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2013/06/26

見逃しちゃいけない「次の兆し」をつかむには?


よくイノベーター理論をあてはめて、自分が取り組んでいるものがどの位置付けにあるのかを意識するようにしています。


via.http://jma2-jp.org/wiki/index.php?イノベーター理論

目の前の事象に夢中になっていると、視野が狭くなり、自分がやっていることが社会的にどの位置付けのものなのか?今後、重要になってくるものなのか?それとも衰退期にあるものか?を意識しなくなるためです。

もちろん、個人的な趣味であればそんなことを意識する必要はないのですが、仕事上、マーケットを意識することや、今後の社会的ニーズを考えることを無視するわけにはいかない・・・。

さて、表題にある「見逃しちゃいけない次の兆しをつかむには?」ですが、自分では人でフィルターをかけることだと思っています。

人でフィルターをかけるとは、自分が「この人のセンサーは面白い!」と感じる人の行動をウォッチすることです。さきほどのイノベーター理論でいうところの身近にいるイノベーターにアンテナをはっておくのです。

この「炭鉱のカナリア」である身近イノベーター複数人が、同じような動きを始めたときは要注意。話を聞いて見たり、議論してみることで、根底にある社会的な問題意識を発見することができます。


身近なイノベーターたちが身を挺してやっている動きが本当に興味深い!

例えば、僕の周りの「炭鉱のカナリア」に共通しているのは、会社選び。就職でも転職でも、社会的に評価がボロボロのときに入社し、社会的にピカピカになっているときには辞めて次の行動を起こしていたりします。(逆の行動を取る人を、その会社のアラート信号として見ているときもあります)

これは、別に会社だけでなく、投資対象やこれからホットになってくる都市、遊び方、ライフスタイルなどにも共通してあてはまります。

そして今は、東京だけでなく他のエリアで面白いことをやっている人と繋がって、次の仕掛けを公私混同で取り組んでいるのが兆しとして顕在化してきています。地方で面白いことを企てている本当にピカピカした人に、イノベーター的な層が引き寄せられています。(あくまで、僕の見えている範囲での観測ですが)

自分が信じたことを、口だけでなく、身を挺して、身体を使って実現していく。そんな人が身近にいるからできるんだろ、と言われてしまえば、その通りなのです。


本当に自分の欲求に素直に動くこの人たち。一番どうなるかわからないタイミングで自らもがきにいき、今からマーケットがおいしくなり刈り取れるころには、次の興味へ移っていく

こんな人の動向を追ってみるのは、人生を楽しくポジティブに愉しむためにも、自分の気持ちに素直に従って生きることを肯定するためにも、オススメですよ。

まあ、僕も同じ穴のむじなですが。。。

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2013/06/21

「属人的/局所的/偏在的」アプローチ


今週やった自分主催のイベントの中で、「属人的/局所的/偏在的」というキーワードが出てきました。

学校教育をはじめ、行政の問題でも、現在スタックしていることの多くは、「ルール・システム/全体最適/平等性」を求めすぎた結果から起きていると思います。

システムの中にいる一人一人、教育者も行政の中で働いている人も、多くは人間として信頼できる人です。ただし、公共の役割のある組織や、社会的な影響が広範囲におよぶ組織であればあるほど、「平等性」や「ルールに従って公平にやる」ことを求められます。

だからこそ、僕らのような小さく小回りの利くチームは、公共の組織や大きな影響力のある組織ではできない「属人的/局所的/偏在的」なアプローチで、課題を解決していく役割があります

どっちのシステムが優れているかとか、お互いを攻撃する必要もなく、うまく役割をわけて協業する時期なのだと思います。

「属人的/局所的/偏在的」のアプローチこそが、DIYスピリットで自分たちの範囲を、自分たちに楽しんで改良していく方法なのだから。そして、こんな楽しい方法ができるのも、大きな組織や公共の組織が「ルール・システム/全体最適/平等性」を担保してくれているから、だよね。


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2013/06/13

同じスピード感の人とは仲間になりやすい


異業種だろうが、業界が違っていようが、「スピード感」が同じ人とは物事が自然と前に流れていきます。逆に、スピード感やタイミングが合わない人とは、ついつい疎遠になってしまいます。。。

