスだけで並んでるw
サイズもすでに熟知しているし、届いたときもワクワクというよりも「再会」的な気分になります。

高校生ぐらいからだから、かれこれ約20年間は付き合っているブランドです。
こうなってくると、すでに普通で言われる「ブランド」とは違った思い入れが出てきています。

例えば・・・

・商品について感想を聞かせてくれと「デプスインタビュー」を頼まれたら、無料で1時間でも2時間でもしゃべっちゃう

・今まで履いてきた靴の遍歴や履き心地について、アンケートを頼まれたら、どんなに設問数の多いアンケートでも丁寧に答える

・かつ、答えている瞬間も楽しくてしょうがない

・自らがエバンジェリストとして、周囲の友人知人におススメすることを勝手出る。「絶対、買ったほうがいいって!」とおススメできる

というように

私とNewBalanceとの間には「無料奉仕」を「喜んで」やるスイッチがすでに発動しています。

そうすると、上に書いたような「無給外部ブレーン」を買って出るようになるのです。

消費者→ファン→エバンジェリストと成長している人が存在していることは、ブランドの目に見えない資産です。


マーケティング3.0とか、「共創」とかいろいろな言葉は出てきていますが、
原点はこの「お世話になった間」→「愛着」→「自分の一部」となるような関係づくりが重要なんだよなぁ。

ちょっと今、「ブランドと個人の対等のコミュニケーション」「友達顧客」「無給外部ブレーン」など、この辺りについて考え始めています。次の次の本でこの辺りのことを書こうと進めています。






にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/09

74年世代。「二つの価値観」が並存する端境期に生きる楽しみ




最近、自分が生きているタイミングは「端境期」だと認識することが多いです。

資本主義から次の仕組みへ移行するタイミングであり、二つのものが交じり合いながら進んでいくタイミング。

産業が成熟し、ITという武器がインフラになるにしたがって、事を成すために、必ずしも巨額の資本が必要なくなってきました。上場廃止する企業が多くなっているのも必然だと思います。


そして、74年生まれ世代から見ると、上の世代は「消費」へのウエイトが高く、下の世代は、消費よりも「貢献」へのウエイトが高くなっているように感じます。

ヒエラルキーが明確で消費することが快楽な価値観と、誰かの役に立って貢献ができることが至福と感じる価値観です。
上の世代が考えていることも、よくわかる。
でも、ちょうど10歳下の世代の価値観にものすごく感じていることが重なるのです。


次の価値観がより拡がり、社会システムも変わっていくことは間違いないと確信しているのですが、
現実はまだ旧社会の価値観の中で、商売をやったり、マネタイズの仕組みを設計する必要があります。

このあたりの葛藤やバランスをとりながら
「よしなに」やっていくことが自分(の世代)には求められているんだなぁと思っています。

産業の競争ルールでまだまだ戦えって行く人は新興国に挑戦していくだろうし、
新しい価値観をトライしたい人は、行詰ったように見える日本などの先進国でチャレンジしていくのだと思います。

ちなみに、若者が新興国での勤務を嫌がるのも、こういった価値観と繋がっていると考えています。
ある時代の価値観の人から見て理解できない考え方や概念は、意外と次の時代に対応するためのヒントだったりします。

この二つの価値観の狭間で、自分が何ができるのか?
この大きく社会の仕組みが変わりそうなタイミングに、何が提供できるのかを、考えてみます。

ということで、昨夜の議論に感化されて書いたエントリーでした。(それと冒頭の本は、議論中に紹介されて注文した本です)






にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/05

年初に感じた「革命に必要な環境は揃った」という感覚は正しかった。

現在もエジプトから目を離せない状況が続いています。ふと、自分のblogを振り返ってみると年初にこんなエントリーを書いてました。



2011年新年早々の気分。人と国家について今年は考えるテーマにしよう。
一部、抜粋すると以下のようなことを書いている。

■カウンターカルチャー×ネット

カウンターカルチャーとして、仕掛けるためのツールがインターネットなのかもしれない。既存社会の置き換えのためにネットを使ってもおもしろくない。あるべき姿にしたり、無駄なことを取っ払うためにやんなきゃおもしろくない。
こんなことを考えている背景には、昨年「1984」のオマージュである「1Q84」が出版されて、ビックブラザー→リトルピープルが書かれたタイミングと、今回のwikileaks対国家という構図がいろんなことを象徴している気がしてならない。優秀な小説家は「炭鉱のカナリア」の役割を、自分たちも無自覚なうちに担っている場合があるから。

