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2014/06/25

「○○の多様化」は、逃げ文句では?


一度自分の気持ちにひっかかった表現があると、打ち合わせ中でも会話中でも、「また、それか!」と気になって話に集中できなくなる。

最近のマイブームは「多様化」だ。会話の中でも、「多様化してますからね〜。」とか、ニュースなどでも「ライフスタイルの多様化によって…」と聞くたびに、本当かなぁ?とつい考えてしまう。

今、“手垢のついた表現”として、乱用されている表現の最右翼が“○○の多様化”かもしれない。

この「多様化」が使われるのは多くが、要望に答えられない理由や、迅速に対応できない言い訳として「多様化」が使われている。

でも、本当に要望に答えられないほどに、要望が多様化しているのだろうか? 政治や行政が対応できないほど、社会の望む方向性が見えないのだろうか?

−− 冷静に考えてみると、ベクトルは一つじゃないだろうか?

従来型の富国強兵型の経済成長のために、いろいろなことを犠牲にしてもらガリガリやるのだということをなんとなく共有していた世界(この時代にも多くの疑問を感じていた人がいた)から、もうちょっとバランス良く人間的な生活を送りながら経済的に安定できる方法はないの?という層のボリュームが大きくなっただけだろう。

つまり生活者の要望は明確で、「みなさんが望んでいることの方向性はこっちですよね」と提示できるはずです。

しかしながら、それをやらないのは、今の日本の置かれた社会環境で、誰にでも楽してその要望を手に入れられるほど、甘くない、からなのでしょう。要望や課題を特定してしまえば、それを解決しないのは政治家や行政が責められることになってしまうから。

もはや、これは社会課題ではなく、各個人の課題だと認識すべき時なのかもしれません。


多様化しているのはニーズではなくて、要望を手に入れるための個人の実現方法のほう。個々人の持っているものを社会に提供しながらバランスの良い人間的な生活を手に入れる。それぞれの立場で、機会を活かしてバランスの良い人間的な生活を手に入れる…etc。個人が考え、動いて手に入れるものなのです。

言うなれば、行政や政治が(国家がと言ってもいいかもしれないが)一律に対応できる手法ではないということです。(税収が今後も伸び続け、人口も増加していく環境であれば別ですが)

まとめると、「○○の多様化によって、あり方を検討中」ということは、「政治が対応しかねることなので個々人で頑張ってね」というふうに読み替えるとすっきりする、ということです。

何かが欲しければ、誰かのせいにせず、自分で工夫して手に入れる時代。文句を言っているぐらいなら、自分でHackする。そしてそれが思っている以上にできる時代です。



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2014/06/19

危機的状況こそが、新しい自分を創る。


月〜金の9時−17時で仕事をいかに進められるのかの切迫感が以前とは変わりました。そして夜に、つい仲間と飲んで情報交換するのは当たり前、人と会うのも飲みながら…という当たり前もかなり減りました。

時間の使い方も生活スタイルも一年前とは大違いです。

理由は、双子が生まれ保育園に無事に入れたことで、この時間に集中して仕事ができないと、朝も夜も育児は時間が読めないので危険だから。

振り返ってみると、こういう働き方ができるようになったのは極端な状況に陥ったからこそだと思います。双子という想定外のおかげで今までのやり方では、ちょっと無理かなぁと、ゼロリセットして考えることができたから。

ライフスタイルや習慣を変えさせる一番の方法は「危機的状況」です。

一番中途半端で良くないのは、120%とか130%“頑張れば”なんとかなってしまうという状況です。200%頑張らないと超えられない課題がやってくれば、自然と「その他の選択肢」を考えることに頭が動き始めます。

emergency(緊急事態)とemergence(創発・覚醒)が、同じ語源だと言われますが、緊急事態ぐらいにならないと、過去のしがらみを捨てて新しいものを産み出すことにシフトしないのかもしれません。

とはいえ、多くの周りの方々がこちらの状況を察してくれて、ご配慮いただいているからです。ありがとうございます!(と、周りが協力してくれる効果も、危機的状況だと生まれますw)

