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2012/04/09

これからの「クリエイティブ都市」に住むことの重要性

■住む場所の重要性はむしろ増している



どこでも仕事できて、どこにでも移動することの時代。しかし、住む場所の重要性はむしろ増してきているように感じられます。




リチャード・フロリダの「クリエイティブ都市論」にも住む場所の重要性について要約すると以下のような主張があります。


トーマス・フリードマンが「世界はフラットになった。どこに住んでいようと、グローバル経済に参加できる」と主張するのに対して「世界はフラットではない。世界は鋭い凹凸があって『スパイキー』だ」

グローバル経済の波とテクノロジーの発展をもってしても、なお「住む場所」が人生、つまりは職業・職業的成功、仕事の人脈、快適な暮らし、伴侶を見つけることに影響を与えている


たしかにその通りで、人生の中で「自分の住みたい場所」に気がつくことはものすごく価値が高いことだと思っています。


僕自身が、三宿というエリアに住もうと思ったのも、都心に近いのに緑が多く、クリエイティブな人(昼にスーツじゃなくブラブラしている人)が集まる地域だというのが大きかったです。面白い人が集まる美味しいお店が多く、IIDのような地域に開かれているクリエイティブな場所があることも重要なポイントです。渋谷や代官山、恵比寿に近いので、人と会いに行きやすく、人的ネットワーキングが構築するのに便利だということもありました。


以前、「どの時代にも才能が集まる場所がある。重要なのは無名でも刺激しあえる仲間を見つけること」というエントリーを書きました。この観点で東京はまだ魅力的な場所だと思っています。(僕の感覚では「東京」という括りは、当事者感を持つには広すぎるのですが…)




■「地方自治」も個人が「当事者」として関わる時代

さて、ここまで「住む場所」の重要性について書いてきましたが、もう一つ「自分が好きな場所に住む意義」があると思います。


それは、自分が住んでいるエリアに対しての「当事者」になれるということ。従来、そのエリアに住んでいる人は行政サービスに対しての受益者という側面しかもっていませんでした。しかし、自分が好きな場所であれば、行政サービスや地方自治の主体者として自分の能力を提供したいと自然と思ってきます。TechWaveの『「これからの地方自治は明るい」と断言できる根拠』というエントリーも同じ流れを紹介しています。


自分が好きな場所をより素晴らしい場所にするために、手を差し伸べるのは「自分ごと」だからでしょう。地域に根ざした企業や、地域でビジネスを行っている商店も、「自分ごと」として活動を行うでしょう。


だからこそ、住む場所(都市)の力はフラットではなく、スパンキーになるのだと思います。「自分ごと」と思える人や企業が多く集まるエリアは、どんどん魅力的な場所になっていきブランドを確立していきます。一方で、そう思えない地域は、地方自治は国に依存しながらやっていくことが続くでしょう。


追記:ポートランドでの事例がイメージわきやすいかもしれません。すでに講義は終わっているみたいですが、以下引用です。


アメリカで29番目の人口都市であるにも関わらず、NIKEやワイデン+ケネディを始めとした世界に誇れる企業やカルチャーが生まれ続けているインディペンデントなクリエイティブ都市ポートランド。美味しいコーヒーショップがなければ自分たちでローストして創ればいい、カッコイイ自転車がなければ自分たちでセルフビルドして創ればいい、といつもクリエイティブなDIY精神で、大都市経済に流されず自立した存在感が凛々しい都市ポートランドに、クリエイティブクラスのヒントを学びます。


今後、スコットランド、シドニー、香港編もあるみたいだから参加してみようかなぁ。クリエイティブ都市に複数拠点を持つのが、自分への最高の投資なんだろうなぁ。



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2012/04/02

冗談かと思った・・・「会社にしがみつくための雑誌」w



先日、書店で見つけて戦慄を覚えた雑誌「DEFENCE」です。もうすでにエイプリルフールも過ぎていますが、念のために書いておきますが、実在する雑誌です。


書店の経済誌の棚にあったのですが、周囲の雑誌が「厳しい環境下でも、うまく戦っている企業を特集している」中、異彩を放っていました。


厳しい環境で、個人で何とかしていこうという考えの対称として、「会社にしがみついてなんとか持ちこたえよう」というコンセプトの雑誌です。同じ環境認識の中で、どう対処するかのアプローチの違いでしょう。(でも、こういうネガティブな雑誌ってレジに持って行きづらくて結構売れないような気がするのですが。。。)


特に気になった特集は・・・


今こそポジティブに「会社にしがみつけ!」リストラ知らずの会社で生き残る技術

知らなきゃ捕まる法律問題Q&A

取引先から社食のおばちゃんにまで対応怒られないテクニック

コレだけ覚えりゃ上司&部下にナメられない!無知・無能を“隠す”会話術


びっくりな内容ですが、背景にあるのは厳しい環境認識と、会社にいても自分の身を守らないといつリストラされるかわからないという危機意識です。


以前、「生き方のスタンス」が違うと友達になれない?自己責任派と他人依存派の埋められない溝というエントリーを書きましたが、まさに「他人依存派」ターゲットの雑誌ですね。


どうせサバイバルしなくちゃいけないのだから、どの方向にパワーを使うかが重要だよなぁ。


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2012/03/22

依存から脱却するために「自分マルチアカウント」化のススメ




自分がいままでやってきたことを、あらためて振り返ってみると、何か一つに依存することを避け続けているようです。(TechWave塾9期の講演資料を作っていて、気がつきました)。


僕だけでなく、今多くの人が潜在的に求めていることに「依存からの脱却」がある気がしています。



■依存することを避ける理由

当たり前のように思える福祉国家、エネルギー、誰かが保証してくれる安全、収入源と所属先を与えてくれる会社という組織...いつの間にか依存関係になっているものが沢山あることに気がつきます。

わかっていて、「自分で何とかしよう!」という人と「今頃、そんなこと言われたら困るよ。なんとかしてよ!」という人に表面上は分かれていますが、根底には共通した問題意識が流れていると思います。(参照:「生き方のスタンス」が違うと友達になれない? 自己責任派と他人依存派の埋められない溝

私たちは、いつのまにか固定概念として「依存してきた」ものを疑い、自分の頭で考えて、個々人が選択し直すタイミングに来ています。

コミュニティにしろ、組織にしろ、職業にしても、何か一つに依存してしまうと、盲目的になります。自分たちの所属する場所のルールで、他のコミュニティや組織を見て、攻撃しがちです。新しく入ってきたと、古くからいる人の間でヒエラルキーをつくりたがります。しがみつく人にとっては、その組織やコミュニティが存続することが目的となっていきます。

