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2012/10/05

失敗談ほど美味しい経験はない。

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成功話をわざわざ人に話すのは自慢になってしまうが、失敗談であれば話しやすい。聞く側も、自慢げに話された成功談は、うがった捉え方をしてします。「本当にこの人の手柄なの・・・」と。

しかし、失敗談であればアイスブレイクにもなり、そこでその人が体験したこと、学んだことがすんなりと心に入ってきます。失敗談を話してもらえると、初対面の人でも、一気に信頼感が高まることまでありますよね。

自分がよく使う失敗談は、入社二年目で任された雑誌の関西版で「表紙の定価ミスが、印刷会社で深夜に発覚し、翌日昼までにピックアップに来るトラックに、正しい定価の雑誌を積み込まないと掲載している広告費などが損害賠償になるという恐怖体験」です。

まさしく修羅場であり、どうやってトラブルをシューティングするか機転も実行力も求められる話でありながら、雑誌の流通構造・本が書店に並ぶまでの仕組みを伝えられるお話です。(と、自分では思っています・・・)

会社のプリンターで大量に出力した正しい定価を明記したステッカーシールと、社員&臨時アルバイトをかき集めての人海戦術で事なきを得ました。あのとき、正しい定価が貼られた本を新大阪駅の書店で見つけたときの感動は一生忘れないでしょう。

情報を編集して、社会に届けることの責任や影響力も慣れてくると麻痺してしまいます。しかし、この事件を思い出すことで、初心に戻れます。

多くの方々に迷惑をかけることで、トラブルを沈静化できたことなので、もちろん反省も感謝もしています。しかしだからこそ、多くの人に迷惑をかけたせっかくの事件を失敗談としてネタにして、使わないともったいない。

話がうまい人は、一つや二つの失敗談をもっているものです。(僕はもっとあるけどw)

何かをはじめるときに失敗したらどうしようと躊躇する人もたくさんいるでしょう。会社で失敗したら自分のキャリアに傷がつくとか気にしている人もたくさんいるかもしれません。

でもね。時間がたつと失敗談って、美味しい経験談になるのです。誰かに話しても嫌みにならず、みんなが面白がって聞いてもらえて、さらに自分の印象を残すことができる。いいことだらけです。

何かに挑戦してみて、成功したら褒められるし。失敗したって数年後の自分に感謝してもらえるんだよね。



自由大学「脱藩学」第二期受講生募集中です!

2012/09/28

楽でも、派手でもなく「丁寧に暮らしたい」

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仕事が忙しくて、生活が荒れぎみのときほど、「丁寧に暮らしたい」という気持ちがわきあがってきてくる。ホッコリしたいんだけど、だらしないのは嫌なんだよね。

別に派手な生活をしたいわけではなく、ラクして暮らしたいわけでもなく、ちゃんと「丁寧に暮らしたい」。僕らの生活が、便利になんでも手に入るようになり、どんどん効率的になんでもできるようになってきた揺り戻しとして「丁寧に」「手間をかけて」暮らすことへの憧れが生まれてくる。

不思議なものです。

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大阪でWSWS(wisdom sharing work shop)という会で講演するために大阪に行き、翌朝京都にいる同期と2時間強おしゃべりして帰ってきた。

お茶一つとっても、観光客向けの顔と、日常生活に溶け込んでいる生活としての顔がある。僕個人は後者の顔を見たり、体験することに興味がある。住んでいる人にとっては「必要とされる・必要だと思われている」のは前者である観光客向けの顔。

観光客のほうもハレの姿をいくらみても日常生活が“ハレ”化しているから、希少価値を感じなくなっている。むしろ、ラクでも・派手でも・わかりやすいものでもない、「丁寧に暮らしている」“ケ”の姿のほうが興味深く感じると思う。

例えば、「丁寧に暮らす」ということを体験するために京都に旅に行って1日だけでも、その生活に浸ってみる。水をくんできて、植物に水を与えて、その後丁寧に朝食を作って食べる。そんなプログラム体験したい人は多いだろう。

丁寧に暮らしている人は、便利に暮らしている人を羨み。便利に暮らしている人は、丁寧に暮らしている人に憧れる。人間は、ないものねだりなんだから。

観光で本当に提供して欲しいのは、「普段ないもの」のほうなんだよね。そして「普段ないもの」が時代の移り変わりによって、「いつもあるもの」になってしまう。

そういうことに気がつけるように、常に第三者の眼を忘れずにもっていたいですね。

2012/09/19

新しいワークスタイルに憧れるのは「自分の気持ちに嘘をつく働き方を続けたくない」から


話題の書籍『ワークシフト』ではマクロ的に労働環境の変化が書かれています。

マクロの動きとリンクしているのか、たまたまなのかはわかりませんが、個々人は「自分の感情」に従って、今の居心地の悪さをなんとかしたいと動き出しているようです。


自由大学で行っている「脱藩学」「アメーバワークスタイル」の講義参加者と対面して感じるのは、彼らが「新しいワークスタイル」に惹かれる根っこにあるのは「これ以上、自分の気持ちに嘘をついて仕事を続けていいのだろうか?」という疑問です。


顧客にとって本当にいいことをやっているのだろうか?