近くにいることよりも、年齢が近いことよりも・・・体内時計の周波数が同じかどうかのほうがよっぽど大事だなぁ、と最近実感しています。

昨夜もとある人の送別会で集まったはずなのに、結果的に意気投合して6人で新しい企みの話となっていました。

こういったスピード感や同じ価値観を共有している(Blogでその人の主張を知っている)からこそ、ちょっとした集まりでも、気がつくと企み話を自然としています。なんと、帰宅すると、facebookでグループまで立ち上がっていました。

スピード感は早いことが必ずしもいいわけではなく、同じテンポであることが重要です。音楽で言うBPM(Beats Per Minute)を合わせるような感じで、同じテンポを持っている人とは気持ち良く前に進めるんですよね。

仕事をしていくなかで、やっぱり人が大事だなと思ったんです。昔だったら、どこの会社とつながりがあるとか、どこに工場を建てるとか、そういうことがすごく重要だったんですけど、そんなことよりも、どのような人に会うか、どのような人が仲間になるかがよっぽど大事だって、ずーっと感じていたんです。(糸井重里「楽しいからこそ、仕事はできる」  糸井さんと、これからの働き方を考えてみた(上) | オリジナル - 東洋経済オンライン

糸井さんが言っている「どんな人が仲間になるか」に、このスピード感、テンポが大きく影響していると、僕は経験上にらんでいます。


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2013/06/06

他人の話を「こうもり」のように聞くと、発見が多い



ここのところ、新しい案件やら、新しく知り合った方など含めて、じっくりとお話しする機会が重なっていました。

自分はじっくりと腰を据えて、誰かの話を聞くことが大好物なんだなぁと、再認識していました。

僕が誰かの話を聞いているときに、イメージしているのは「こうもり」です。こうもりというと、あんまりいいイメージはないのかもしれませんが・・・

絶対的にその人を見ようとせずに、自分を投影しながら相対的にその人の話を聞こうとしています。まるで、こうもりが目で対象物を捉えるのではなく、超音波による音の反響で、対象物との状況を把握していくように。

絶対的な捉え方をしているとその人の今の「職業」「肩書き」や「業界」など、今やっていることの情報で人をクラスタリングしがちです。

しかし、自分との距離で相対的に話を聞いていると、「共感できる部分」「共通点」「自分と比べてはみ出ている部分」「自分にとっては大切なのに、相手にとっては重視していない部分」など、その人の信条や動機を見ることができます。

よく言う、「多くの人に会って話を聞くことで、自分の形が見えてくる」というのは、「こうもり」のように自分との距離をはかりながら話を聞くことで、結果的に自分像が浮かび上がってくるということだと思います。

となると、僕は、他人が好きだからじっくり話を聞いているのではなく、もしかしたら「自分好き」だからこそ、他人の話を深掘って聞きたいのかもしれないですねw

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2013/05/28

目の前にあるものを紡いでいくのが、フリーの日常


あっという間に今年も6月がやってくる。6月は会社の決算月。ホントは切れ目なんてないのだけれど、気分的にはあと一ヶ月で今期もおしまい。

勤め人を卒業して、自分の足で走りはじめて早5年! 一番変わったのは、目の前のことに集中して、一つ一つ丁寧に紡ぐようになったことかもしれない。

会社員時代は、そんなに意識しなくても「やらなくちゃいけないこと」「やっておくべきこと」が溢れていた。しかし、一度会社から離れてしまうと、自分で仕事を作ったり、チャンスを掴んで次につなげていくことを日々の中でやっていかなければならない。

「やっていかなければならない」なんて、書いちゃったけど、実はこれが自分で自分会社をやっていることの一番の醍醐味。「知人から、一緒に仕事できる友達になったねぇ」とか「最初は遊びみたいに面白がっていたら、いつのまにかビジネスになったね〜」というふうに。

目の前にある「今」をちゃんと向き合い、夢中で楽しむ。そうすると、「未来」の仕事に自然に繋がっていく。言葉にすると簡単そうだけど、頭じゃなくて身体でちゃんと掴めたのは、本当に最近かもしれない。

安定ではなく、流れの中で浮き沈みを乗りこなす。しなやかに変化しながら、自分の想いや役割を紡いでいくことが、今、素直に愉しい。これが5年目の感想です。

こっちの世界は「横乗り系スポーツ」。この流れにもうちょっと乗っていこう。

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2013/05/23

人生を“何か”に捧げた老人が今一番ヒップ!


ビル・カニンガム&ニューヨーク』。まさか、この地味なドキュメンタリー映画が、こんなに話題になるなんて!!