一つに依存すればするほど、「自由な思考」も「客観的な視点」からも遠くなっていきます。「洗脳」もきっと同じ構造でしょう。

現在依存している組織のルールが、時代と合わない・おかしなものだと気が付き、他のものに乗り換えようと気が付いたとしても、一つに依存していれば身動きが取りづらくなります。

だからこそ、「依存することの危険性」を感じた人たちにとって、一つに依存しないということを選択して生きる方法が求められているのです。

■自分をマルチアカウント化すること



「依存からの脱却」の一番現実的な手段が、分散化・複数化です。


一つの仕事ではなく、複数の仕事。一つの収益源ではなく、複数の収益源を持つ。人間関係も、職場だけでなく、信頼でき相談できる複数のコミュニティを持つ、といった状態です。


私のように独立している状態であれば、分散化・複数化を行うことができますが、企業に所属している人にとっては、環境的になかなか難しいと思います。

企業に所属している人でも、自分をマルチアカウント化してしまえばいいのです。


会社だけでなく、趣味でも、興味ある分野に関しての勉強会でもいいので、自分がつながりたい軸ごとに複数のコミュニティに参加するのです。


「○○会社の××さん」という一つのアカウントだけでなく、「○○に詳しい××さん」としてマルチアカウント化するのです。


各々のコミュニティで勉強を続け、他者への智の共有を心がけ、会社の肩書き以外のエッジを立てて、その分野での信頼を蓄積するのです。


もちろん、所属する会社コミュニティでも、自分の信頼を蓄積していくのも忘れずに。他のコミュニティで高い評判を構築出来ている人は、企業コミュニティでも評価が高いことが多いですし、人はどこで繋がっているかわからないですからねw


リアルの世界で難しいのであれば、自分が信頼を蓄積したい分野でのBlogを構築していってもいいと思います。


依存状態から自由独立状態になるには、時間が必要です。


複数のコミュニティで信頼を構築していくのですから、当たり前です。「悠々として急げ」という言葉が一番しっくりくると思います。すぐには到達できません。しかし、時間をかけながら信頼を構築しているということは、自分が間違いなくバージョンアップしていっているはずです。


もう一つ、自分の損益分岐点を下げておくという手段も並行してやっておくと、依存状態から早く脱出できるように思います。


一つのゲームのルールだけで生きるのでなく、いつでもそのゲームから外れて、他のゲームにいつでも参加できるように虎視眈々と準備しておくのは悪いことではないと思いますよ。


■蛇足
ノマドに関しても、多くの人を魅了するのは本来のノマドは「依存しない状態」になっているからだと思います。本田直之さんの「ノマドライフ」を読んで、気がつきました。本田さんは15年かけて構築したと言っていますが、この感覚はすごく理解できます。






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2012/03/16

「中国化する日本」:日本の未来は、グローバル中華民主主義or再江戸化?


本を読んで得られるもので、一番嬉しいのが、事象に「新しい視点」を提供してくれることです。切れ味の鋭い「補助線」を一本引くことで、世界の見え方が変わってくる。それが僕にとっての知的好奇心です。

先日読んだ「中国化する日本」は、まさしくそんな切れ味の鋭い補助線を提供してくる一冊でした。


どうやら、切れ味が鋭い補助線ほど、賛否両論が巻き起こるようです。その様子こそが、著者の提示している日本で1000年も続いている対立の構図の縮図のリアルタイム版のように見えます。(アマゾンの書評コメントなど)


中国化とは?
宋朝時代に、身分制や世襲制を撤廃された結果、移動の自由・営業の自由・職業選択の自由が確立されたもの

1:権威と権力の一致・・・皇帝が名目上の権威者に留まらず、政治的実験をも掌握する

2:政治と道徳の一体化・・・儒教思想=普遍主義的なイデオロギーによって正統化したため、政治的な「正しさ」と道徳的な「正しさ」が同一視される

3:地位の一貫性の上昇・・・皇帝が行う科挙=「徳の高さ」と一体化した「能力」を問う試験で官僚が選抜されるため、「政治的に偉い人は、当然頭もよく、さらに人間的にも立派」(逆もまた真なり)という建前が成立する

4:市場ベースの秩序の流動化・・・貨幣の農村普及などの政策により、自給自足的な農村共同体をモデルとした秩序が解体に向かい、むしろ商工業者が地縁に関係なく利益を求めて動き回る、ノマド的な世界が出現する

5:人間関係のネットワーク化・・・科挙合格者を探す上でも、商売上有利な情報を得るためにも便利なので、宗族(父系血縁)に代表される「広く浅い」個人的なコネクションが優先される


裏返すと日本文化論


1:権威と権力の分離・・・権威者=天皇と、政治上の権力保有者は別の人物。政党や企業でも、名目上のトップと、運営の実権は組織内の複数の有力者に分掌されている

2:政治と道徳の弁別・・・政治とは複数の有力者のあいだでの利益分配だと見なされ、利害調整のコーディネートが為政者の主たる任務となる。当時体制の外部にまで訴えかけるような高邁な政治理念や、抽象的なイデオロギーので出番はあまりない

3:地位の一貫性の低下・・・たとえ「能力」があるからといってそれ以外の資産(権力や富)が得られるとは限らず、むしろそのような欲求を表明することは忌避される

4:農村モデルの秩序の静態化・・・前近代には世襲の農業世帯が支える「地域社会」の結束力がきわめて高く、今日に至っても、規制緩和や自由競争による社会の流動化を「地方の疲弊」として批判する声が絶えない

5:人間関係のコミュニティ化・・・ある時点で同じ「イエ」に所属していることが、他地域に残してきた実家や親戚への帰属意識より優先され、同様にある会社の「社員」であるという意識が、他社における同業者(エンジニア、デザイナー、セールスマン・・・)とのつながりよりも優越する


著者は、源平合戦も、中国化を推し進める平家と、反中国化を志向すう源氏の戦いと整理しています。結果、反中国化勢力が勝ち、日本文化として定着してきたという流れです。

明治維新で、一度中国化に振れたものの、明治政府の自由競争政策への不満と、江戸時代の不自由だが安定した社会への回帰願望の自由民権運動によって、再び反中国化(=江戸化)に戻ってしまう。小泉内閣で一度中国化に向かうものの、またまた反中国化へ戻っている。しかし、今後は・・・?

