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2013/08/26

盲信するな、自己責任だよ人生は。


友人の宮嶋みぎわさんのblogにあった以下のセンテンスは、最近ずっと感じていたモヤモヤと繋がっていて、すっきりしました。

「自分で考えられるようになりなさい、そのための手伝いはなんだってするから」っていう先生を信用してほしい。「とにかく考えなくていいから、私が言う通りにやりなさい」っていう人は頼むから信頼しないでほしい。その人を信頼してしまうと、脳の筋力が落ちるから。(via.みぎわ的曲書き日記:若い方へ。

自分の経験上、何か新しいことを始めるときに、自分から飛び込んで、その中で学ぶことは本当に血肉になる。どんなに大変だろうと、必死になんとかしようとするから多くのことを学べるのだと思う。

一方で「○○さんが言っていたから」と盲信して始めた場合には、どこかでうまくいかなかっときに「○○さんの言ったとおりにやったのに・・・」という逃げ道が準備されている。そういった場合には、必死にもがいたり、工夫をしたりしない。

結局、人生なんて自己責任だと思う。
自由で他の人と違ったことやりたいなら、そのために犠牲を払えばいい。自由であるために、人の倍努力すればいいんだよ。誰のせいでもなく、自分のせいだから。

自分で自分を養う人生を歩んでいる人は、「自己責任」ということの厳しさと楽しさの両面を知っている。自分で決済して進めることのできる楽しさの裏返しは、自分のケツは自分で拭くという当たり前の厳しさが存在する。

自己責任で判断して、自分でケツが拭けるように、「自分の頭でちゃんと考える」訓練は若いうちからやったほうがいい。

上記の文脈で、危うい目に遭おうが、自分で選択して生きることを小さい頃から許してくれた親には感謝しています。



蛇足的に。。。自己責任で選択することを学ぶためにも、投資教育というかファイナンシャルスキルを高める教育がいいんじゃないかと思っています。ハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンということもよくわからずに金融商品で騙される被害報告を聞くたびに、規制して取り締まるのではなく、ファイナンシャル的な勉強をしてこなかったからだよ・・・と、考えてしまいます。ちなみに、そういう僕はミドルリスク・ミドルリターンの自分が寄与することで、リターンも高まるような性質のものが好きです。自分の生き方や働き方の選択肢と同じ考えですよねw


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2013/08/20

日々の環境も「旅人」のように、今ここを意識しよう。


大阪の友人が、東京に3週間の”家族留学”に来ています。(さらには主催イベントまで開催してる!)その様子を見ていると、この限られた時間に多くの人に会い、子どもと東京で体験できるアトラクションを満喫し、多くの街を体感しながら、住み心地を観察し・・・本当に貪欲に楽しんでいるようです。

そう。僕らが普段住んでいる場所だって、旅行者や一時滞在者にとってみれば、見るべきもの、会うべき人が溢れている魅力的なロケーションです。

地方出身の私にとって東京は、情報にしてもイベントにしても溢れているうらやましいロケーションだったはずです。羨ましいなんて生半可なものじゃなく、大きな飢餓感を持っていました。「ああ、東京に居たら、あれもこれも行くのになぁ」と。

それが、東京在住も15年以上が経ち、その飢餓感をすっかり忘れてしまっている自分がいることに、気がつきました。

旅行先の注目のスポットは訪れたことがあるのに、自分が住んでいる都市は、いつでも行けるからこそ、観光で来た人よりも知らない場所がたくさんある。。。

海外の都市に行ったら、会いたい人には「この機会に会ってもらえませんか?」と言えるのに、いつも住んでいる場所では、逆に先延ばしして会いに行かない。。。

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人間にとって、この一度手にいれた環境や、一見お尻が決まっていない時間に関して「緩く」なる感覚は、共通のものなのでしょう。

だからこそ、以下の2つのアプローチが必要になります。

1:定期的に自分を好奇心が出る環境=いつもと違う環境を求めて、旅行することで新しいものを吸収する。

2:自分のいる環境を「旅行者」として訪れたとしたら、何をするのか?を自分に問い、時間は有限だということを痛感しながら切迫感を持って行動する。

今まで、自分は1ばかりを求めて動いていたように思いますが、ちょうど子どもが産まれて今までより長距離移動のフットワークが望めなくなったので、その分2のフットワークを意識していかなくちゃ。

いや、違うな。やっぱり1も2も「有限」な人生を意識しながら、貪欲に生きよう。そんな教訓を大阪の友人からもらえました。やばいやばい。好奇心に貪欲に生きなくちゃ。


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2013/08/06

実行しないことを学んでいても無駄じゃない?