ニューヨーク・タイムズ紙の人気ファッション・コラム「ON THE STREET」と社交コラム「EVENING HOURS」を長年担当するニューヨークの名物フォトグラファー、ビル・カニンガム。ニューヨークの街角で50年以上にもわたりファッショントレンドを撮影してきたニューヨークを代表するファッション・フォトグラファーであり、ストリートファッション・スナップの元祖的存在だ。

雨の日も風の日もニューヨークのストリートに自転車で繰り出してはファッションスナップを撮り続け、夜になればチャリティーパーティーや社交界のイベントに出かけて行き、ときにはパリのファッション・ウィークにも遠征し撮影する。その鋭いセンスと独自の着眼点が、世界中のファッション・ピープルから注目され、84歳の現在でも現役ファッション・フォトグラファーとして多大な影響を与え続けている存在だ。

しかしビル自身はいつもお決まりのブルーの作業着姿で、雨の日にかぶる安物のポンチョはやがて破れてしまうからと、新調することもなくテープで修繕して着続けている。コーヒーは安ければ安いほど美味しいと言い、ニューヨーク・タイムズ紙の写真家としての客観的な立場を保つために、パーティー会場では水一杯すら口にしない。50年以上暮らしていたカーネギーホールの上のスタジオアパートの小さな部屋は、今まで撮影した全ネガフィルムが入ったキャビネットで埋め尽くされていて、簡易ベッドが置いてあるのみ。キッチンもクローゼットさえもない。仕事以外のことには全く無頓着で、頭の中はいつもファッションのことだけでいっぱいといったような質素な生活ぶりなのである。 
ストリートファッションを記録し、伝えることに生涯を捧げている老人の生活と仕事観を知るための映画です。「私は働いていません、好きなことをしているだけです」と言い切る彼の生活は、本当に潔いものです。

彼がどれだけ普通のことを犠牲にしているかは、「誠実に働くだけ。それがニューヨークではほぼ不可能だ。正直でいることは風車に挑む、ドンキホーテだ」という言葉の重みで伝わってきます。

一見古くさく見えるリタイアせずに一生現役で働くことの喜びと、自分の人生をやるべきことに捧げている姿は、これからの生き方として、一番輝いて見えました。

奇しくも、本日、80歳でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんの人生からも、同じようなメッセージを感じます。ドキュメンタリー映画として話題となった「ハーブ&ドロシー」も、現代アートのコレクションに人生を捧げた質素な夫婦の姿が、すごく魅力的に見えました。

もはやアーリーリタイアメントに魅力を感じられなくなった価値観を持っている人間にとって、“何か”に人生を捧げた老人の生き様こそが、一番のお手本となっています。

カッコイイ生き様をしている老人(あえて敬意を込めて老人と呼びます)に、もっと会って話をしてみよう。そう、思ったドキュメンタリー映画でした。

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2013/05/21

「山寺」で感じたエンタテイメントとしての仕掛け


山形県の山寺(立石寺)の本尊御開帳タイミングで、近くにいたため、50年に一度というチャンスを逃すまいと、参拝してきました。



本尊の「薬師如来坐像(ざぞう)」(国重要文化財)の御開帳が前回行われたのは1963年! 東京オリンピックの前年ってことかぁ。

次回この薬師如来坐像に会えるのは50年後。。。自分の場合生きていれば88歳になっているはず。体力的なことを考慮すると山寺まで来て見る可能性はかなり低くなります。(80歳でエベレストに三度目のチャレンジをしている三浦雄一郎さんのような方もいるわけですが・・・)

こうやって、自分の命の有限性を突きつけられます。御開帳という行為自体が、命の有限性を考えさせるためにあるものかもしれません。

もう次は見ることができないかも?という気持ちから、生きているうちに何を成さなくちゃいけないかを意識させられ、ますます神妙な面持ちになりました。

その後、山寺の1015段ある山道を登った一番頂上にある「奥の院」までお参りして、顔を上げると、中に鏡が設置してあるため、お参りしている自分が映ります。

「誰かに頼るんじゃなく、自分でなんとかしてみろ」というメッセージなのでしょうか?