以下の当時の論点も、非常に現代と似ていますし、中国化に対して争った源平とも同じ対立軸です。

A:もっともっと自由化を徹底し、今は負け組の人でも戦い続ければいつかは自力で勝ち組に這い上がれるような、より競争的で流動的な社会を作る

VS

B:進展する一方の自由化をむりやり引き戻してでも、一人勝ち状態になっている一部の人間がやりたい放題の状況を抑制し、多数の弱者の人々もそれなりに尊重されているという実感を持てるような社会を作る

世界のスタンダード(中国化)に対して、反中国化としてぶつかることが1000年も続いているのが日本の状況だという切り口は、本当に面白いです。

正規非正規雇用の話と、江戸時代の農村の長男と次男以下の人たちの置かれている状況。反中国化でやってきた日本では、制度的に老人を守り、多くの若者が厳しい環境(機会の平等が得られない)状況に置かれてきたことも書かれています。

この切り口で考えると、ノマド論争も「中国化」を巡る戦いのように見えます。

・中国化を志向するノマド層
自分の能力を活かすためには、「イエ」から飛び出て活躍したい。厳しい環境であっても「イエ」に依存せず、自分の能力で戦っていきたい。正規雇用じゃなくても、能力で這い上がれる社会にしたい

・「江戸時代化」を維持したい層
お前達は仕事ができるからだろ!結局高学歴じゃないか!仕事ができない人はどうするんだ?「イエ」を大切にして、格差が少なく、そこそこでも食っていける社会がいいよ

日本が進む道として、こうやってちゃんと論点を明確にしないと、全体としては前に進みません。(個人は自分次第です)。「中国化」というワーディングに違和感を感じる方も多いかもしれませんが、ぜひ一度読んでみて欲しい本です。

関連エントリー:ノマド論に対して、会社員とフリーが対立することの不毛さ


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2012/03/13

なぜ会社組織は個人化していき、仕事はプロジェクト化していくのか?



私自身が、一人株式会社という「個人化した会社」形態で働いているので、会社組織の個人化の流れについて書くとポジショントークのように映るかもしれません。


しかし、それでも今の日本という環境では、大会社組織が時代に合わなくなってきているのでは?ということについて書かないわけにはいきません。


考えていることは、どの組織形態にもメリット・デメリットがあり、置かれている環境によって、最適なものを選んでいけばいいということです。題名にも書いたように、会社組織は個人化していき、仕事はプロジェクト化していくと考えています。


■大企業・会社組織の得意な環境


・環境:「こうすればうまくいく」という方程式が明確で、そのルールを活用できる期間が長く続く
・手法:方程式に則ったマニュアルを、社員に教育し、拡大・横展開。方程式が明確だからこそ、資金を集められる大資本が勝てる
・金融機関/投資家:方程式と手法が明確なので、説明し、拡大のために必要な資金を集めることができる
・人材:方程式を理解し、決められたことをキチンとこなす社員。うまくいく方法を誰でも利用できるようにマニュアル化する社員


■個人・プロジェクト型組織の得意な環境


・環境:「こうすればうまくいく」という方程式は不明確で、かつ使えるのは短期間
・手法:状況や環境に合わせて、最適と思えるビジネスモデルを作り、一定期間で撤退。資金がなくても、個人が持っている信頼や知名度を担保に差別化の要素を作る
・金融機関/投資家:方程式が不明確のため、金融機関や投資家に頼らない。自分たち個人が蓄積した信頼を元に、チームを組み活動
・人材:置かれている環境と、持っているリソースを組み合わせて、最適解を見つけ、自分たちで動く人材。自分の得意分野や能力を活かして協力できる人材


大会社組織という拡大再生産でまだまだ行ける産業構造が、日本では少なくなってしまいました。そのため、大会社組織が得意な部分を活かせることが少なくなったのです。この環境変化はより加速するように思えます。


ビジネスモデルの賞味期限が短命化すればするほど、組織ではなく、強い意志を持った個人が判断しなければならない場面が多くなるからです。徐々に大会社という組織よりも個人が重要になっていき、プロジェクト型組織に変化していく方向は間違いないでしょう。


■大企業も個人も過渡期には弱い部分を補完して適応


いままでは弱者だった個人・プロジェクト型組織が“相対的に”魅力に写り、注目が集まってきています。しかし、個人ではまだまだ大会社組織に比べて「信用」が低いのが現状。そのために、信用を上げることにつながる出版やblog、自分を担保してくれる人々による紹介が不可欠です。


まだまだ過渡期である現在では、個人・プロジェクト型組織が弱い「信用」部分を担保する活動を続けることで、弱みを補強してやっている段階です。


僕自身、この働き方で企業と組んで仕事をしています。その場合でも、大企業の組織はすでに「プロジェクト型」の仕事スタイルです。


チームメンバーそれぞれが何らかのプロフェッショナルであり、企業の中の人も、僕のように外部からプロジェクトに参加している人たちもいる状態です。


大企業組織も「プロジェクト型」の仕事を外部の人間と一緒にやり始めることで、この環境に最適化しようとしているのです。


まとめると、この過渡期において、大企業組織はプロジェクト型の働き方を取り入れて適応しようとし、個人は信用部分を担保する活動を組み合わせながら時代に適応しようとしています。



■残された課題・・・
「会社が個人化し、仕事はプロジェクト化する」が加速すると切実な問題が出てきます。「雇用」と「人材育成」の問題です。


このことに関して、僕はまだまだ考え切れていません。誰が雇用をするのか? 誰が人材を育成するのか? そのためには大家族制や、個人企業に近いファミリー企業が多く生まれてくるのか? 大会社でも意志決定が明確なオーナー企業が担っていくのか? しばらく考えてみる必要があると思っています。


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2012/03/05

「生き方のスタンス」が違うと友達になれない? 自己責任派と他人依存派の埋められない溝

※近所のタイ料理屋に掲示してあった黒板。なんでこの4語を選んだのか興味がわきます。彼らも考えてみたら日本に来て、頑張っている。きっと自分で自分の人生を切り開いていっている人たちに違いない


ITによる通信コスト削減と航空券価格下落のおかげで、世界は狭くなり、海外の友人も増え、現地の人と交流しやすくなりました。物理的な距離はそのままでも、精神的な距離感はどんどん縮まっています。