やっぱり、ピンチはチャンスですねぇ。
とはいえ、子供が寝た夜中にごそごそ仕事している分もあるので、もう一段、楽にできる方法を考えなくちゃなぁ。


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2014/06/10

一番贅沢な旅は「お金では買えない旅」


あちこちに旅に出ていて(主に出張兼ねてですが)感じるのは、ガイドブックに掲載されているスポットは、誰でも訪れることができて、“商品”として均一に提供されるコト・モノだけだということ。

でも、一番贅沢で、一番興味深いのは、知人・友人を介して「あなたであれば」と紹介してもらったり、体験させてもらったりするコトです。

もちろん、これは“商品”ではないので、お金を出しても提供してもらえるものではありません。そこで聞ける話だって、こちらとの関係性や会話によって聞き出せる一期一会のもの。

そして、お金では買えない・商品にならない属人的な旅では、友人・知人の近況を確認しあうためにも同じ場所を何度も訪れるリピーターにさせる力があります。

−−−
こんなことをあらためて考えたのは、先週末に行った素敵な人に会いに行く「天童脱藩ツアー」のおかげです。

仕事から始まって友人となった天童市の方々のおかげで、天童の自然・ものづくり・祈りを知ることのできる貴重な体験でした。

Blog読者へのおすそ分けとしてハイライト部分を写真で紹介します。これがないと上で書いたことの実感が伝わらないので。

■天童木工でのリングスツール制作体験



■無農薬農家のかわはらファームでの稲の敵「ひえ」取り体験







■坂本大三郎さんによる「山伏」のお話と法螺吹き体験



■地元の素材で、美味しく・美しく作っていただいたおもてなし料理





■世界に挑戦する「さくらんぼジャパン」のさくらんぼ摘み体験




−−−
グローバル資本主義の文脈にのらないもの、平等ではないもの。一番贅沢で、思い出に残り、見えるものを変える旅は、お金では買えません。

マニュアル化、業務フローの標準化の中で、企業社会や役所では疎んじられてきた"属人"的なもののを見直すときなのかもしれません。

関連記事:仕事は「属人化」したほうが、好都合なんじゃない?

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2014/06/03

年間を通してコンスタントに働くのは、当たり前?



“年間を通してコンスタントに働かないといけない、という考えをやめました。ここは自然の力が大きくて冬は出歩けないから、さからわずに休むことにしています。via.「思い通りにいかない」が暮らしをつくる。山を暦代わりにした暮らしを実践するカフェ「麦小舍」|greenz.jp

この記事を読んで、自然のサイクルによって悪天候の時や冬など、仕事ができない環境を与えてもらえるのは、人間にとってありがたいことなのかもなぁ、と思い始めました。

自然の影響を受けずにコンスタントに働けるようになったおかげで、現代人は生産量も増え、社会的な富も増えました。しかしながら失ったものもあります。

一番の損失は、もともと冬にあった“篭って自分と向き合う時期”を失ってしまっていることでしょう。

バケーションも“篭って自分と向き合う時期”として、機能しています。語源としても、「vacant=空っぽ」なわけで、その時期があるから新しい創造が生まれる種まきができます。

生産には、外から見ると「冬」のように見える休んでいる・遊んでいることが次につながる仕込みの時期が必要です。

自分に当てはめても、楽しいお茶飲み話や、会いたい人に話を聞いている時間、移動の時間、旅に出ている時間、そこで考えたこと、この時間が自分の生産活動を作っています。

知的労働をしている人にとって、この「冬」の期間を創ることが、生産性を高めることに繋がると思っています。自分の価値を高めていくには、休む・遊ぶことでしか生まれないと言い切ってしまってもいいかもしれません。


年間の“休み”や“学び”の時間を、“働く時間の残り”で必ずしも考える必要はないはずです。むしろ逆で、“遊ぶ時間”“休む時間“を優先することで、わきあがってくる“仕事欲”を仕事にぶつけて事を成す時代なんだと思います。

はやいところ、知的労働者は「休んだもの勝ち」「遊んだもの勝ち」ということが、社会的に認識されるようになってほしい。いや、そうか。自分が「遊んだもの勝ち」を証明していけばいいのか!

関連エントリー:"仕事のために"とか言い訳してでも、愉しんだり遊んだりしたほうがいい理由。

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