こんな急な山の上に、お寺を沢山つくってしまうこと自体、ものすごいエンタテイメントです。さらに、お参りすることで(先ほどの鏡などのような仕掛けを)いろいろと体験できるように設計されていました。

子供の時に来たときには気がつかなかったなぁ。

つい最新のものばかり見てしまいがちですが、旧いもの味わってみると、長期的に魅力のある(心理的な)仕掛けを学ぶことができます

郵便局の人が、歩いて登ってきていました。ご苦労様です

他にも、頂上付近には郵便ポストがあり、そこからハガキやなぜか「通信こけし」が送れるようになっていました。この場所から送付されたという限定感や、その時に感じたことを書くリアル感がありがたがられるのでしょう。

こけしを郵便で送れるのが画期的?送られたほうはどう思うのだろう?

いろいろ調べてみると、一時期山頂から降りてくる用の「滑り台」が作られたそうです。遊園地並のアトラクションです。どうやら摩擦などの問題で廃止されたらしいのですが。。。※滑り台遺跡を探した人のレポートを発見しました





ちなみに、ご本尊は境内は撮影禁止となっているため、写真などでは残せないようになっているのですが、パンフレット表紙に、薬師如来の写真が掲載してあるのは興ざめでした。。。禁止されてないのだろうか?



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2013/05/13

考えてばかりいても、波には乗れないよ。

「波に乗る/波を待つ」


先週実施した自分がやっているコミュニティ(脱藩学)のゲスト2名の話がリンクしました。

1人は、東北復興新聞を出しているNPO法人HUG代表理事で書籍「ソーシャルトラベル」の本間勇輝さん。

もう1人は、フィリピンで飲食店を経営し、人気ブログ「所長サンの哲学的投資生活」を執筆している所長さんです。

本間さんからは以下のスライドで、波に乗る(なりゆきに委ねる力)の大切さを。世界を旅しながら、波に乗った感覚と、波が来ない時期に無駄に抵抗しないことの大切さをメッセージしてくれました。




所長サンからは、Skypeで、投資や商売の経験から悟った「波が来たときに攻める」「波が来ないときには、波が来ているところへ動く」話をしてもらいました。Blogにも以下のように勉強ばかりしていないで動くことの重要性を書いていました。


日本人は本当に勉強熱心とおもいます。
いまは、いろんな面でとても学びやすい。
学んでから行動する環境が整ってます。
ただ、整いすぎるとぼくらは学びすぎてしまう。
それは素晴らしいことだけども、
実際に現地でやっていることは逆でして、
学んでから行動することなんてまずない。
行動から学ぶことばかりです。
知恵は吸収するものでなく生み出すもの(blogより引用)  

共通するのは、体験してみないと「波」を「波」と認識する感覚はつかめないということです。波に乗っているときは、動いていると次から次と必要な知識を持っている人と出会えたり、チャンスがやってきたり・・・と説明されても、自分が波に乗った経験を持たない限り、わかりません。

一回目の波に乗る感覚を掴むためには、とにかく行動してみる。まずは飛び込んで始めてみる。波に乗ることはは、自転車に乗れるようになるのと同じこと。なのに、大人になるとつい頭でっかちになってしまうってことですよね。。。



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2013/05/08

「何にコミットメントするのか」を問われる自己選択時代の憂鬱?


今朝配信されたダイヤモンドオンラインの記事に、「村上春樹作品の“離脱する主人公”に見る時代遅れ感 新しい共同体のヒントは『ONE PIECE』にあり?」というものがありました。

正直、タイトルに詰め込み過ぎだろう・・・とか、村上春樹を叩いてONE PIECEに結論を持って行かなくてもいいだろう・・・という気もするのですが、読んでみるとすごく面白い考察が出てきます。

しがらみを気にする時代からいつでも「離脱」可能な時代に
バブル崩壊以前(正確には崩壊後数年まで)の日本社会では、人間関係は「黙っていても巻き込まれるもの」だった。 
 生まれたときから、様々な人間関係がすでに用意されていて、その関係の中でうまくやっていかなくてはならないプレッシャーに晒される。親戚関係で、学校の友人関係で、就職後の会社組織で、人間関係のしがらみを気にしながら生きていかなくてはならない人生を送る人が多かった。
=========================================
むしろ、今日本人が求めているのは、どのようにコミットメントするか――つまり、どのように自ら望んで関係を構築するか――であるはずだ。 
 しかし、その答えが見つからず、皆四苦八苦しているのが現状だ。「コミュ障」なる言葉がメジャーになったのは、コミュニケーションの苦手な人が増えたのではなく、関係を自分をつくらなくてならない、という新たなハードルが出てきたためなのだ。