■現実逃避するためのツールを広める既得権益者
これもお正月のテレビ番組に辟易して再認識したこと。統治者としては、国民をある程度飼い慣らしていたほうが楽なんだろうな、と。そのためにテレビって、無料でものすごく影響力のあるメディアだということを再認識しました。
見ているだけという楽さ。時間がなんとなく過ぎてくれる。テレビを見ていれば、現実の諸問題について考えなくて済む。テレビで報道されていることや、紹介されていることがすべてだという気になってしまう。だから、電波の権利を持っている国がマスメディアをコントロール下に実質置いているもんなぁ。

さらに、1月7日にはこんなエントリーを書いている。
ルネサンス三大発明から考える現代の三大発明は?


で、もう一つ気になることが、このルネサンス期にそれまでの社会の仕組みを大きく変えるきっかけとなる三大発明が起きてますよね。


  1. 羅針盤→大航海時代へ。新大陸に目線を向け、国の競争ルールが変わっていく
  2. 火薬→騎士階級の没落へ。国力のルールが変わり、力を持っていた層が没落していく
  3. 活版印刷→教会の地位が低下。聖書をもって世界中に思想を拡大することができるように


既得権益層が崩れ、新しい職業が出てきて、世界に打って出る価値観ができた時代だったのでしょう。(もちろん、ヨーロッパにおいてですが。)で、こういった「CHANGE」の始まりが人の価値観の変化から始まって、芸術や文芸文化から起こり、徐々に政治や企業(=国)にも影響していくのが面白いなぁ、と。
で、翻って同じように価値観転換が起き始めている今。2010年代の三大発明って何になるのかなぁということを考えていました。自分的には社会構造に与える影響という意味で以下の三つになるのかなぁと漠然と考えています。

  1. ソーシャルメディアプラットフォーム(ex.Facebook,twitter,セカイカメラ)
  2. ソーシャルレンディングプラットフォーム(ex.kiva,kickstarter,maneo)
  3. 検閲を受けない情報可視化メディア(ex.wikileaks,Ustream)

ソーシャルメディアプラットフォームは、同士を見つけたり、プロジェクトを立ち上げるときの人的ネットワーク形成に革命を起こしてくれます。いままでどこかの団体に所属しなければならなかったのが、在野から優秀な人が自主的に集まって、コトを起こせるプラットフォームとなってきました。どこに所属するかよりも、どんな意見を持っているか、何をやろうとしているかが重要になってくる社会に変わってきています。
=権威ある組織に属している価値が相対的に低下していく
ソーシャルレンディングプラットフォームは、簡単に個人が、賛同するプロジェクトに融資したり、募金することができる仕組みです。これが一般化していけば、大資本じゃなければできなかったこと、配当が見込める事業じゃなければ資本が集まらなくてできなかったという制約から解放されます。「やったほうがいいよね!」にお金を集めて、実行することができる下地になってくれる仕組みです。
=資本主義の利益至上主義、配当指向のマネーゲームからの脱却
検閲を受けない情報可視化メディアは、権力者の情報コントロールをできなくしていくことになるります。Wikileaksはわかりやすいですが、Ustreamなどの編集を伴わずに検閲が入らないものもこれに当たります。それによって、1や2で紹介したことがより活発化していくきっかけになっていくと思っています。国家という幻想や、利益至上主義に疑問を持つ人を増やすきっかけになっていくだろうから。
=既得権益者(国や政府)による情報コントロールから自由に
物事は急には変わらないので、時間をかけながら変化していきます。方向といしては国や政府の力が相対的に低下して、個人の力が相対的に高まってくることになると信じています。ルネサンス期にヨーロッパでできたことだから、できないわけがない。
革命好きの自分としては、この渦中で楽しまなくちゃどうする!って感じなんですよね。気分的に。power to the people!

これって、ほとんど今回のチュニジア、エジプトのことを書いているとしか思えないもんなぁ。やっぱり起こるべくして起こっている。今年は、この流れが加速しそうな気がしてなりません。世界情勢が自分の生活とリアルタイムに繋がっている時代が来ています。もう、テレビ見ている暇なんかないですよ。






にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/02

「他人の年収が気になる理由」。誰かに都合のいい「他人の物差し」を疑おう!