実行することで学ぶこと、それにまさる学びはない。というか、本当に言いたいのは「実行しないことを、いくら学んでいても無駄じゃない?」ということだ。

もちろん教養的な分野や基礎学力、歴史について学んでおくことはすごく重要なことで、実はリターンがものすごく大きな分野。僕が言いたいのは、情報オタク・ニュースオタクに対して

今朝読んだ仲間の言葉がまさにこのことを代弁してくれている。
これはじぶんひとりでビジネスをしてきたぼくの体験だけど、
時間と思考をじぶんで支配できないとけっきょく上手くいかない。
合ってる間違ってるは別にしてじぶんのプランを思ったタイミングで実践できないと、結果にたいしていろいろ悔いが残ることになってしまう。
だから何か始めるときみんなから意見を聞きすぎるのもよくない。
勉強しすぎるのもよくない。と個人的におもう。
ひとつのプランに時間をかけすぎると「想定」っていうのがどんどん変わる。
2年前に頑張った情報収集がもうさほど価値がないのだから。

熱心に勉強するひとをみると、そのプランは「いつやる」ものか? ぼくは聞くのだけど、行動計画がセットになっていないひととは時間の進み方がちがうので、話が合わなくなる。 via.所長サンの哲学的投資生活 
余裕があれば、いろいろなことを学ぶのは悪いことじゃない。しかし、その分野でビジネスを行ったり、食ったりしていくための学びは、実践し体験することで得たことじゃないともはや通用しない

■一番価値のある学び方は、“実戦経験”


僕だって同じだ。今取り組んでいるプロジェクトは過去の経験をベースに、半分は新しい分野に突っ込みながら新しい能力を獲得できるように努めている。

個人的な具体例をあげるとイメージしてもらいやすかもしれない。

とある区の再開発に連動してやっているプロジェクトでは、「アクション型メディアとマネタイズ」の経験は自分にあるが、「行政と一緒にタウンマネジメント団体をベースに街を舞台に行う」部分はチャレンジ領域。

他のプロジェクトでは、「メディアや商品をプロデュースしたり、コンセプトを作る」経験はあるが、「工業製品・プロダクトの製造まで調査し実践する」部分は新しいチャレンジ領域だったりする。

やったことない部分が出てくるから、必死に調べ学びながら形にしていっている。形にすることで、次の出来事が起こりトライ&エラーを重ねている

これが、今一番身につく学び方なんだと思う。そして、インディペンデントとして働く人にとっては、こうして新しい技能・経験を積んでいかないとコモディティ化してしまう。

こう書くと暗い話にきこえるかもしれないが、そうじゃない。新しい知識・技能をトライ&エラーの実践経験を通して獲得していくことは、自分RPGとして結構楽しい!


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2013/07/25

ネットも人生も、つまらなくさせるかは「自分次第」


ネットがつまらないのはつまらない自分のせい

今朝読んだBlogのフレーズが刺さりました。
「ネットがつまらない」=「自分がつまらない」は言い過ぎとしても、「ネットがつまらない」=「自分のネットユースがつまらない」「自分の眺めているネットがつまらない」なので、ネットそのものが問題というより、その人自身の所業によるところ大な問題だと思う。 
シロクマの屑籠:「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」
 ある意味、ネットは自分の人間関係・情報源を映す鏡になってます。自分がフォローしている人、フィードに登録している情報源・・・自分が選択した結果が自分の見ている情報となります。だからこそ、「ネットがつまらない」と発言するのは、「自分がつまらない」ということをわざわざ宣言してしまっているようなものです。



ネットの仕組みが、人間社会の真理を可視化した?