自分探し、生き方・働き方を模索し、悩む人が増えている背景をすごく的確に捉えています。

もはや悩みは「しがらみの中で、どうやって生きるのか?」ではなく、しがらみから逃れることを選択することも可能となった今、「何をやるのか?」に移行してきているのです

「何にコミットメントするのか」を誰しもが問われる時代。どんな人と繋がって、時間を使うのかを自分で選択しなくてはならない。

与えられたものでなんとかやっていく時代と比べて自由度が増したために、自分で決断し、行動しなければならなくなったのです。


いかに我慢して馴染むかよりも、いかに我慢せずとも馴染むか 
村上氏は、最新作を「リアリズムへの回帰」と述べたが、本当にリアリズムに回帰するならば、この時代に、いかにして自ら能動的にコミットメントを形成するか、その行動を描くべきであると私は思う。
 そして、この問題はそのまま日本の会社組織の問題となる。終身雇用制と年功序列制に守られて、共同体としての会社組織に「いかに我慢して馴染むか」が重要だった時代は終わり、嫌になったら辞める、逃げる社会になっている。 
 そこでは、「いかに我慢して馴染むか」という悩みはない。その代わり、「いかに我慢せずとも馴染むか」を求めるようになる。


「いかに我慢せずとも馴染むか」を考えるためには、自分が求めているものは何なのか? 優先順位が高いものと、低いものを見極めなければなりません

自分がどうでもいいと思うことは我慢せずに従えるが、自分が大切にしていることは譲れない。すべてをわがままに生きることはできないからこそ、自分の中のトレードオフと合致する環境を選び取らなくてはならないのです。

その場合、世間的に優先順位が高いか低いかは関係ありません。“自分にとって”が大事になるのです。だからこそ、自分のものさしを持っていない人は、情報に振り回されたり、恐怖感を煽られて不安にさせられます。

この状況で必要とされるコンテンツは、「自分のものさし」に気がつくための物語です。それは小説というフォーマットよりも、現実の生々しい実話なのかもしれません。良い面だけをクローズアップするのではなく、「捨てていること」「諦めていること」というトレードオフの面も見せるドキュメンタリーが必要とされているのでしょう。

他人の葛藤して選択してきたストーリーを知ることで、逆に自分自身が見えてくることに繋がるから。





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2013/05/02

デザインの力で「福祉車両」をメッセージ媒体にできるのか?


※この記事は、BLOGOSの「ブロガーが見たソーシャルイノベーションのいま」に寄稿したものです。


皆さんは、福祉車両について、どんなイメージを持っているでしょうか?

多くの人は、「福祉車両」と言われても、ピンと来ない方が大半でしょう。なぜなら、外観からは普通の車両と大きな違いがないからです。

福祉車両には、大きく分類して二つのものがあります。一つは、介護を楽にすることを目的としたもので、車椅子や足の不自由な方の乗り降りを楽にするための機能が付いたもの。二つ目は、通常の運転方法(ハンドルやシフトチェンジを腕で、アクセルとブレーキを足で操作する)では運転が困難人のために、手だけでアクセルやブレーキも操作できるなど、運転補助装置を加えたものがあります。

どちらも介護者もしくは運転者にあわせて、従来の車両を改造しているため、外観からは、違いがわかりづらいのです。そのため、多くの人は、自分や親族などが介護が必要にならない限り、「福祉車両」という存在に気がつきません。

課題認識は、可視化されることから始まる

後者の運転者自身が、自分の身体の状態にあわせた運転方法が選べる形式の福祉車両は、一般の車に溶け込んで、個々人が楽しむもの。だからこそ、福祉車両だと認識させることよりも社会に溶け込んでいるほうが望ましいでしょう。

一方で、前者の介護を目的とした福祉車両。特に、個人所有ではなく自治体や各種NPO団体などが所有する福祉車両には、「可視化」することが大きなメッセージになるはずです。地域にいる介護を必要とする方、介護事業に従事している人の存在を意識してもらうことに繋がるからです。

上記のような問題認識を持ちながら、4月26日行われた日本財団の福祉車両お披露目式に参加していきました。事前に配布されたリリースには「~若者が、福祉を考えるきかっけに~ アパレルブランド“ベネトン”デザインの福祉車両、誕生」というタイトルだったため、デザインによってどんな「問題の可視化を社会に投げかけるのか?」を期待して、会場へ向かいました。

日本財団の福祉車両配備事業とは?

