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2011/09/28

クリエイティブ都市に成長していく空気をマニラのフォート・ボニファシオで感じた




先日の三連休を使って、弾丸でマニラに行ってきました。
二日の滞在で、経済の中心であるマカティと富裕層の集まるフォート・ボニファシオに絞って現地を調査してきました。

現地に住んでいる日本の方、現地で働いているフィリピンの方に話を伺い、かつ、スーパーやショッピングモール、住居や学校、オフィスなどをできる限り見て回りました。

いろいろと思ったことがあるのですが、まず最初に感じたのは「海外企業の進出に一切障壁を与えないこの国のオープン性、ノーガード性」です。ショッピングモールはほとんど海外有名チェーンで埋め尽くされ、まるでどこの国にいるのかわからなくなります。進出してきている企業のロゴもおなじみの世界企業たちです。

このオープン性は、歴史も大きく影響しているのだと思います。スペインの侵略を受け、アメリカの占領を受け、一時期日本に占領され、そしてまたアメリカへ。その上で独立してからも、「フィリピン」というスペイン国王フィリップ二世から取った名前をいまだに使っています。たぶん、あんまり強いこだわりを持たないのかもしれません。

もちろん、経済成長にあわせて民族主義が勃興してくることもあるとは思いますが、現地の人を見ていると、そこまでの上昇意識もあまりないように感じました。

差別的な意図はまったくないのですが、外国の血が入っている人のほうが、上昇志向があり、仕事もでき、社会的にいいポジションにいるように感じました。もちろん、遺伝的なことじゃなく、海外から入ってきた親の教育や環境の違い、友人などの周りの環境で競争心が起きるかどうかが原因でしょう。

よく南の国でありがちな、温かくて働かなくて食べるものが自然にたくさんあると、上昇志向も必要なく、暮らせるということも少なからず影響していると思います。

海外企業にとっては参入しやすく、中流階級ができてきたら自分たちの商品を買ってもらえる市場にしやすい。一方で、現地に独自の文化や自国のブランドが育ちづらい…。


僕の興味は、住みやすくいい街ができてくれば、世界中から才能が集まってきて、化学反応が起きるという部分にあります。この条件を満たしつつあるのがフォート・ボニファシオなんじゃないかという空気を感じました。

もともとが米軍の基地。その跡地に、都市計画を作り開発していく。金融、IT、海外企業のコールセンター。証券取引所を移転させる。レジデンスとオフィスとショッピングモールを作る。美術館も計画している。

そこに外国人が住み始める。外国人の民度の基準で街のソフト面が作られていく。海外チェーン店が、アパレルから飲食まで進出してくる。こうやって、気がついたときにサンタモニカみたいな空気ができ始めている。(フォート・ボニファシオのハイストリートなどに限れば、本当にスッキリしてました)

現在は現地の人がBPO(business process outsourcing)で世界中の企業からのコールセンターとして働き、近所のショッピングモールのマクドナルドやケンタッキーでコールセンター従業員向けの格安メニューを食べる。でも、こうやって所得を確保した人から、自分の能力を磨きながら、ステップアップを始める。

それとともに、海外企業の従業員が駐在としてやってくる。今は、文化的なものが少ないかもしれないが、きっとここにクリエイティブクラスが増えるのに併せてカルチャーもやってくる。今はまだカラオケや映画しかなくても、これからコンサートや演劇、アートなどが入ってくる。一度、質の高いものに触れた人は、また質の高いカルチャーを求めるようになるでしょう。

リチャード・フロリダのいう「クリエイティブ都市」が誕生していきます。

間違いなく、今、目を付けて集まってくる人は、リスクを取るのが好きなフロンティア精神のある人々。そして、街づくりが世界基準で進んでいるため、気持ちがよく暮らしやすい街ができつつあります。レジデンスやオフィスなどの建物は5年後完成の計画で、販売の話がされています。

こういう都市では、今後クリエイティブ都市として、起業やデザイン、アートなどの個人としての才能が集まってくるコワーキングスペースが生まれ、そこに面白い人同士の出会いがあって、次の化学反応が生まれていくでしょう。

僕は、こういう可能性の空気が大好きです。今回、クリエイティブ都市に「なりかける」都市にはじめて接して、なにか自分が求めている感覚が認識できた気がします。

5年後街がどうかわるかを考えてわくわくする都市と、5年後街がどうなってしまうか不安になる都市
この違いは本当に大きいです。


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2011/09/22

昨夜の台風で再び認識させられた「リスクを取ったジャッジができない」日本の空気

昨夜東京では、3月の地震に続き、台風でも交通機関が麻痺して、帰宅難民が出てしまうことが証明されてしまいました。

しかし、3月の地震と今回の台風では大きな違いがあります。
地震は起こることが予想できなかったのに対し、台風は来ることが前日からわかっていたのです。

起こってしまったことを全力で以前の形に戻すことは迅速に機能するし、素晴らしい復旧作業が行われます。 昨夜も倒れた木を撤収して、道路を通れるようにしたり、線路を元通りにして早く復旧できるために多くの人が各持ち場で素晴らしい仕事をしていたと思います。本当に頭が下がります。