一方で、同じ日本に住んでいたり、カフェで隣になった人であっても、別の種族だと感じ、精神的な距離がすごく離れているように感じることが多くなってきました。


この精神的距離を感じさせる、分水嶺は何なんだろう?と自分なりにずっと考えていました。僕なりの分水嶺は「生き方のスタンス」です。


<生き方のスタンス>
・自分で何とかしようとしている人たち(自己責任派)
・誰かに何とかしてもらおうとしている人たち(他人依存派)


このスタンスの違いによって、まったく異なる惑星から来た人のように、話が合わなくなってしまいます。


例えば、こんな感じです。


他人依存さん:「景気が悪いせいで、給料も下がる一方。仕事も年々きつくなってる。政治家もひどいし、日本はホントどうなっちゃうんだろうね?」


自己責任さん:「社会構造が変わってるんだから、新しいチャンスに挑戦していく必要があるよね。国内だったら、高齢者マーケットの課題解決に取り組んでもいいだろうし。新興国マーケットで、できることもまだまだあるし! はたまた、自分のライフスタイル自体を見直すチャンスかもね。」


他人依存さん:「それって、いままでのやり方も変えなくちゃいけないし。新しいことに取り組むのって、面倒だよ。自分の待遇が良くなる保証もないし。それにうまくいくかわかないからね。そもそも政治家がだらしないから・・・」


自己責任さん:「そんなこといっても、個人でできる対策なり、行動しなくちゃ、良くはならないよね? 政治家に文句言っていても何も変わらないよ。個人でできることは、どんどん試していけば? 年金が不安なら、自分で運用始めるとか。会社が不安なら副業をはじめてみるとか。」


他人依存さん:「お前は、そうやって個人でできることやれば?と軽々しく言うけど、誰が教えてくれるんだよ? 誰も個人で行動する方法とか何も教えてくれないし、そんなことできるのはもともと能力のあるやつだけ。」


自己責任さん:「やろうと思ったら、いくらでも情報取りにいったり、人に話を聞きに行ったりできるよね? きっと次には、時間がないとか言い出すんでしょ。もう、いいよ。お前と話していても埒があかない」


と、完全に敵対してしまって話があわなくなります。
学生時代は仲が良くても、「今」の話をするとこういった状況に陥ることが起こります。そんな場合は、話を「昔話」にして、ノスタルジーを満喫したほうが精神衛生上いいです。


前者の「自分で何とかしようとしている人たち」は、与えられた条件は所与として、改善したり、チャンスを捉えて挑戦していこうとします。全体とか確率とかよりも、より具体的な話やノウハウに興味を持ちます。


一方で、後者の「誰かに何とかしてもらおうとしている人たち」は、自分がやらない理由を探しながら、誰かがなんとかすべきだと考えています。与えられた条件に文句を言ったり、こだわることに時間を使っています。そして、一番困るのが、自分で何とかしようと行動する人の足を引っ張って引きずりおろそうとする人もいます。


個人的に面白いなぁ、と思うのは「新興国」に対する反応です。後者の人たちは、マクロデータ(国)やネガティブニュース(事件・事故)に反応します。前者の人たちは、ミクロデータ(都市や産業)やポジティブニュース(うまく行っている事例)に注目して調べます。


きっと、人生を楽しむコツって、「自分で何とかしようとする」ってことに尽きると思うのですよ。そして、自己責任派は、同じスタンスの仲間であれば、手を貸したり、知見を共有することをいとわないでしょう。


僕も同じで、自分が相談にのれることであれば、協力することが嫌いじゃありません。せっかくなんで、誰かに依存せずに、楽しんでやりましょう。



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「これまじ!」に登場させていただきました。


「これまじ!」これ買ってまじ良かったよ!にゲスト出演しました。


同志である大阪のベビログ板羽さんのメディアです。モノを紹介するときに、使っている人が想いを込めて紹介する。なぜその人が、そのモノをオススメするかで、その人となりが見えてくるメディアです。


詳細は、板羽さんに書いて頂いたインタビュー記事を読んでみてくださいね。


最後に自分の本を紹介するときに、自分が発した言葉を自分で引用しておきます。肝に銘じますw


「どれもそのタイミングで僕がメッセージしたいことであり根底には一つの共通した流れがあります。僕は仕事も人生ももっと愉しんでいいもので、そうなることがより素敵な社会になる方法だ!ということです。そして、そのために自分ができることをコツコツと提示していこうと思っています!」



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2012/02/27

ノマド論に対して、会社員とフリーが対立することの不毛さ。




ここのところ、ネット上で「ノマド」を巡っていろいろと対立が繰り返されています。ノマド=フリーで事務所を持たずに仕事をする人という、間違った認知が広がってしまっていることが原因だと個人的には思っています。


だいたい以下のような論点です。
・結局うまくやっているのは、高学歴で会社でもうまくやれたヤツじゃないか?
・ノマドになってみたけど、食っていくのは大変じゃないか!
・コミュニケーションが高くないとやっていけない
・若い世代を、ノマドに憬れさせても、勘違いしてやっていけない人を作るだけ


自分自身が、企業とプロジェクト契約を結んで仕事をしているノマドの一人として、上の議論はまったくその通りだと思っています。ノマドを批判する人たちが言っていることは、その通りです。


会社員でもフリーでも、現代の日本で働く人にとって、共通の不安があるからこそ、「ノマド」議論がより攻撃的なやりとりになってしまっています。ノマドが議論の焦点になるべきではないのです。共通の不安への対応策が議論の焦点になるべきです。


その共通の不安とは何か?
新興国から押し寄せるコモディティ化した仕事を低単価で担う労働力です。
会社員であっても、フリーであっても自分がやっている仕事が、定型化できるものであればあるほど、安く請け負ってくれる(新興国の人たちにとっては満足な単価で)人たちが後ろに控えているのです。


そこに対して、今の生活レベルを維持したいのであればやるべきことは、以下の二つです。
1:経済成長する新興国をターゲットにしたビジネスで起業する
2:新興国の人たちでは代替できない仕事ができるプロフェッショナル・クリエイティブ人材になる


今の「ノマド」に胸騒ぎを覚えている人たちでいえば、「2」の部分について、本気で考えなくちゃいけないのです。
・会社員であれば、代替化されない特技の掛け合わせとして「市場価値の高い」人材になるために経験を積む
・フリーであれば、代替化されるような単純なアウトソーシングプレーヤーになるのではなく、付加価値の高い「時間単価の高い」人材になるために努力をする