“「誰もが不自由なく地域で暮らせる社会の実現」を目指し、高齢者や障害者の移動や就労支援に用いられる福祉車両の配備事業”

1994年度から、昨年度までに累計31,234台を助成金を出すことで配備してきているとのことでした。日本財団のサイト上の福祉車両事業の紹介には以下のようなゴールとミッションが掲げられています。

“ゴール私たちは、障害の有無や年齢にかかわらず、すべての人々が地域で豊かに暮らせる社会を目指します!ミッション
  • 「介護を受けるなら、住みなれた我が家がいい」(在宅サービス)
  • 「仲間たちに会えるから、毎日さみしくない」(通所サービス)
  • 「いろんな人にありがとうって声をかけてもらえて、まちの中で働くって楽しい」(就労支援)
といった、障害者や高齢者の声に、福祉車両の配備を通して、応えていきます。”
ミッションに従って、在宅支援型(訪問介護や訪問看護のため、ヘルパーや看護師が利用)や通所支援型(福祉施設を利用する方の送迎)というものだけではなく、就労支援型(障害者の就労に活用)といったものまでラインナップしてありました。

2013年は、今回発表されるベネトングループの「FABRICA(ファブリカ)」による新デザインの車両を2000台配備する計画とのことでした。

1999年から現在まで利用されている車両デザイン


ベネトン社の理念を伝えるメッセージ表現

アパレルブランドのベネトン自体が、「社会から憎悪と憎しみをなくす」という理念を持っている会社です。広告キャンペーンやメディアコミュニケーションなどを仕事としてやってきた私にとっては、ベネトン社の社会に提言する企業広告の存在はお手本であり、憧れです。

特に、オリビエロ・トスカーニ氏による企業広告は、物議を醸し出す企業広告として非常にインパクトのあるものでした。出稿量で勝負するのではなく、インパクトとメッセージ性によって出稿量が少なくても、社会にメッセージを伝える手法は見事でした。


写真は1994年の広告で、ユーゴスラビア内戦によって亡くなったボスニアの兵士が来ていた服装です。このショッキングなグラフィックによって、戦争という自分とは遠く離れてたニュースを、一人の個人が殺し合いによって亡くなったという文脈で自分たちの問題として考えざるをえない表現を行いました。


最近の「UNHATE(アンヘイト)」と題されたキャンペーンでも、社会から憎悪をなくすための社会メッセージを発信しています。



2011年に発表されたキャンペーンで、各国首脳や指導者がキスをしているように見えるように合成することで、「憎悪を乗り越えて平和な世界を作ろう」というメッセージを発信しています。

今回の福祉車両のデザインを無償提供したのは、ベネトン社のグループである「FABRICA(ファブリカ)」です。

“1994年に創業者ルチアーノ・ベネトンの提案により企業文化活動の一環として誕生したコミュニケーション リサーチセンター。ラテン語で「ワークショップ」を意味し、「実践による取り組み」と「双方向コミュニケーション」を軸に映画・デザイン・音楽・出版など様々のセクションを介して世界各国から選抜された若い才能の育成を目指す。”

私にとっては、季刊誌である「COLORS」(http://www.colorsmagazine.com)を出版元として、認知していました。

説明が長くなってしまいましたが、ベネトン社が今まで取り組んできた事例を鑑みると、今回の日本財団の福祉車両デザインがどんなものになるのか、期待が膨らんでしまうのです。

「WORKING TOGETHER」というデザイン

前置きが長くなりましたが、今回発表されたデザインは以下のようなものでした。

左が日本財団会長の笹川陽平氏。右がベネトンジャパン代表取締役のパスカル・センコフ氏

デザインテーマは「WORKING TOGETHER」とのこと。デザインコンセプトの説明は以下のとおりでした。

“福祉事業車両の配備をする団体と、その車両を使って地域社会に合わせた介護に従事する人。どちらも「地域社会を良くしたい」。そこで働いてみたら、同じマインドを感じることができるはず。その彼らに加えて、サポートを受ける人も一緒になって「WORKING TOGETHER」。

両手を上げたカラフルな人々が幸せを抱きしめ、車を包みます。「社会とともに活動する」日本財団のカラフルなシェアマークの車が地域社会に幸せを運び、広げます。「社会とともに活動する」人々はカラフルなシェアマークをソロに向かって手をつないで、あなたの待ちに笑顔を連れてきます。”

今回の福祉車両デザインだけでメッセージが伝わるかのか?