でも考えてみると、この法則はネットの社会にとどまらないですよね。

「何か面白いことない?」って聞いてくる人は、面白いこと教えても、なんだかんだいって動かない。一方で、好奇心丸出しで面白いと思ったことを求めて走っていく人は、次から次と面白いコトや人との連鎖を起こしていきます

ご機嫌にしている人には、ご機嫌な話題を提供したくなるし、不機嫌な人には厭世的な話題でもするしかないか・・・と同調してしまう。

自分という受信機が情報をキャッチするのではなくて、自分という受信機にあった情報が集まってくるように社会はできているのかもしれません。

以前「お呼ばれ」する人でいることの「ありがたさ」というエントリーを書きましたが、「あの人、呼んでおいたほうが場が楽しくなるよね」と思ってもらえることはすごくありがたいことです。

特に僕のような、自分で仕事をつくっていくタイプの働き方をしている人には、お呼ばれされる愛嬌は不可欠だと思います。

仕事だって、プロジェクトに対して自分自身が主体的にのめり込む、自分ごととして貢献していくことで、何らかの信用や実績を積み重ねていくことで、次の面白い情報がやってくるようになります。

だからこそ口が裂けても「ネットがつまらない!」「人生なんてつまらない!」なんて、言えませんw 大変なことはたくさんあるけど、明るい面を見ながらご機嫌に過ごしていきたいものですね。

関連エントリー:過去の自分の好奇心が、今の自分の武器になっている

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2013/07/19

“常識”で疑問や違和感にフタをしない


よく言われることですが、海外の都市などを訪れると、自分がどっぷり浸かっている文化圏にいるときには気がつかないものが見えてきます。

看板表記だったり、サービスの基準、笑いのズレやコミュニケーションの違い、公共の場所での振る舞い、スーパーなどの陳列など、新鮮に見えてきます。

逆に考えると、新鮮な目を持った他の都市から来た人が、私たちの日常を見たら、興味深いことだらけのはずです。多くの疑問や、違和感、好奇心が湧き出てくることでしょう。

せっかくだったら、僕らの毎日を「常識の外の目」で眺めて、多くの発見や疑問を見つけ出したほうがお得です。そう思っていつもiPhoneのカメラや鞄の中に入れているカメラで気になったものを沢山メモするように撮影しています。

とにかく違和感を感じたものは写真でメモする。あとで見返してみると、普段過ごしている空間の中に潜んでいる「発見」や「不思議」に気がつくことができます。

デザイン思考などが求められているのも同じ流れだと思いますが、我々は“常識”というブロックによって、サービスやプロダクトのアイデア源である「発見」をスルーしてしまっています。

自分の疑問や違和感に素直になるためにも、意味を考えずに写真メモ、オススメです。


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2013/07/12

「日常からの脱出」を提供する仕掛け−The passenger bar@Madrid

あまりの暑さに、、、いつもとはちょっと嗜好を変えて、「日常からの脱出」を提供している仕掛けを紹介します。


via http://www.thecoolist.com/the-passenger-bar-madrid/

長距離列車での旅に出たい・・・とはいえ時間がないという人に、旅に出ている「気分」を提供しているスペインのマドリードにあるバーです。名前もずばり"The passenger"

バー自体が、もともと非日常を提供する場だと思います。職場でも家でもなく、どちらにも所属していない時間の自分と向き合える空間です。つまりバーに行く目的は、必ずしも「ドリンク」ではなく、「時間×気分」です。


via http://www.thecoolist.com/the-passenger-bar-madrid/
だからこそ、長距離列車の食堂車を模して、車窓を眺めながらくつろげる空間というのは、すごく相性の良いコンセプトだと思います。

仕組みとしては、非常にシンプル。窓のようになっている部分はスクリーンで、上部にある各プロジェクターが本物の車窓の風景映像を流しているだけです。


 