上のノマド批判で出ていた「高学歴で会社でもうまくやれたヤツじゃないか?」ですが、この人たちは、自分の価値を高めることを考えると、会社で得られる機会よりも、フリーになって「場数」や「経験」を積むことを選択した人たちだからだと思います。


会社員でも、付加価値の高い仕事や、経験を積んでいる人たちは、このような不安を感じずに自分の市場価値を高めていけます。(もちろん、高める方向が、今の社会に最適化されていて、近未来において価値がなくなるものであれば危機感を高めないとマズイです)


もちろん、現在の給与水準や生活レベルが恵まれていただけと割り切って
3:恵まれた日本の給与レベルを捨てて、より低コストな自由な暮らしを選ぶ
という選択肢も大ありです! しかし、このノマド批判は時折、この3番目である給与水準を下げて、自由を選んだ人にも矛先が向いています。




くしくも、ジャック・アタリが著書「21世紀の歴史」の中で、超ノマド(ハイパーノマド)とバーチャルノマド、下層ノマドという分類をしていました。


超ノマド:世界で通用するエリートビジネスマン、学者、クリエイティブクラス(芸術家、アーティスト、スポーツマン)
バーチャルノマド:インターネットや携帯電話などで交信するバーチャルな人たち
下層ノマド:生きるために移動を強いられる人たち




超ノマドを目指している人たちは、常に自分がコモディティ化しないように努力を続けています。タフな世界です。


ノマド批判に時間を使う前に、この1〜3の選択について、自分がどれを選択していくのかを考えましょう。やみくもにスタイルだけマネしても、壁にぶつかってしまいます。


スタイルに憧れるのであれば、本気で自分を鍛えるための分野を決めて、機会を得るための行動を取ったほうがいいと思います。機会を得るためには、会社に属して修行することも、丁稚奉公するでも、ボランティアで経験を積むでもいいでしょう。


繰り返しますが、今までの生活水準が恵まれていただけと割り切って、今後どうしたいか考えて、それぞれ行動しましょう!これは悲観的なことではなく、新しいライフスタイルについて考えるチャンスなんだと思いますよ。





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2012/02/20

西安で考えた「この時代の日本だからこそ得られるハイブリッドな生き方の恩恵」


先週、中国の西安に出張してきました。いろいろ方にお会いし、現地の物価やショッピングモールや百貨店から、一般庶民が愛用するお店まで視察してきました。


マクロ的な数字や、統計データをいくら集めても、現地での実感値がないと読み取れないからです。何より重要な現地の人の行動原理や、今の気分がずいぶんとインプットできました。おかげで、僕自身もかなりのエネルギーをもらえたようです。


■なぜ西安だったのか?


検索したらちょうどよく、こんな記事が出てきました。説明代わりに紹介します。


  習近平時代への期待 後ろ盾で「西安」へ巨大投資



たしかに西安への投資はすでに巨大なスケールになっている。空の玄関である西安咸陽国際空港は年間の利用旅客数が1500万人、貨物取扱量が16万トン、飛行機の離着陸回数は16万回で、これらの年間増加率はすべて2桁増を誇る。
現在は100億元(約1200億円)を超える予算の下、第3ターミナルが建設中で既存のターミナルの4倍規模。完成すれば中国の三大空港の一つとなろう。
鉄道関連では現在改修工事中の西安北駅も西安駅の3倍以上の規模で東洋全体でも有数の広さだ。地下鉄の建設も急ピッチに進められている。実は私も西安にある西北工業大学での集中講義のため今月に2週間、西安を訪問する。C自慢の西安の大発展の様子を直接見ることを今から楽しみにしている。



写真がその新幹線の駅です。しかし、写真中央に見える薄緑の部分は壁ではなく、ただの間仕切りです。つまりあと半分同じスペースがあるのですがまだ使われていませんw


まさしく西安は急ピッチで成長中でした。新幹線の駅に行ってみたら、国際空港並の巨大さ。それでも、まだ動いている路線は少なく駅の半分しか使っていません。市庁舎も北側に移転し、領事館街が新しく建設中で、いままでの中心街から離れた場所でも、都市計画ががんがん進んでいました。






上の写真は西安の中心部ですが、城壁の中は歴史的な建造物や街並みを重視した観光都市・古都長安として計画的にデザインされています。夜になると古い建造物はライトアップまでされます。(明の時代に復元された物らしいですが、十分古い!)


もちろん物価も高くなってきていますが、それにもまして都市が発展し、住んでいる人たちが経済発展の恩恵を受けているタイミングです。多くの人が自分で、チャンスを掴もうと躍起になっている時期です。


日本にいると中国の経済成長は踊り場というトーンのネガティブなニュースを目にしますが、あんなに広くて内陸と沿岸部の格差がまだまだある中国を一つでくくれるわけがありません。そのため、内陸都市で今から成長していく西安を実際に見ておきたかったのです。

■あの時代の落ちこぼれが活き活き活躍できる社会


現地の方のお宅で、西安家庭料理をいただきました。とはいっても、束縛されずに自由に動きたいからと、家事も育児もいとこにアウトソーシングしていました


お世話になった現地の方が、言っていたことですごく印象的だったことがあります。


「このタイミングの中国に生まれて、良かったねぇ」と。
てっきり経済発展のことを言っているのかと最初は思ったのですが、もっと深い意味がありました。


小さい頃は、中国が世界で一番良い場所と信じさせられていたそうです。しかし観光都市である西安には海外からも外国人がやってきて、彼らの持っている物やプレゼントしてくれる物を見て、もっと世界を知りたいと思ったそうです。


そういう考えを持っていたので、小学校では落ちこぼれで、お前の思想はおかしいと指摘されていたそうです。しかし、小さい頃落ちこぼれだった人物が、外国語を学び、海外に留学し、今では西安に戻って、チャンスを見つけて活き活きとビジネスを楽しんでやっています。


一つの主義に染まらなくても、チャンスを得られる社会になったから、「このタイミングで良かった」と考えていたのです。さらには「何かに所属するのではなく、こうやって自由に仕事できているのはいいね!」と。なにより束縛が嫌いと言い切ってました。


もちろん、先進的な考え方をしている一個人の例かもしれませんが、僕と価値観が近しいので、話も盛り上がるし、心の距離がすごく近くなります。最近は、国ではなく、価値観の違いのほうが大きな隔たりに感じてきます。