今回の日本財団とベネトン社が共同で行った、福祉車両デザインリニュアルプロジェクトの目的が達成できたのかを考察してみたいと思います。

日本財団が伝えたかった「福祉車両の配備を通じて、より多くの人に福祉環境の正しい理解を深め、心理的距離を縮めること、特に若い世代の人たちの福祉への意識改革を提案する」という目的がありました。

それを福祉車両を配備するという媒介にして、今回のグラフィックデザインで伝わったのでしょうか?

デザインコンセプトを説明されれば、社会とともに活動するという意図は伝わりますが、このデザインを見て「何を意味しているのだろうか?」ということを自然に考え始めるでしょうか?ベネトン社の広告キャンペーンのように・・・。

私が、ベネトン社の企業メッセージの手腕に期待しすぎていたせいがあるかもしれません。広告という媒体と、実際の車両となった場合に制約の違いがあったかもしれません。しかし、それでも毎年2000台の台数で社会にメッセージを伝えられる絶好の機会を得たものとして、このグラフィックデザインだけでは、目的は達成できなかったのではないかと言わざるを得ません。

足りないのはコミュニケーションデザイン

もともとデザインだけで、提言するには難しい課題でした。福祉車両がある意味、福祉車両が活躍する背景、従事している人がいることの意味を考える「きっかけ」もあわせて設計する必要があったのではないでしょうか?

例えば、この福祉車両のバックウインドウ部分をのぞき込むと、バックウインドウ部分に年老いた自分の姿が映し出されることで、自分ごととしてヒリヒリと感じられるような痛みが与えることもできたと思います。(コストを無視した議論ですが・・・)

もしくは、生活者が福祉車両に対して「ありがとう」を伝えるなんらかのアクションを促す仕掛けをデザインで行うことはできたかもしれません。この福祉車両の写真を撮影して投稿することで、日本財団から該当団体への募金が行われる仕組みがあったとしたら、写真撮影と投稿を促す車両デザインをファブリカに依頼すべきだったかもしれません。投稿することで、その車両に関わる人々の活動を紹介することができると、さらに理解を促すことができるでしょう。

このように、多くの人が直視していない課題を認識してもらうためには、グラフィックデザインだけではななく、コミュニケーションまで含めた提案が必要な時代です。せっかくの素晴らしい取り組みだからこそ、もっと多くの人に知ってもらう工夫ができればと本気で思っています。

僭越ながら、私がこうしてこの記事を書くこと自体が、日本財団の福祉車両事業について、皆さんが考えるきっかけになればと思っています。



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2013/04/26

「課題を解く」ことに喜びを感じる人



目の前にある問題を解くことに興奮を覚える人種というのがいる。僕もその一人だと思う。

人の役に立ちたいとか、社会貢献したい、という気持ちではなく、純粋に「問題を解く」ことが喜びだと感じる人が。

この人種にとって、最大の報酬は「難しい課題」を与えてもらうこと。夢中になれる課題があることがワクワクすること。

高名な数学者の藤原正彦さんは、「20年も解けていない数学の問題を長い時間考えるのが無上の喜び」と顔を輝かせて言います。数学が嫌いな人には信じられないことかもしれませんが、数学者にとっては解けない問題を毎日毎日10時間も考えていられるのはこの上ない快楽なのです。(http://www.asakyu.com/column/?id=197

数学者と課題の種類は異なるものの、根底には共通の「喜び」があります。しかし、数学と異なるのは、社会的な課題や企業の課題では、試させてくれる余地も大きな魅力となるということ。

「ニーズ」もその土地の特色になる。その土地が抱える問題を、テクノロジーを使いこなせるクリエイティブな人たちが移住してくることで、住民全員で解決できるようになれば、その解決方法がその土地の特色になる。いったんその土地がその問題の解決方法で有名になれば、ネットで世界中とつながる時代だからこそ、世界からより多くの意見やアイデアが寄せられ、視察がくるようになる。その土地はその「ニーズ」のメッカとして、世界的な尊敬を集めるようになるだろう。(http://thewave.jp/archives/258


