「今足りないもの」に僕らは希少性を見いだし、憧れる。
未来に「今足りないもの」を埋める可能性を見いだす人がいれば、「今足りないもの」を昔に見いだし、懐かしむ人もいる。
先日読んだエントリーで以下のものがあった。
「新セレブな生き方は田舎暮らし|世界級ライフスタイルのつくり方」
新しいタイプのセレブは、田舎に住み(または平日ロンドン、週末田舎暮らし)、古いファームハウスを手入れして親からのお下がりやフリーマーケットで手に入れたインテリア、車はポンコツのランドローバー、子沢山(最低3人)で自家菜園でオーガニック野菜を育て、趣味はホームベイキング、ファッションはオーガニックコットンにHunterの長靴・・・
と続き、新型セレブの例としてジェイミー・オリバー(*1)とサヴァンナ・ミラー(*2)をあげ、今の若い世代(アッパーミドルクラス)が憧れるこのライフスタイルを”Nouveau Peasant”(フランス語で「新しい農民」)と呼んでいました。
ロンドンの話だが、日本でもすでにこのセレブ像(というとなんか違うなぁ。憧れのライフスタイル像かな?)の変化は共通して起きている。
簡単には手に入らない、手間がかかって、関係性が大切なものこそ、“贅沢”で”羨ましい”。昔は、当たり前だったから感じなかった。どんどん楽なほう、省力化して効率的なほうに流れていったら、足りなくなったもの。それが自分で手間を掛ける生活なんだと思う。
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この田舎と都会の両方を楽しむというライフスタイル欲求が表しているのは、「縦のつながりの豊かさ」だろう。
ここ数年、「コミュニティ」というワードと一緒になって「横のつながり」が意識されてきた。同じ目的を持った仲間や自分が住む地域住民とのつながり・・・というふうに。
しかし、都会で横のつながり(コミュニティ)が形成できはじめると、田舎にはあった縦のつながり(世代をまたいで受け継いでいくもの)が足りないということに気づきだした。
都会では、縦のつながりを意識することが少ない。親子孫という世代の繋がりということも感じづらくなっているが、仕事や事業スタンスでも、縦のつながりは軽視されている。短期間に自分が蒔いた種を自分で刈り取ることに、何の疑問も持たないだろう。
しかし、田舎には、自分の代以降のためにやる「仕事」という考え方がある。よく言われる「暮らし」と「稼ぎ」と「仕事」の3分類だ。平日の糧を得るための仕事が「稼ぎ」で、地域社会のために提供するのが「仕事」。残りの生活が「暮らし」という分類だ。
この分類で言えば、「縦のつながり」は「仕事」(地域社会のために提供するもの)となる。
田畑があるのも、先代以前のこの地域の先祖が開拓してきたから。地域という単位で一緒に治水を行い、それが社会資本として残っている。行政に丸投げ意識がある都会では忘れてしまっている、顔の見える公共インフラの話がたくさんある。
一方で「稼ぎ」にも「縦のつながり」で産み出されるものもある。
森に行って、木の間伐の話を聞いたときもこれを思った。枝を剪定して、できるだけ節ができないように育てていく。でも、その木を売ってお金に換えるのは自分ではなく、次の世代。自分だって、先代が手入れしたものの恩恵を受けている、と。
憧れのライフスタイルに「田舎での暮らし、手間のかかる生活」が出てくるのは、上の世代から受け取ってきたものは利用しときながら、次の世代へ何かを残していない自分たちへのいらだちからかもしれない。
次の世代に文化を継承する、何らかの知恵を残したい、永く使える価値のあるものをちゃんと伝えていきたい。これが今のトレンドのインサイトなんじゃないのかなぁ。
■蛇足
と、「縦のつながり」について考え始めたのは下記の本を読んだから。遠野で活動しているランドスケープ・デザイナーの田瀬さんの実践記は、心に響いた。月並みな表現だけど、「本当の豊かさってなんだろう?」
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