■「ハイブリッド」に生きられる喜び

今回の西安出張でも再認識したのですが、僕らは「ハイブリッド」に生きられる恵まれた環境にあります。


一つは先進国の中で、少子高齢化・長引くゼロ成長という国で変わっていく価値観を目の当たりにしながら、新しい「生き方」を生み出す環境に自分を置けるのです。僕自身、個人が主役となる時代の生き方のロールモデルを生み出すために、日々楽しく格闘中です。


もう一つは、自分たちが属するアジア圏がこれからまだまだ成長していく中で、自分たちの持っている知見や技術・センスを活かしてビジネスができる。今からチャンスのある新興国に行くと、ビジネスチャンスは本当にたくさんあります。ただし、決まっていないことやどうなるかわからないことが多いので、日本的な合議スタイルではなく、意志決定権を自分が持って柔軟に動ける環境であれば、多くのメリットが得られるでしょう。


この二つの環境を両方楽しめるのが、ハイブリッドに生きられる僕らの特権だと思っています。


こうやって他国の個人とも価値観で繋がって、個人同士がチームを組んで機会をものにしていける素晴らしい環境を手に入れられます。


僕も「このタイミングの日本に生まれて、良かったねぇ」と思っています。


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2012/02/13

人間が生存していくために「イケてる・イケてない」の感覚が存在する

写真は梅棹忠夫展で撮影したメッセージ「未来のことをかんがえる場合、いわゆる初期微動に敏感でなければいけません。」

時代によって、「カッコいい」という感覚、「ダサい」と感じるものは移り変わっていきます。環境に適応する種が生き残るといわれているように、この「イケてる」「イケてない」の感覚は、生存するために社会を調整していくための機能なのかもしれません。


今「イケてる」もの
・持たない生活/身軽な生活
・家族や親戚など仕事以外にも貢献する生活
・多様な価値観を理解しながらも、自分の軸を主張できる人
・一つの組織に依存しない自由を持っている人


今「イケてない」もの
・成金もしくは、燃費の悪い金銭感覚で成り立つ生活
・仕事ばかりで、家族や地域をないがしろにする生活
自分の生きてきたルールのヒエラルキーを他人に押しつける人
・給与をもらっている組織に縛られて、自分の気持ちに嘘をつき続けなければならない人


と、書いてみると今「イケてない」ものは、一昔前に「イケてる」とみんなが憬れたものです。そして、今アジアの新興国に行くと、日本で「イケてない」と感じていたものが「イケてる」ものになります。


あくまで上記の分類は、僕の感覚ですが、やはり自分が置かれている環境でこの「イケてる」「イケてない」の感覚は作られてくると思います。


経済成長が続く環境に置かれれば、その中で最適化するように自分の感覚がスイッチします。そして、今のように先行きが不透明なままだと思えば、生き残るために、節制することが「イケてる」というふうにして適応していきます。


上で書いた分類は、ロスジェネ世代の僕の感覚ですが、下の世代も同じような感覚を持つでしょうし、上の世代になればなるほど異なってくると思います。それと、環境には個人差もありますから、世代論だけでは語れない部分が出てきます。


この美的感覚が、社会を変えていく原動力になっているように思えてなりません。そういう意味では、ファッションやデザインなどの「イケてる」という方向性が未来を示唆してくれています。


パタゴニアがブラックフライデーにやった「Don't buy this jacket」キャンペーンもイケてる感覚の支持者だし、地元を盛り上げるためにデザイナーやアーティストが仕掛け(大学時代からの友人で、一緒によくチーム組んでいるデザイン事務所)ているのもイケてる感覚の実践者だと思っています。


これで、やっと上の写真の梅棹先生の言葉「未来のことをかんがえる場合、いわゆる初期微動に敏感でなければいけません。」に繋がりました。


みなさん、いかがでしょう?



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2012/02/06

「自分だけ得するから、与えることで自分も得する」。ゼロ・サムからポジティブ・サムゲームへのルールチェンジ

via  http://www.flickr.com/photos/wendycopley/2450509351/





■自分の評価・影響力のお裾分けで、貢献できる喜び


先日、Techwaveコミュニティのカジケンがblogを開設し、1記事目を投稿したところ、同日中に1万PVを軽く超えてしまいました。


内容が「今日本で起きていることの傾向と対策。」という多くの人が危機感を抱いていることを俯瞰的に整理して、自分のポジションがどこなのか理解できるという優れた記事であるという要因が大きいのですが、いかんせんBlog開設して一番最初の記事ですからコンテンツ力だけでは、すぐに注目を浴びることは難しいはずです。


数人で分析したところ、やはり最初はFacebookの知人経由で広まっていき、ここの時点で影響力のある個人が多かったため、そのフォロワーに響き、はてブがどんどんついて、いろいろなところで露出されるようになったようです。


この詳細を書きたかったわけではなく、友人がBlogを開設し、そのことを祝ってみんなで記事をオススメしあったときの感覚に何かすごく大きなヒントがある気がして、ずっと自分の中で引っかかっていました。


自分たちの影響力や評価を使って、友人が書いた素晴らしい記事を、自分のフォロワーに対してオススメすることで、評価のお裾分けをする感覚です。


そして、いろいろな人に取り上げられ、紹介されていき、記事が波紋のように広がっていくのを見ていて、自分のことのように嬉しく感じました。


■ポジションが有限で他人を引き上げたがらない、会社組織との違い


では、なぜ会社などの組織では、評価のお裾分けがはたらかないのでしょうか?


それはポジションが有限だからでしょう。


成長している会社・伸長している業界であれば、ポジションが有限だとは感じません。日本の多くの産業のように既存の基盤を守ることに注力している組織では、中にいる人は、どうしてもポジションは有限だと危機感を募らせてしまいます。


頑張っている誰かを応援して押し上げると、自分の敵になってしまう。そういうルールがはたらいてしまいます。


会社に所属する一人一人の個人は良い人なんだけど、会社という器自体がゼロサムゲームになっているため、素晴らしい取り組みをしている個人の足を引っ張り合うような雰囲気が醸成されてしまうのです。




■自分だけ得するルールから、与えることで自分も得するルールへ

資本主義経済から評価経済社会への変化で一番大きな感覚の違いは、ゼロ・サムゲームから、ポジティブ・サムゲームへのルールチェンジなのかもしれません。

そもそも資本主義経済は、有限の物を奪い合うゲームです。アメリカ$は基軸通貨なので紙幣をいくらでも刷れるという話もありますが、通貨価値は相対的に弱くなります。食料も資源もすべては限られているので、このような富を蓄積した人がゲームの勝者でした。