面白い課題を解かせてくれる土壌があるところに人は集まる。課題を公開しても、解くために試行錯誤できる余地がなければ、魅力は半減してしまいます。



そんな僕も、そろそろもっと難しい課題に取り組みたい気持ちがウズウズしています。春だからかなぁ。何か課題をお持ちの方は、相談してくださいね。「課題×挑戦させてもらえる余地」がこの上ない喜びなので。


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2013/04/22

弱い部分をさらけだせるコミュニティの有り難さ

自由大学脱藩学三期講義後の歓談タイムの様子

先日、自分の主催しているコミュニティの集まり(飲み会)の空気感がすごく興味深かったので、ここに記録しておきます。(※写真とは別で、講義の卒業生が集まる飲み会での出来事です)

集まったメンバーが、「テンションの高い集まりにいくと、居心地が悪く、ひいてしまう」ということを吐露していました。どうやら、自分を良く見せて発表し合っているような集まりが多くて、疲れ気味?の様子。

なるほどなぁ。カッコつけて、イキっている集まりばかりだと、無理している感がでてくる。自分の弱い部分、そのままの自分を見せられる利害関係のないコミュニティがないとつらいよね。。。

補足しておくと、集まっていた人たちは後ろ向きな人ではなく、むしろ会社や社会に対してもっと貢献したいという気持ちが強い人たち。だからこそ、自分の求める基準と自分ができていることのギャップを感じてしまうようでした。

それぞれに自分が感じている自分の弱点や、最近感じる違和感をさらけ出し、雰囲気が徐々に柔らかくなっていきました。

facebookで見ていると、それぞれが面白そうな活動している部分が目に付くけれど、アップされていない部分で悩みや大変なことはいろいろある。そんな時代だからこそ、自分をさらけ出せるコミュニティ(仲間)が必要なんだよね。

自分を鼓舞して背伸びするコミュニティよりも、弱い部分をさらけ出せるコミュニティの存在価値が重要になってきているのかもしれない。



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2013/04/18

都市開発に学ぶ「真のユーザーが、発言権を持てる仕組み」の重要さ


4/18日に大手町で行われた「GREEN URBAN INNOVATION ポートランドに学ぶ グリーンシティのつくり方と使い方」と題したカンファレンスに参加してきました。

参加の理由は、昨年ポートランドを訪れて「何が起きているのか?」は理解できたものの「なぜこんなことが実現できているのか?」という部分について、解明のピースが一枚足りないような気がしていたからです。

<ポートランドに行って見えた成功要因>

・小さすぎず多すぎない都市圏の規模感

・自然環境に恵まれた地政的なメリット

・経済的成功を目指す人はカリフォルニアに行き、生活の質を重視する人はポートランドにやってくるといわれる、フィルターが機能していること

・大企業の本社などもあり、仕事があること・仕事を求めてやってくる若い人も、自分で小さな仕事を始められる隙間が残っていること


・生活コストが上がりすぎていないこと
で、一枚足りなかった部分が今日のカンファレンスで見えててきたものは何なのか?

長期ビジョンに則った街を作るための行政と民間を含めたシステムが見えていませんでした。


ポイントは、土地を所有している住民やディベロッパーなどが高い固定資産税を払い、それを財源としているからこそ、自分たちの意志を反映した街づくりを行える仕組みです。



固定資産税を特定地域などを対象に付加するTIFというスキームで、PDC(Portland Development Center)などが財源を得て、その地域を開発する原資として、民間企業と一緒に口も金も出す立場でプロジェクトに関わっていくシステムです。

地域住民と対話してどんな地区開発を望んでいるのか?コミュニティ形成につながるオープンスペースはどんなものが必要なのか?をPDCがコミュニケーションしながら、開発計画を作り、そこに民間企業を募ってプロジェクトを行っているようでした。

固定資産税をTIFというプログラムで多く払っている人が、発言権を持てる仕組みになっているがいいですよね。


受益者負担の理念が行き渡るように、日本でも徴税権などを地域単位でフレキシブルにやらないと、理想ばかりで、前に進みません。

真のユーザー(この場合だと地域住民)が、財源的にもプロジェクトオーナーになっていることって大事ですよね

都市開発についてだけでなく、新規事業のプロジェクトなどをスタートさせるときにも、発言力の設計などをちゃんとやっておくことって、忘れられがちですが重要です。



カンファレンス終了後、ポートランドのローストコーヒーが振る舞われていました。
こういう“売り”があるのが強いよなぁ


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