■新しい技術を活かす場所

最近取り組んでいることにも関係するのですが、現在頭を悩まさせているのは「価格のこなれていない新しい技術・新しい表現の受け入れ先」です。

割高と感じるようなものを、厭わずに購入してくれるイノベーション市場もあわせて考えていかないと、最新技術や表現を育てていくことはできません。

上記のThe passenger barの事例は、非常に示唆に富んでいると考えています。映像へのコスト、プロジェクターを複数設置して運営していくコストがかかりますが、それを上回る集客リターンが得られる設置主にとっては、リーズナブルな設備投資となるでしょう。

社会的に新しい技術や表現方法、商品を生み出すことについて語られているようですが、このリーズナブルと考えてもらえる市場を見つけるという頭の使い方も問われているのだと思います。

ただでさえ暑いのに、考えすぎて熱くなってはいけないので、この辺でw

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2013/07/05

実践家が尊敬される社会へ



外野ばかりがうるさい時代。もっと自分の時間もパワーも使って、何かにコミットしている人が尊重されてもいいはずなのに。。。

昨今、ネットだけでなく、テレビのニュースとかも含めて、もうすっかり残念な気持ちになることが多くなってきました。

そのせいかどうかはわかりませんが、コツコツと何かを続けている人、何かに自分の人生を捧げている人のお話には、余計、心を揺さぶられます。
参照:人生を“何か”に捧げた老人が今一番ヒップ!

今年に入ってから、風向きが大きく変わったなぁと思っているのが、“兆し”に関する勉強会や“未来予想ブーム”の減退です。

言い換えると、「思想家・分析家的な人に注目が集まっていたのが、実践家に注目が集まってきている」という現象です。

「今でしょ!」という言葉が流行っているのも、いつまでもぐちぐち考えていたり、情報収集を際限なく繰り返すのではなく、手元にある材料で行動に移していくタイミングだということが深層心理にあったのかもしれません。

不確定なことが多い時代に、未来を予想することよりも、自分が動くことで未来を変化させていくことにシフトしているのは、すごくいい流れだと思っています。

結局、限られた自分の時間とパワーを「何にコミットするのか?」が問われているのだと思います。その時に尊敬されるのが「実践家」であると信じています。

自分の目に触れるニュースや記事の多くが、批判家よりも、実践家が尊重される内容になっていくことを祈っております。まちがっても、コミットして動いている人を外野が気分だけで攻撃して、引きずり下ろすようなことがなきように。


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2013/06/26

見逃しちゃいけない「次の兆し」をつかむには?


よくイノベーター理論をあてはめて、自分が取り組んでいるものがどの位置付けにあるのかを意識するようにしています。


via.http://jma2-jp.org/wiki/index.php?イノベーター理論

目の前の事象に夢中になっていると、視野が狭くなり、自分がやっていることが社会的にどの位置付けのものなのか?今後、重要になってくるものなのか?それとも衰退期にあるものか?を意識しなくなるためです。

もちろん、個人的な趣味であればそんなことを意識する必要はないのですが、仕事上、マーケットを意識することや、今後の社会的ニーズを考えることを無視するわけにはいかない・・・。

さて、表題にある「見逃しちゃいけない次の兆しをつかむには?」ですが、自分では人でフィルターをかけることだと思っています。

人でフィルターをかけるとは、自分が「この人のセンサーは面白い!」と感じる人の行動をウォッチすることです。さきほどのイノベーター理論でいうところの身近にいるイノベーターにアンテナをはっておくのです。

この「炭鉱のカナリア」である身近イノベーター複数人が、同じような動きを始めたときは要注意。話を聞いて見たり、議論してみることで、根底にある社会的な問題意識を発見することができます。


身近なイノベーターたちが身を挺してやっている動きが本当に興味深い!

