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2013/09/27
自分の年齢以外の「未来を想像するものさし」を持つ
「10年後・・・」「2020年・・・」と思い浮かべるときに、自分の年齢を尺度として「ああ○○歳になっているなぁ・・・」と想像していました。
将来を考えるときに、「自分」という目線で未来予想・計画をしていたのです。
子供が生まれてから(まだ生後2ヶ月の双子ですが・・・)、「自分」という目線にプラスして「子供」というものさしを手にしました。
自分の10年後(38歳が48歳)には、劇的な変化がないような(いや、あるかもしれませんがw)気がしますが、子供が0歳だったのが10歳になっていることをイメージすると、リアリティが大きく異なります。
大きな差は、成長すること・変化することが確実に予測でき、できることやチャンスが多くなっているからでしょう。
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10年後、20年後・・・と未来をイメージするときに、自分の年齢以外のものさしを持っていると見えてくるものが違ってきます。
そして、見えてくるものが違ってくるからこそ、リアリティを持ってその時に向かって何をするのか? どう備えていくのか?を真剣に考えることができます。
「子供の年齢のものさし」は、今の日本に住んでいる人でも、イメージしやすい例だと思います。一方で、今経済が成長している新興国に住んでいる人は、「都市の成長のものさし」を持っているのかもしれません。
そして、2020年の東京オリンピックも昨今の日本で珍しくみんなが確実に予想できる「もう一つのものさし」の一つでした。
真剣に未来のチャンスと向き合うために・・・、大きな変化に備えるために・・・。人間はリアリティをもって想像できないとなかなか動けないものです。
「自分の年齢以外のものさし」は、未来を考えるときに、脳が現実の課題・機会と同じように捉えるための有効なツールなんだろうなぁ。
関連エントリー:浮かれるな。7年後どうなるかは自分たち次第。
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2013/09/17
自分を過剰に見せるマーケティングなんて、やめたらいい。
個人にも、企業にも言えることだが、自分や自社の商品を本来の姿よりもよく見せるマーケティングを続けるとおかしくなっていく。
実力よりも高い目標を置いてストレッチすることは、もちろん悪いわけじゃない。向上心を否定するつもりもない。それは努力すること、成長することで期日までにギャップを埋めることが前提になっているから。問題はギャップを放っておいて、そのままでいることだ。
この約束したものと実現できることのギャップがある状態をクライアントや他者を巻き込んでいるのに放置しているといろいろな問題を引き起こすことになる。過剰自己演出からの悪いマーケティングと、言ってしまっていいと思う。
自分を過剰に演出して売り込んだのはいいが、内容が伴わないため、お客さんにも、売り込んだ営業担当にも、要件が満たせないことがわかっている現場の担当者も・・・まわりまわって焼き畑営業経営でヤキがまわってしまう経営者にも、ツケが回ってくる・・・。
多くの人が「働き方」で悩んでいる原因の一つが、この過剰に自分たちや商品を演出してしまうマーケティングからスタートしているように思えてなりません。
本来のマーケティングは、自分たちの提供している価値によって、喜んでもらえるお客さんを出会わせるためのものであったはず。しかし、いつのまにか過剰演出マーケティングで、受注することがやめられなくなる。。。
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多くの人が感じている「丁寧に暮らしたい」「嘘をつかず自分の仕事に誇りを持ちたい」という心理は、上に書いたような“過剰自己演出からの悪いマーケティング”が背景にありそう。
自分も、必要以上に自分をよく見せようとしたりせずに、愚直に仕事に取り組む軸をぶらさないように気を引き締めなくちゃ。
自分が楽しく暮らすことを守りたいからこそ、誰かにしわよせがいくような仕事の仕方はしたくない。
今日の台風が過ぎた後のカラっと気持ちのいい秋晴れの空のような気持ちで暮らしたいからね。
関連エントリー:
楽でも、派手でもなく「丁寧に暮らしたい」
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2013/09/08
浮かれるな。7年後どうなるかは自分たち次第。
まだなにも決まってはいない。レールになんて乗るな。ここからはなんだってありだ。着せられた制服も、貼られたレッテルもだれかの勝手な期待も、邪魔だったら捨てればいい。なにかになりたい?だったら、きみがなればいいだけ。遠慮なんかしてる場合じゃない。動け。ぶつかれ。不可能を乗り越えるほどきみはもっとうまく、もっと強くなれるはず。挑み続けるかぎり負けはない。明日。七日後。七年後。どんなきみになるかは今日のきみが決める。
いいメッセージですね。2020年の東京オリンピックが決定し、世の中が浮かれている感じのときにNIKEから届いたこのメッセージ。「浮かれるなよ。7年後どうなるかは自分たち次第だよ」というすごく響く言葉。
東京にオリンピック誘致したからすべてが解決するわけじゃない。一人一人が7年先という未来を考えて、ここから何かを築き上げていくことのほうがずっと大事でしょうね。
こうやって、オリンピック決定のタイミングにあわせて、この絶妙なクリエイティブを準備していたNIKEは凄い!