しかし、なぜか、未然に防いだりするための判断を行うことは苦手なようです。
台風が直撃する日に、自宅待機という判断もあり得たと思いますし、逆に出勤したからには中途半端な時間ではなく台風が行き過ぎてから帰宅するような指示を出すという判断もあると思います。もしくは、そんなことは会社に頼らずに、自分個人の判断として、情報を集めて自己責任でジャッジすべきですよね。

さて、本題です。 前者と後者の大きな違いは、「起こってしまったことを全力で以前の形に戻すこと」が、「元通りにすばやく戻す」ということのために、合意形成がしやすいのに対して、「未然に防ぐための判断」は「もしも起きなかったら?」などとケチが付き、合意形成が行われづらいことです。

正直、日本のこの倦怠感というか気持ち悪さは、この「もしも?」という不確実性が高いことについて、合意形成ができない空気が蔓延していることのように思います。

そして、合意形成ができないことを「自分の責任で」とリスクをとって判断する人が少ないことからきています。 リスクとって決めて実践するってことは、この「未然に防ぐための判断」を行うときと同じ行動です。情報を集めようと思えばいくらでも集められます。でも、最後は「えいや!」で人がジャッジを下すしかないんですよね。

だから、僕は会社は100%自分所有で、自分の責任で判断ができる状態にしておきたいのです。そして、個人としても常に「こっちに賭けたい」と思ったときに、動ける状態にしておきたいのです。これが僕個人として一人株式会社&一人のノマドワーカーとしてやっている理由なんだよなぁ。

昨日の台風のおかげで、そんなことを再認識することができました。 今後もリスクと好奇心を天秤にかけて行動することを続けていきますw


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2011/09/16

みんながノマドに惹かれるのは「自由さ」と「生存能力」への憧れ

玉置沙由里(@sayuritamaki)さんが主催するMG(X)編集部でも、今月の議論テーマが「ノマド」ということで、僕も幾つか考えていることを書いておきます。


結局、みんながノマドに惹かれるのは「自由さ」と「生存能力」への憧れだと思います。 


「自由さ」とは、現状に固執せずに、よりチャンスがあること より好奇心があるほうを選択することができること。 
「生存能力」とは、ポータブルスキルを持っていること。 どこに行っても、その場でネットワークを構築して、 自分のホームにしてしまう環境適用能力が高いこと。 
この二つが、現代社会で働いている多くのホワイトカラーにとって 欠乏しているキーワードなんだと思います。 だから、ノマドというイメージに共通して惹かれる人が多いのだと思います。
じゃあ、なんで「自由さ」と「生存能力」を欲しているのかというと。両方とも、この先行きが見えない乱世に求められる能力だからだと思います。 
会社にいると、すでに手にしまっている環境を捨てない限り、「自由さ」は手に入りません。そして、その「すでに手にしまっている環境を捨てる」ためには「生存能力」が必要。現状に不安や、先行きに不透明さを感じていて、なんとかしなくちゃいけないと思うけど、 そこに踏み出すためには、まず現状の環境を捨てなくちゃいけないというジレンマ。
これがあるから、ノマドに憧れも嫉妬も生まれてくるのだと思います。 
ノマドと言われる人を見てもいろいろな人がいます。 皆さんがイメージするような経済的に安定して、自由に暮らせるタイプは少数です。 (たぶんこの人たちはノマドというよりも自分たちをリタイア層と捉えていると思います)
多くのノマドはリスクを取ってでも、目の前の可能性を優先して、 今手に入れている環境を手放す決断をしている人です。なぜなら、ノマドの人たちにとっては、「価値観の優先順位が異なる」からです。 
先ほど定義したリタイア層にとっては経済的な安定の優先順位が高いままです。そして、その安定が満たされたからリタイアしているのです。そのため、価値観の優先順位は変わっていません。経済的に安定しているから、自由になれた人たちです。 
一方で、「ノマド」は経済的に安定していなくても、自由になっている人たちです。 現在手にしている安定よりも、知的好奇心を満たすために時間を使いたい。生活基準を落としてでも、大切にしたいライフスタイルや自分がチャレンジしたいことを追求したい。
だから、ノマドと言われる人の姿は、その人の価値観によってバラバラなのです。経済的な安定を求める比率が違っていたり、何を重視するかで色々なスタイルが存在するんだと思います。
「ノマドは高学歴ばかり…」と、見えやすいところばかりで議論されるけれど、デモグラでは語れず、「価値観に占める経済的安定許容度」「安全許容度」みたいなものでしか測れないような気がしています。
以下のリンクにあるヤング&ルビカムの消費者価値観分析モデルがまさしく「ノマド」度がわかる診断だと思います。
僕がやってみた結果か以下のようになりました。ぜひ、あなたのノマド度を確認してみてください。40問の質問に答えると結果が出ます。


