先日、やっと六本木の21_21 design sightでやっている「テマヒマ展」を観てきました。
いろいろと感じることや、考えたことがあるのですが、ずばり「経済成長のみを標榜することへの静かな反動」だなぁと。
僕自身、仙台出身でずっと見慣れてきた物たちなのですが、作っている人の顔と作業の映像、背景にある自然も含めたコンテキストの中に置かれると、もう間違いなく「静かにずしりとくるメッセージ」でした。
以下に、佐藤卓さんと深澤直人さんの企画意図のメッセージと、会場で手にしたフリーペーパーに書かれていたナガオカケンメイさんのコメントを引用しておきます。
佐藤卓さん
永い年月、厳しい自然と折りあいをつけながら、生活のために伝承されてきた東北に残る食と住から、私達はこれからのために、今、何を読みとることができるだろうか。伝承とは、先代のやっていることを最初は見よう見まねで身体で覚え、熟達したものが次の世代へと引き継がれていくこと。そこには、つくり方のマニュアルもなければ、丁寧な手ほどきもない。その家に生まれたら、それをすることが宿命だと身体に思い込ませ、受け継いでいく。
今、残っている素晴らしい手仕事を褒めたたえることは容易いが、どうしてこの地域に残ってきたのかを掘り下げ、そしてその精神をなんとか未来に残していく方法を探らなければならない時がきている。なぜなら、その永い間受け継がれてきた日本のものづくりの精神が、近代の『便利』を崇拝する合理主義に、歪んだ民主主義と資本主義が折り重なり、急速に消えつつあるからだ。
『便利』とは、身体を使わないということである。現代社会はできるだけ身体を使わないで済む『便利』なものを、疑うことなく受け入れてきてしまった。身体を使わないと人間はどうなるか。ここに記すまでもなく、様々な現代の病がそれを物語っている。この『便利』というウイルスは、一度生活に入り込むとなかなか元には戻れない手強いウイルスなのである。このウイルスが、日本の風土をことごとく蝕んでしまった。しかし、僅かな麹から幻の味噌を再生するように、今に残る手間ひまかけた手技からその精神を汲み取って、なんらかの方法で未来に向かって引き継いでいくことはできないものだろうか。この展覧会で、少しでも東北に残る日本のアノニマスなもの達に接していただき、日本のものづくりを今一度考えるきっかけにしていただければ幸いである」
21_21 DESIGN SIGHT企画展「テマヒマ展」 メッセージより
深澤直人さん
すだれのように吊り下げられた数千本の干し大根。天にも届きそうなくらいに積み重ねられたリンゴの木箱。やわらかく煮るために、ひとつひとつ木鎚でつぶされる大量の豆。すべては人間の手の動きと自然が織りなした東北の生活のテクスチャーであり、生活に刻まれたリズムである。自然と季節の力を借り、それも無駄のないひとつの道具として授かり、日々の恵みとして蓄え続けて行く様。この停まることのない緩やかな循環が東北の人の生きるペースである。
この生活には手間ひまがかかっている。しかし穏やかで強く、迷いがない。このペースは自然と共生して来た長い経験によって、エコロジカル(生態的)な営みに同期し、破綻がない。手間ひまをかけるものづくりは常に『準備』である。その営みに終わりはないし完成もない。しかしその手間ひまが生み出すリズムが、行く先を見失いかけている今の人間のペースを穏やかに緩和し、大切な何かを明示し、焦りの心にひとつの糧を与えてくれるような気がしてならない。
訪ねる東北の先々で必ず同じ質問をしてみた。『なぜもっと楽に、合理的な方法でやろうとしないんですか?』と。返事は、『??...?......。無理をしないってことかなぁ』と。『無理』は循環を壊してしまうことを意味している。粘り強く淡々と繰り返される一見単純そうに見える作業が、穏やかで豊かな生活の循環を生み出している。『テマヒマ展 〈東北の食と住〉』にその空気を持ち込めるだろうか。急ぎすぎて混迷する現代を救う啓示に満ちた生活の美を持ち込めるだろうか。東北には今、人が見失いかけている真の豊かさの定義と、飾らない美の真髄が潜んでいると確信している
21_21 DESIGN SIGHT企画展「テマヒマ展」 メッセージより
ナガオカケンメイさん
日本がもし低迷しているように感じるとしたら、それは間違いなく「自分たちらしさ」を捨てて、ただ儲かればいいという気持ちの迷いから「自分らしさ」を捨てたことおが原因だと思います。経済の低迷や自然災害を機に、また、グローバルという言葉から海外進出していく中でも、やはり、そこで迷うとしたらならば、その原因は「らしさ」がないふんばりの利かない戸惑い。それは企業に限らず、国も私たち個人にもいえます。
他県からの友人をもてなすとき、出来れば自分の土地を感じ、味わってもらいたいと思うでしょう。そんな時、昔の人が作り育て続けた地酒を振る舞い、伝統文化を育ててくれた先人たちの何かを利用する。改めて「感謝」することもない「日常」となったそんな「らしさ」は、その土地の個性豊かに時代を進む武器となります。
d design travel DESIGN TRAVEL WORKSHOP in YAMAGATA フリーペーパーより
DIY精神で創作活動を行うことで浪費しなくても、心が満たされてしまうポジティブな「生産>消費」好きの状態を愉しんでいかなくちゃ。そもそも、このblogがそうなわけですがw
蛇足:東北の手仕事には、厳しい自然環境によってままならない自分たちを、少しでも安心させる役割があったと思います。手間暇はかかるが、没頭して手を動かして物を作ることで、不安を和らげることができます。もしかしたら、都会に住む現代人がジョギングしたりジムに行くのも同じ精神構造かもしれません。不安解消であり、心を整える効能があったはずです。
関連エントリー:物が売れないのは、消費より生産することが楽しい時代になったから。