「オリンピック」という言葉は公式スポンサー以外が広告に使用することができないので、オリンピックとは一切言っていない。読んでいる人のタイミングと、世の中の話題の文脈を使って、自然とすべてが共有されて、その上でNIKEらしい強いメッセージを発信している。
ルールがあるからって、諦めちゃだめだよね。広告自体がルールを諦めずに、挑んできているからなおさらメッセージとシンクロしている。すごく勉強になりました。
関連エントリー:「生き方のスタンス」が違うと友達になれない? 自己責任派と他人依存派の埋められない溝
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2013/09/04
予算が潤沢でも、「やる気」は売ってもらえない
「お金だけ準備すれば、いいものができるわけじゃない」
よく言われる言葉だけど、価値と価格についてちゃんと認識していない人には、さらっと流れて終わってしまっている言葉のように思います。
Chikirin さんの「定価の世界は消えゆく運命」も、きっとシリーズとして定価ではなく、売り手と買い手のパワーバランスによって価格が変わるこの世の中の仕組みについて、とりあげていくのでしょう。
安く買うために・・・、高く売るために・・・、どちらも交渉力、情報力を得て有利になるように活動を行っています。そういうもんです。
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僕が書きたかったのは、このプライスについてではなくて、手に入れられる「商品」が変わる場合のほうです。
受注生産商品やサービスだったり、ソフトウェアのような契約時点では形がまだないもののケースです。同じ値段を払ったとしても、できあがる商品の品質にばらつきがあることが前提となっています。
しかしながら、形がない商品やサービスを受けるときには、供給者のやる気を導き出すことで、対価以上の品質を実現できる、ということを忘れてしまっているケースが散見されます。
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よくあるのは、飲食店などでもウエイターの方や板前さんに、興味や敬意をもって接することで、対価とは関係なく「得をする」ことがありますよね。
それは特別に教えてもらった食の背景の知識だったり、特別に出してもらった一品かもしれません。
自分の仕事で言えば、商品の広告企画のソフトを作るときには、多くのクリエーターさんに集まってもらい、喧喧諤々とやりあいながら、お題を解決するソフトを作っていくときにこの「対価だけでは得られない品質」が実現することがあります。(もちろん予算が厳しいために、現場が嫌々やっているようであればいいものはできませんが・・・)。
大事なのは、面白がって働きたい大人たちに「挑戦したくなる負荷のかかる問題」を出して、「お互いが切磋琢磨したくなるプロフェッショナル」を集め、クライアント側も「一緒に目的に向かって汗をかく担当者」を準備すること。
実は、こっちのほうが潤沢な予算を準備するより難易度は高いかもしれません。しかしうまくいくと、結果は、如実に違います。
共通するのは、対価を払ってサービスを受ける側や発注する側も、一人の人間として相手を尊重して臨むスタンスがないと、本当にいいものは手に入らないということ。
「お金払ったから、いいもの手に入るのが当たり前だ!」という消費者意識を振りかざす人は、結果的に高い対価で価値の低いものしか手に入れられていません。
そう考えると企業側も、予算を補うだけの熱意がある・・・とか、担当者が本当に一生懸命にやっててほっとけない・・・など、こういう人間味あふれる人がもっと大事にされてもいいのかもなぁ。
※昨夜のとある企業の新ラインナップ広告プロジェクトの決起集会。顔合わせから誕生日を祝うサプライズ準備してあったりと、古き良き雰囲気に触れて、ついこのエントリーを書いてしまいました
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