限られた物をめぐって争っているので、戦いに勝って手に入れた物を蓄積しているのが勝ち組で、多くのものを持っていない人が負け組という定義が生まれてしまいました。

一方で、「評価」は相対的にたくさん持っている人と少ない人の違いはありますが、有限ではありません。誰かに評価を与えたから、自分の評価が減るものではありません。


その分、内容が良くないものをオススメすることで、自分の持っている評価を落とすことになったり、素晴らしい物をオススメすることで感謝され、自分の評価を上げることができます。




私は、このポジティブ・サムゲームに未来をすごく感じます。


昨年311の東日本大震災後に、みんなが「自分ができることは?」と行動を起こしていたときの感覚って、このポジティブ・サムゲームでした。奪い合うのではなく、自分ができることを助けあうという気持ちです。


あの時期、間違いなく次の時代の社会ルールが体験できる不思議な期間だったのではないでしょうか?


みなさんも、ポジティブ・サムゲームによって、嬉しかった経験ありませんか?


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2012/01/30

評価経済時代のリーダーのあり方が橋下徹市長なわけ。

先週木曜日、岡田斗司夫さんとTechWave塾OBの公開討論会に参加してきました。議題は「評価経済社会」で、事前に岡田さんの本を読んだ上で質疑応答のみ2時間ぶっ飛ばしの会でした。





非常に刺激的な議論ができ、理解が深まったお陰で、次なる疑問もいろいろと生まれてきました。blogに書くには、多岐に渡りすぎるので、その中で話されたことから、1つだけピックアップして自分の考えを展開しておきます。


視点1:評価経済時代の政治家像=橋下徹市長(以下、岡田さんのコメント※湯川さんの講義メモより)
評価が上がれば、影響力を持つことができる。これまでは資金力などでしか影響力を行使できなかったのが、知名度や評価などの人気投票に近いもののほうが影響力を行使できるようになってきた。 
   橋下徹さんは、大阪府知事から市長になったのはおもしろい動き。普通なら府知事の次は国政を狙う。でも橋下さんは、評価を高めるほうが影響力を持つということを理解している。橋下さんは、絶対に負けないようにしている。負けないためには、勝てる戦場でしか戦わない。なので府知事から市長になった。そこで集まった評価をレバレッジして国政すら動かせることができる、というのが橋下さんの読みだと思う。読みとしてはすごく正しいと思う。 
 ほかの政治家は、政治を評価経済的に考えずに、だれにどのような得をさせるのかを考えている。貨幣経済的に考えている。こんな状態だからほかの政治家は橋下さんには勝てない。


つまり、評価を集めることで、全員のコンセンサスを取ることに時間をかけるのではなく(そもそも確実に答えがあるわけじゃないからコンセンサスなんかとれっこない)、実験をするチャンスを獲得できる。そして、うまく行けばまた次のチャンスを得ることができるということです。確かに、もはや最大公約数を見つけてシステムを作る時代ではなく、新しい仕組みを見つけていく時代には、政治家も評価経済型でなければ、対応できない気がします。


視点2:今の政治に「リーンスタートアップ」を応用する橋下市長
いつもマニラから鋭い視点でblogを書いている所長さんのエントリーより
橋下市長に「ついてゆけない」ひとたち。


ビジネス脳がないと、橋下市長の行動則はたぶん理解しにくいのではないのか。ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。
・カスタマーへフォーカスする。・細部をつめないで前にすすめる。・やりながら最適化する。・手法に執着しない。・状況は変化してあたりまえ。・言ってることも変化してあたりまえ。・やってることも変化してあたりまえ。・目標達成の最短行動をえらぶ。・ぜんぶをコンセンサスとる必要はない。・決定してから手法をかんがえる。
たしかに、こう表現されると「リーンスタートアップ」です。先日のMITメディアラボ所長の伊藤穣一さんの講演でも以下のように話していました。(日本経済新聞より引用


「BI(Before Internet)の世界では“権威”と呼ばれる組織や人が分厚い仕様書を作り、その後サービスを開発していたが、AI(After Internet)では世界はフラットになり誰でもサービス開発に参加できるようになった」と時代の変化を語り、AI時代には「アジャイル(俊敏)で、アドホック(その都度の対応)な方が勝利を収める」とした。 
 その背景には、サービスを作り、配信し、コラボレーションするためのコストが圧倒的に小さくなったことがある。伊藤氏は、著名人の言葉を引用しながら、「小さいパーツが緩やかにつながる」「モノをあまり持たない」「ざっくりとした合意の上で、動いていくものを見ながら軌道修正する」のがよいとした。これらは、いずれもLean Startupの基本的な考え方になっている。 
 さらに、大企業はビジネスを始める際に事業全体の“地図”を作製、それを俯瞰(ふかん)してリスクを回避しようとするが、「そのコストと時間が惜しい」と指摘する。「社内で会議をしている間に、やってしまった方が安く済んでしまうことがある」(伊藤氏)。


で、再び所長さん(マニラのほうです。メディアラボの伊藤穣一さんではなく)は、以下のように「ついてゆけないひとたち」を表現しています。
反対派は橋下市長の目標値の設定よりもプロセスがどうしても気になるらしく、しきりに「言ったこととちがう!」と唱える。ビジネス脳がない彼らは「先に決定がくる手法」についてゆけないのだ。
薬師院やら香山リカやらの「ついてゆけないひと」は、少数を切り捨てる勇気をもてないかわいそうなひとだ。少数を切り捨てるというだけでおそらく「大問題」になるのだろう。結果、多数の最適化がとれないことになっても、それ自体にも不満をもつのでおんなじだ。これが日本の縮図で、けっきょく、「ついてゆけないひと」というのは「決定できないひと」のことなんだ。決定するための判断軸が多すぎて、しぼりこめないのだ。だから、決定するひとが現れると、「保証」を要求する。「保証」がないと前に進めない人間なんだ。橋下市長があたらしいことを打ち出すだけで恐怖し安全かどうか担保をしろという彼らこそ「モンスター」にちがいない。 
まさしく、そうなんですよね。決定する人が現れると「保証」を要求するけれど、今の時代に「保証」を示せるわけがない。そこで、視点1で書いたように「評価」を「保証」として実験を行なう必要があるのです。政治家に求められるのは、自分の持っている評価をチャンスとして投資して、試すべき仕組みの実験を行うことなのでしょう。