世の中で当たり前だと思われていることを、疑うところから「革命」は起こるのかもしれません。

平成19年民間給与実態統計調査より(国税庁)。やはり年収は国税庁が調査w


たとえば、仕事を比較したり、人を比較するときにも「年収ヒエラルキー」を信じ込まされていないでしょうか? 年収を基準にすることが当たり前になっていないでしょうか?
同年代の人と比べて、自分の年収が高いのか低いのか? 自分よりも良い物を持っていたり、良い家に住んでいると年収が高いんじゃないか?と考えてみたり。最近では、公務員などに向ける怒りも「いい年収もらいやがって」となっていたり。。。
でも、よくよく考えてみると年収という基準だけで比較するのっておかしいですよね。企業に置き換えれば、株を購入するときに売上だけで比較しているようなものです。特に個人ということを考えると、むしろ利益絶対額のほうが何倍も重要な基準になると思うのに。。。
手元にどのぐらいのお金が残って、再投資にどのぐらいの金額を回せていて、そこからどのぐらいのリターンが得られているのか?
もしくは、お金の使い方がどのくらいその人の「人生満足度」を高めているのか?
仕事の充実度、自分の能力が社会に役立っているという喜び、ライフスタイルの満足度、暮らしやすさ、などいろいろな要素があるはずです。人によって重要と感じる価値が異なるのも自然なことです。お金を使わないことが、喜びの人だっているわけですし。
そもそも、満足の基準は他人との比較じゃなくて、自分の中にあるはずです。他人が決めた物差しを盲目に信じちゃいけません。

さて、なぜ「年収」を基準としてソートをかけることを是とするように、我々は教育されてきているのでしょう?
国の税収を考えた場合、年収が高い人からは多くの税金が取れるからだと思っています。
同じように、「就職率」が問題だと信じ込まされているのも、国としてはサラリーマンになってくれたほうが、税金がとり易く、年収が上がってくれないと税収が増えないからかもしれません。
「就職しなきゃ」「年収上がるように転職しなきゃ」・・・結果、喜ぶのは?

世の中で当たり前だと思われていることほど、立ち止まって考えてみたほうがいい。
誰かにとって都合のいいための基準なのか? 本当に自分にとって良い基準なのか?を。

あと、以前「従業員という生き方」から離れている人たちの5つの秘訣」のエントリーで書いたインディペンデントな生き方をしている人が、活き活きと輝いているのも、こういった当たり前だと思われている基準から目を覚ましているからだと考えています。
こんな時代だからこそ、自分の人生を取り戻すいい機会ですよ。








にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村

2011/02/01

TechWave主催1000 English Speakersのレポートがサンフランシスコのwebニュースに取り上げられました。


1/24月曜に開催した1000 English Speakersイベントが「Social Media: Where Is The Country That Gave Us Sony?」というタイトルで英語記事になっております。

このblogでもイベント告知だけして、終了後のレポートはすっかりしていないまま。。。
そもそもイベントの目的は「日本から世界に出ようぜ!」ということで、英語でプレゼンする場を設けることで日本から英語圏へ殴りこみをかける変革者を育てることを支援することでした。10組の勇者が英語でプレゼンを行い、募集人数を上回る観覧者の方にお越しいただけました。運営者として一安心でした。
そして、こうやって海外のメディアで取り上げてもらえるなんて!

日本語でのイベントレポートは以下です。
審査委員長湯川さんによるレポートはこちら→http://techwave.jp/archives/51579790.html
言いだしっぺの一人シリウスラボ所長関さんのレポートはこちら→http://techwave.jp/archives/51580229.html

■おまけ
海外メディアに取り上げていただいた件ですが、ちょっと種明かしを。newsjunkiepostというサンフランシスコのニュースメディアの共同創業者のDoloresが日本に滞在中で、イベントに興味を持ってくれたので来てもらいました。それで、記事にしてくれたというわけです。とはいえ、記事にするだけのインパクトのあるコンテンツだったということが大きかったと思います。
急遽お願いしたので、写真はDoloresのiPhoneで撮影したものです。よく見ると写真には僕が話している姿がw









にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ
にほんブログ村