例えば、僕の周りの「炭鉱のカナリア」に共通しているのは、会社選び。就職でも転職でも、社会的に評価がボロボロのときに入社し、社会的にピカピカになっているときには辞めて次の行動を起こしていたりします。(逆の行動を取る人を、その会社のアラート信号として見ているときもあります)

これは、別に会社だけでなく、投資対象やこれからホットになってくる都市、遊び方、ライフスタイルなどにも共通してあてはまります。

そして今は、東京だけでなく他のエリアで面白いことをやっている人と繋がって、次の仕掛けを公私混同で取り組んでいるのが兆しとして顕在化してきています。地方で面白いことを企てている本当にピカピカした人に、イノベーター的な層が引き寄せられています。(あくまで、僕の見えている範囲での観測ですが)

自分が信じたことを、口だけでなく、身を挺して、身体を使って実現していく。そんな人が身近にいるからできるんだろ、と言われてしまえば、その通りなのです。


本当に自分の欲求に素直に動くこの人たち。一番どうなるかわからないタイミングで自らもがきにいき、今からマーケットがおいしくなり刈り取れるころには、次の興味へ移っていく

こんな人の動向を追ってみるのは、人生を楽しくポジティブに愉しむためにも、自分の気持ちに素直に従って生きることを肯定するためにも、オススメですよ。

まあ、僕も同じ穴のむじなですが。。。

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2013/06/21

「属人的/局所的/偏在的」アプローチ


今週やった自分主催のイベントの中で、「属人的/局所的/偏在的」というキーワードが出てきました。

学校教育をはじめ、行政の問題でも、現在スタックしていることの多くは、「ルール・システム/全体最適/平等性」を求めすぎた結果から起きていると思います。

システムの中にいる一人一人、教育者も行政の中で働いている人も、多くは人間として信頼できる人です。ただし、公共の役割のある組織や、社会的な影響が広範囲におよぶ組織であればあるほど、「平等性」や「ルールに従って公平にやる」ことを求められます。

だからこそ、僕らのような小さく小回りの利くチームは、公共の組織や大きな影響力のある組織ではできない「属人的/局所的/偏在的」なアプローチで、課題を解決していく役割があります

どっちのシステムが優れているかとか、お互いを攻撃する必要もなく、うまく役割をわけて協業する時期なのだと思います。

「属人的/局所的/偏在的」のアプローチこそが、DIYスピリットで自分たちの範囲を、自分たちに楽しんで改良していく方法なのだから。そして、こんな楽しい方法ができるのも、大きな組織や公共の組織が「ルール・システム/全体最適/平等性」を担保してくれているから、だよね。


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2013/06/13

同じスピード感の人とは仲間になりやすい


異業種だろうが、業界が違っていようが、「スピード感」が同じ人とは物事が自然と前に流れていきます。逆に、スピード感やタイミングが合わない人とは、ついつい疎遠になってしまいます。。。

近くにいることよりも、年齢が近いことよりも・・・体内時計の周波数が同じかどうかのほうがよっぽど大事だなぁ、と最近実感しています。

昨夜もとある人の送別会で集まったはずなのに、結果的に意気投合して6人で新しい企みの話となっていました。

こういったスピード感や同じ価値観を共有している(Blogでその人の主張を知っている)からこそ、ちょっとした集まりでも、気がつくと企み話を自然としています。なんと、帰宅すると、facebookでグループまで立ち上がっていました。

スピード感は早いことが必ずしもいいわけではなく、同じテンポであることが重要です。音楽で言うBPM(Beats Per Minute)を合わせるような感じで、同じテンポを持っている人とは気持ち良く前に進めるんですよね。

仕事をしていくなかで、やっぱり人が大事だなと思ったんです。昔だったら、どこの会社とつながりがあるとか、どこに工場を建てるとか、そういうことがすごく重要だったんですけど、そんなことよりも、どのような人に会うか、どのような人が仲間になるかがよっぽど大事だって、ずーっと感じていたんです。(糸井重里「楽しいからこそ、仕事はできる」  糸井さんと、これからの働き方を考えてみた(上) | オリジナル - 東洋経済オンライン

糸井さんが言っている「どんな人が仲間になるか」に、このスピード感、テンポが大きく影響していると、僕は経験上にらんでいます。


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2013/06/06

他人の話を「こうもり」のように聞くと、発見が多い



ここのところ、新しい案件やら、新しく知り合った方など含めて、じっくりとお話しする機会が重なっていました。

自分はじっくりと腰を据えて、誰かの話を聞くことが大好物なんだなぁと、再認識していました。

僕が誰かの話を聞いているときに、イメージしているのは「こうもり」です。こうもりというと、あんまりいいイメージはないのかもしれませんが・・・

絶対的にその人を見ようとせずに、自分を投影しながら相対的にその人の話を聞こうとしています。まるで、こうもりが目で対象物を捉えるのではなく、超音波による音の反響で、対象物との状況を把握していくように。

