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2012/06/28

完璧さを求める窮屈な社会をやめてみませんか?



下の写真は昨日の朝、駅に向かう途中に見つけた飲食店に掲げられた手書きのお知らせです。






休業のお知らせですが、どうして休業になったのかを、店主の言葉でぶっちゃけて書いてあります。


こうなると、じっくり最後まで読んでしまいますし、かなり感情移入してしまいます。僕だったら次に行ったときに、絶対に「指大丈夫ですか?」と声をかけるでしょうね。


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その後、ふとなぜこの手書きのお知らせに惹かれるんだろうということを考えました。 


「自由さ」と「ほほえましい人間らしさ」がにじみ出ているからなのですが、背景には今の日本社会の中で、この「自分の都合をぶっちゃっけられて」さらに休業を「自分で決断できる」ということが、非常に難しいという現実があるからでしょう。


自分で、自分の弱い部分や失敗を見せることができ、自分の行動を決断できる「権限」を持っていること。これが、しがらみの多い我々の暮らす社会では希少価値なのです。


・いかにも自分が完璧な人材だとアピールしなくちゃいけない(就職活動の面接アピール、セルフブランディングetc.)社会


・新人だろうが、ベテランだろうが、前線に立つからには完璧を求められる社会


・サービスレベルでも非常に高いレベルを得られて当たり前だと思っている消費者社会


と考えてみると、求める側の立場になったときに、つい高い基準(人材要望レベル、サービスとしてのあるべきレベル)を求めちゃったりするのですが、ここまでなんでも完璧を求められるのは、やはり「窮屈」ですよね。


もうちょっと、不完全な部分も受容できる「人間らしい」レベルにできないものでしょうか? 結局は完璧さのためのコストが価格に跳ね返っているわけですし、自分たちの労働環境を苦しくしていることに繋がっているんですよね。


まずは自分がモンスター消費者にならないようにすることから。この窮屈な社会を生み出しているのは「お金払ってるんだから、なんでも要求するのが当たり前」という感覚でしょう。


一方で愛嬌がある人は、うまく完璧性の罠に陥らずに、自分の弱い部分を見せる勇気を持っています。今のところ、社会の求める水準が変わらないうちは、モンスター消費者にならないように気を付けながら、愛嬌を磨くしかないのかもしれないなぁ。




関連記事:「自分のダメな部分を見せたほうが得な時代


 一方で素晴らしい日本のサービスレベルについて書いた関連記事:「日本の接客サービスクオリティって、もはや観光資源だよね。



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