僕の結果はこんな感じでした。
なんとなく、このコントロール、個性、自己達成が高くて、サバイバル、逃避、安全が低く出る人が「ノマド」度の高い人のような気がしています。

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2011/09/07

日本の接客サービスクオリティって、もはや観光資源だよね。


先日、セブンイレブンに宅急便を出しに行ったときに、つくづく日本っていいサービスの国だなぁと実感しました。
5年間使って調子悪くなったBOSEのQuietComfort3を修理に出すために、キャリングケースに入れてそのまま宅急便で送れると思って近所のセブンイレブンに出しに行きました。すると、キャリングケースが小さいということもあり、このまま送り状を貼って荷物として送ることができない。
どう考えても、僕が悪いのですが、レジの店員さんがバックヤードにいる店員に言って、店舗の裏からちょうどいサイズと思われる箱を持ってきてくれました。
さらに、このサイズだと料金が高くなるからと、安い料金で送れるように箱の大きさをカスタマイズまで!
すごいサービスクオリティ。え、安くなるように、忙しいはずのお店の人たちが箱を切って、ダウンサイジングして梱包までしてくれる!!
そういえば、近所のもう一件のセブンイレブンでは、バスから降りてお店に入ると「お帰り~」と声をかけてくれます。きっとそんなマニュアルはないはずです。

先日、ゲリラ豪雨のときに入ったカフェで、雨が止むまで時間をつぶしていました。とはいえ、次のアポがあるので、仕方なく近くのコンビニまで走って傘を買おうとお店を出ようとしたら・・・。
「お客さんが忘れていった古い傘がたくさんあるので、持っていってくれませんか?」と声をかけてもらいました。おかげで、しっかりした傘で無事にアポ先に向えました。
相手を遠慮させないように、「お客さんが忘れていった傘がたくさんあるので」とまで、言えないですよね?


海外に行けば行くほど、この接客大国日本のサービスクオリティはすごいなぁと感動します。
この手のサービスが日常で起こっている日本ってすごい国なんじゃない? だって、ザッポス並のサービスを日々受けられるんですよ。僕らは。

旅行客が、日本に来て受けた感動サービス体験を共有するプラットフォームがあれば、観光誘致に強力だろうなぁ。

そして、何より目の前のお客さんのことを思って接客している人たちにスポットが当たるはずです。ユーザーフロントに立っている人たちが、花形の仕事になっている社会って、悪くないと思うんですよね。

少なくとも、僕は、ここ最近受けた上記のような接客サービスで、すごく幸せな気分になりました。



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2011/09/05

書籍を書くメリットは、執筆中からすでに得られている!

11月末を予定している書籍の原稿執筆のために、しばらくblogから離れていました。やっと全体を書き上げ、ここから編集者とやりとりしながら最終段階に仕上げていきます。

「書籍」って本当に特殊な媒体です。なんで、こんなに毎回苦しいの執筆するんでしょう?
その分、出来上がると、喜びも反響も「深く」得られるのですが。本当に執筆している間や、キリキリと全体構成を締め上げているときは本当にツライ...


書籍を書くことで、読んでもらった方から感謝してもらえたり、何かの役に立つことはこの上ない喜びです。感想とかもらったら、これにかなうものなんてありません。

とはいえ、執筆中はツライのは事実なので、執筆中にも味わえるメリットを自分を励ますために書いてみました。


日常の自分が感じた「視点」を共有するためのblogに対して、一つのテーマを掘り下げて書いていく書籍では、以下のようなメリットがあると思います。


・どこにいても、少しでも仕事を進めることができる
−メモとペンがあれば、思いついたことをストックできます。MacbookAirを持ってればもういつでも始められます。原稿をプリントアウトした紙があれば、どこでも全体を見渡せます



・長期間そのテーマと向き合っているため、多くの情報が目に入ってくる
−「問い」を持っているので、普段はスルーしていた情報に気づける。会った人に話題をふることで思ってもみない視点を得られることがある

・ロジカルに自分の考えていることを第三者として眺めることができる
−矛盾している部分や、自分でも言葉にできていなかった部分を言語化できる。考えていることを一度言語化することで、他の人に説明したり話すことが楽になる。喩え話を準備できる

・「書籍」というプロダクトが決まっているので、取材したい人に取材ができる
−そのテーマに第一線で取り組んでいる人に直接会いに行って、お話を伺える。インタビューのアポイントが人脈につながることも

考えてみたら、執筆中が一番自分が勉強しているタイミングなのかもしれません。




他の著者の人は、書いた後に、そのコンテンツで講演をしたり、自社サービスと結びつけたりという方法を取っている方もいますが、自分の場合はここにどうも興味を持てません。

それよりも、書籍を書くということで、取材して/勉強して/整理整頓してアウトプットしていく、自分なりの学習サイクルだということにこのエントリーを書くことで気が付きました。なんて、恵まれてるんだ!!


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