絶対的な捉え方をしているとその人の今の「職業」「肩書き」や「業界」など、今やっていることの情報で人をクラスタリングしがちです。

しかし、自分との距離で相対的に話を聞いていると、「共感できる部分」「共通点」「自分と比べてはみ出ている部分」「自分にとっては大切なのに、相手にとっては重視していない部分」など、その人の信条や動機を見ることができます。

よく言う、「多くの人に会って話を聞くことで、自分の形が見えてくる」というのは、「こうもり」のように自分との距離をはかりながら話を聞くことで、結果的に自分像が浮かび上がってくるということだと思います。

となると、僕は、他人が好きだからじっくり話を聞いているのではなく、もしかしたら「自分好き」だからこそ、他人の話を深掘って聞きたいのかもしれないですねw

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2013/05/28

目の前にあるものを紡いでいくのが、フリーの日常


あっという間に今年も6月がやってくる。6月は会社の決算月。ホントは切れ目なんてないのだけれど、気分的にはあと一ヶ月で今期もおしまい。

勤め人を卒業して、自分の足で走りはじめて早5年! 一番変わったのは、目の前のことに集中して、一つ一つ丁寧に紡ぐようになったことかもしれない。

会社員時代は、そんなに意識しなくても「やらなくちゃいけないこと」「やっておくべきこと」が溢れていた。しかし、一度会社から離れてしまうと、自分で仕事を作ったり、チャンスを掴んで次につなげていくことを日々の中でやっていかなければならない。

「やっていかなければならない」なんて、書いちゃったけど、実はこれが自分で自分会社をやっていることの一番の醍醐味。「知人から、一緒に仕事できる友達になったねぇ」とか「最初は遊びみたいに面白がっていたら、いつのまにかビジネスになったね〜」というふうに。

目の前にある「今」をちゃんと向き合い、夢中で楽しむ。そうすると、「未来」の仕事に自然に繋がっていく。言葉にすると簡単そうだけど、頭じゃなくて身体でちゃんと掴めたのは、本当に最近かもしれない。

安定ではなく、流れの中で浮き沈みを乗りこなす。しなやかに変化しながら、自分の想いや役割を紡いでいくことが、今、素直に愉しい。これが5年目の感想です。

こっちの世界は「横乗り系スポーツ」。この流れにもうちょっと乗っていこう。

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2013/05/23

人生を“何か”に捧げた老人が今一番ヒップ!


ビル・カニンガム&ニューヨーク』。まさか、この地味なドキュメンタリー映画が、こんなに話題になるなんて!!

ニューヨーク・タイムズ紙の人気ファッション・コラム「ON THE STREET」と社交コラム「EVENING HOURS」を長年担当するニューヨークの名物フォトグラファー、ビル・カニンガム。ニューヨークの街角で50年以上にもわたりファッショントレンドを撮影してきたニューヨークを代表するファッション・フォトグラファーであり、ストリートファッション・スナップの元祖的存在だ。

雨の日も風の日もニューヨークのストリートに自転車で繰り出してはファッションスナップを撮り続け、夜になればチャリティーパーティーや社交界のイベントに出かけて行き、ときにはパリのファッション・ウィークにも遠征し撮影する。その鋭いセンスと独自の着眼点が、世界中のファッション・ピープルから注目され、84歳の現在でも現役ファッション・フォトグラファーとして多大な影響を与え続けている存在だ。