橋下市長の動きは、評価社会経済へ移行する中で、いろいろなことを示唆しています。政治で起こる前に「企業」内でも、この動きは始まっています。リーンスタートアップ的にプロジェクトを進めるためには、プロジェクトリーダーが今まで獲得した評価をテコに、「アイツが実験しながらやっているなら任せてみるか!」と信託をもらうほかありません。


明確な答えが見えない時代の「リーンスタートアップ」と、決定するのに保証がない時代のリーダーシップのヒントが「評価経済」にありそうな件。僕には、ものすごくつながっているように感じてなりません。


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2012/01/24

過去の自分の好奇心が、今の自分の武器になっている

「一人株式会社」という自分にとって働きやすい環境で、生計を立てられているのは、過去の自分がその都度仕入れをしてきたおかげだなぁと、ふと感謝することがあります。

先日も、そのことをtwitterでつぶやきました。

過去の好奇心の動きが、自分の知識の蓄積、実践経験になり、今僕を食べさせてくれている。そう考えると、自分の好奇心の源泉がなんなのかって、すごくすごく重要なことなんだろうな。
痛感するのは、今までの人生で自分の好奇心がやってきたことすべてが、自分個人をラベリングするときの「引っ掛かり」になってくれるということです。まさしく、スティーブ・ジョブズのコネクティング・ザ・ドッツの話です。




過去の自分の好奇心が重要だと思うのは、以下の3つになります。

1:自分の得意分野という「のれん」を掲げることで、知識と経験の集積が起きる
・その都度、目の前の課題に好奇心いっぱいに取り組むことが、未来に活きる

私の場合、得意分野が、メディアを活用した新規事業立ち上げのお手伝いという非常にニッチな分野に絞っているため、クライアントの業種や扱う分野はプロジェクトごとにバラバラです。


しかし、このニッチな分野の経験が蓄積していくことで、他のプロジェクトで起こったことに置き換えたり、共通項や異なっている部分を発見したりということが、どんどんやりやすくなっていきます。自分が過去にどっぷりと、その都度取り組んだことによって、そのジャンルにおける相場観やツボなどを獲得できているからこそ楽になっていくのでしょう。




2:仕事と直接には関係ない分野で、個人として好奇心を持ってやっていることの掛け合わせが活きる

小さな会社や個人において、声がかかるのはたいてい人づてです。相談された人が、「だったらこんな人がいるよ」と紹介してくれたことがスタートになることが多くなります。


さらに、「デザインや建築、音楽好きだしね…」という個人的趣味の掛け合わせ、もしくは、「この分野の書籍書いてるよ…」「blogでこういうテーマ書いてたよ…」という過去のアウトプットが組み合わせになることもよくあります。


3:企業に勤めていた時代の掛け合わせ


過去に、企業で自分が担当していた分野ややってきたジャンルなどは武器になります。だからこそ、企業に勤めている頃から、目の前にある仕事に積極的に取組む好奇心は重要です。その分野に詳しく慣れるチャンスがあるし、あなたの売りになるのですから。




僕の場合は、上記3つでしたが、人によってバリエーションはいろいろあると思います。実家でやっている職業が武器になるかもしれませんし、海外のとある都市にあるネットワークが武器になる場合もあります。アルバイトでやっていた分野が売りになるかもしれません。


今やっていることに夢中になる好奇心と、その蓄積が今の自分の武器です。日々過去の自分の好奇心に感謝して、未来の自分のために、今の好奇心に従っていくことにします。


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2012/01/18

ノウハウやテクニックよりも、歴史を学び自分と向き合うことに惹かれる時代


時代の変わり目には、時代が進んで行く方向や文脈を読むことが重要になってきます。

以前から書いていますが、公文先生が提唱しているように威の時代(国家)→富の時代(企業)→智の時代(智民)と大きく競争ルールと主役(ヴィークル)が移り変わっていっています。今は、まさに富の時代から智の時代への移り変わり始める混沌とした時期です。

このようなタイミングでは、既存の仕組みの中での最適化よりも、前回の時代の変わり目にどんなことが起こり、どうやって対処してきたのか?過去に起こったことを学ぶことで、今後自分たちに起こることを予測することを思考するようになります。

それが今、知的な生活をしている人の興味が、ノウハウやテクニックから、歴史へ動いている理由です。

まさしく、このblogエントリーは、この変化を的確に表現しています。

一方で、知的層ではない多くのフォロワー層に対しては、まるでローマ帝国末期の「パンとサーカス」が行われているようにも感じてしまいます。テレビを見ると、空元気のような、気持ち悪いほどテンションの高いトーンは、逆に不安を覚えてしまいます。

だからこそ、一度目や耳から入ってくる刺激を消して、歴史から学び、自分の頭と心で考えて、今後どうしていくのかを考えるタイミングなんでしょうね。

この流れだと、瞑想とか流行っちゃうのかなぁw


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2012/01/11

大切にしている価値観と自分の生き方がイコールになっていないと、Facebookではツライ




僕がソーシャルメディアが大好きなのは、「自分が外に向けて、主張していたり、提案していることと、自分の生き方がイコールになってないと気持ち悪い」ってことにみんなが自然と気がつける仕組みだから。


ということを、twitterにふと思いついて流しました。よく考えてみたら、実名×リアルな人間関係をベースとしているFacebook上で一番、この仕組が働きますよね。


自分の生き方と、大事にしている価値観がずれていると居心地わるいということに気がつかせてくれるというのは、ものすごくありがたい仕組みです。


「自分らしく生きなさい」とか、「自分が信じるように生きろ」とか抽象的な提言をされるよりも、「Facebookに向かって、自分の大切にしている価値観を表明しよう」ということのほうが、よっぽど実践的なアドバイスです


ソーシャルメディア上で、大事にしたい価値観と、自分がやっていることのGAPに気がつく。違和感を感じる。これではダメだと思うからこそ、大切にしたい価値観と自分のやっていることを一致させようともがき始めます。


この力が働くことで、いままでは「仕方がない」と我慢していたことでも、見直さずにはいられないと思い始めるきっかけになるでしょう。




ときどき、ソーシャルメディア上でネガティブなことばかりを発信したり、他人や他社の悪口を発信している人を見かけますが、ポジティブに自分の価値観ややりたいことを発信して、共感してくれる仲間を集めたり、今の自分とのGAPをさらしていくほうが得るものが多いと思いますよ。


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