しかしビル自身はいつもお決まりのブルーの作業着姿で、雨の日にかぶる安物のポンチョはやがて破れてしまうからと、新調することもなくテープで修繕して着続けている。コーヒーは安ければ安いほど美味しいと言い、ニューヨーク・タイムズ紙の写真家としての客観的な立場を保つために、パーティー会場では水一杯すら口にしない。50年以上暮らしていたカーネギーホールの上のスタジオアパートの小さな部屋は、今まで撮影した全ネガフィルムが入ったキャビネットで埋め尽くされていて、簡易ベッドが置いてあるのみ。キッチンもクローゼットさえもない。仕事以外のことには全く無頓着で、頭の中はいつもファッションのことだけでいっぱいといったような質素な生活ぶりなのである。 
ストリートファッションを記録し、伝えることに生涯を捧げている老人の生活と仕事観を知るための映画です。「私は働いていません、好きなことをしているだけです」と言い切る彼の生活は、本当に潔いものです。

彼がどれだけ普通のことを犠牲にしているかは、「誠実に働くだけ。それがニューヨークではほぼ不可能だ。正直でいることは風車に挑む、ドンキホーテだ」という言葉の重みで伝わってきます。

一見古くさく見えるリタイアせずに一生現役で働くことの喜びと、自分の人生をやるべきことに捧げている姿は、これからの生き方として、一番輝いて見えました。

奇しくも、本日、80歳でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんの人生からも、同じようなメッセージを感じます。ドキュメンタリー映画として話題となった「ハーブ&ドロシー」も、現代アートのコレクションに人生を捧げた質素な夫婦の姿が、すごく魅力的に見えました。

もはやアーリーリタイアメントに魅力を感じられなくなった価値観を持っている人間にとって、“何か”に人生を捧げた老人の生き様こそが、一番のお手本となっています。

カッコイイ生き様をしている老人(あえて敬意を込めて老人と呼びます)に、もっと会って話をしてみよう。そう、思ったドキュメンタリー映画でした。

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2013/05/21

「山寺」で感じたエンタテイメントとしての仕掛け


山形県の山寺(立石寺)の本尊御開帳タイミングで、近くにいたため、50年に一度というチャンスを逃すまいと、参拝してきました。



本尊の「薬師如来坐像(ざぞう)」(国重要文化財)の御開帳が前回行われたのは1963年! 東京オリンピックの前年ってことかぁ。

次回この薬師如来坐像に会えるのは50年後。。。自分の場合生きていれば88歳になっているはず。体力的なことを考慮すると山寺まで来て見る可能性はかなり低くなります。(80歳でエベレストに三度目のチャレンジをしている三浦雄一郎さんのような方もいるわけですが・・・)

こうやって、自分の命の有限性を突きつけられます。御開帳という行為自体が、命の有限性を考えさせるためにあるものかもしれません。

もう次は見ることができないかも?という気持ちから、生きているうちに何を成さなくちゃいけないかを意識させられ、ますます神妙な面持ちになりました。

その後、山寺の1015段ある山道を登った一番頂上にある「奥の院」までお参りして、顔を上げると、中に鏡が設置してあるため、お参りしている自分が映ります。

「誰かに頼るんじゃなく、自分でなんとかしてみろ」というメッセージなのでしょうか?



こんな急な山の上に、お寺を沢山つくってしまうこと自体、ものすごいエンタテイメントです。さらに、お参りすることで(先ほどの鏡などのような仕掛けを)いろいろと体験できるように設計されていました。

子供の時に来たときには気がつかなかったなぁ。

つい最新のものばかり見てしまいがちですが、旧いもの味わってみると、長期的に魅力のある(心理的な)仕掛けを学ぶことができます

郵便局の人が、歩いて登ってきていました。ご苦労様です

他にも、頂上付近には郵便ポストがあり、そこからハガキやなぜか「通信こけし」が送れるようになっていました。この場所から送付されたという限定感や、その時に感じたことを書くリアル感がありがたがられるのでしょう。

こけしを郵便で送れるのが画期的?送られたほうはどう思うのだろう?

いろいろ調べてみると、一時期山頂から降りてくる用の「滑り台」が作られたそうです。遊園地並のアトラクションです。どうやら摩擦などの問題で廃止されたらしいのですが。。。※滑り台遺跡を探した人のレポートを発見しました





ちなみに、ご本尊は境内は撮影禁止となっているため、写真などでは残せないようになっているのですが、パンフレット表紙に、薬師如来の写真が掲載してあるのは興ざめでした。。。禁止されてないのだろうか?



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