自分の働き方は誰かを犠牲にしていて、それを見ないようにしているのではないだろうか?

自分はおかしいと思っていることも、「みんながやっているから、組織とはそういうもんだ」とのみ込んでしまっているのではないか?


こういったモヤモヤたちです。


新しいワークスタイルに求めるのは、「どこでも・いつでも・誰とでも仕事ができる」という浮ついた言葉よりも、もっと地に足がついたもの。誰かを騙したりせずに、正々堂々とゆっくりとまっすぐに生きたいという実現手段です。

彼ら・彼女たちは、もともと破天荒に自分の好きなこと・やりたいことを追求してやってきた人たちではありません。

今までの自分の枠からはみ出ること。今まで築いてきたものを手放すこと。組織にいる仲間とは異なる価値観を歩み始める必要があること。。。これらの悩みからどう動き出せばいいのかが見えないのです。でも、もうこれ以上嘘を続けることがつらい・・・。


社会的に認められてきた合理的な道を一生懸命に歩んできた人たちが、自分の気持ちに嘘をついていることに気が付いてしまった。だから動き出したくて悩んでいます。


新しいワークスタイルをただ煽るだけではなくて、この悩める層に「こっち側」の世界を体験させながら、ソフトランディングさせてあげる。

ある程度予測可能な生き方から、不安定だけど、何が跳ねるのかわからない生き方へ。メリットだけでなく、デメリットや苦労を伝える場が必要だと思っています。

顕在化したニーズや共通の悩みを見つけることが難しくなった社会で、はっきりとしたモヤモヤがここにはあります。


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2012/09/08

自由大学「脱藩学」第一期のまとめ。皆さんありがとうございました。


以前、このblogでも告知しました自由大学での「脱藩学」が無事第一期が終了しました。写真は、最終回終了後すっきりした顔で卒業した集合写真です。ちゃんと卒業証書授与もやりましたw

脱藩学で伝えたいなぁと思ったことは以下のことでした。

「脱藩する=自分の選択肢を作って生きる」こと。そのためには、自分が何を求めているのか?どんなことを大事にしていて、何が許せないのかに気が付くこと。自分の気持ちに嘘をつかない生き方を求めているのに、前に進めない人たちに動く最初の加速度を付けること。これが脱藩学でやりたかったことでした。



カリキュラムとしても、自分を掘り下げ発表し、自分が話を聴いてみたい先行脱藩者にアポを取り、その上で自分たちが発見したことをお互いシェアするという実習型。多くの人にアポイントを取り、実際の話を聞くことで、現実的にイメージができたと思います。


第1回:[認識]仲間と自分を見つける
第2回:[探索]自ら動いて調べるヒントを得る
第3回:[発見]師匠を見つける
第4回:[丁稚]私淑・丁稚する
第5回:[共有]学んだことを仲間と深める

自分が求めるものを追求していく生き方をするためには、自らチャンスを掴みに動くことが必要になります。学校や会社で求められてきた「見返りとかリターンを説明して動く」という考え方から、どうなるかわからないけれど、好奇心でどんどん動いていく習慣を身につけて欲しいと思い上記のようなカリキュラムを組みました。


学生・主婦・会社員・自営業と本当にさまざまな方が集まりました。それぞれ時間がない中で、チームごとに話を聞きたい人にインタビューに行くというアクションを通して学んだことは多かったと思います。


このカリキュラムを自由大学という場でできたのはすごく良かったです。

教えられる側が一方的に先生から話を聴いて教わるのではなく、自ら動きながら体得していくというスタンス。わざわざ駅から遠い場所に毎週集まるというハードル。

また第二期もやりますが、第一期で見えてきた「毎回タイムオーバー」という問題を見据えて、改善策を準備して始めたいと思っています。

■脱藩学卒業生のコメント(脱藩学ウォールのものを一部転載しました)

全5回の講義、本当にありがとうございました。想像してた以上に得られたものが多かったとしみじみ感じてます。最初脱藩したいと思ってたしがらみもいつのまにか抜けてることに気づきました。そして臆せずまずは行動しようという意気込みや積極性が出てきました。素晴らしい場を提供してくださった皆さんに本当に感謝です。


昨日で脱藩学の講義が終了。
今日は祭りの後の余韻というか、終わってしまった寂しさも少しあり。
とにかくこの講義はとても内容が濃かった!!今まで参加した勉強会や講義の中でもかなり印象に残るものだった。
そもそもこの講義に参加している時点で、生きることに前向きなメンバーだと思うので話していて気持ちがいいし、自分自身も大いに振り返ることが出来た。自分の真の気持ちにも気付いたし。。
受身でも押しつけでもなく、自らとても興味をもって参加できました。
昨日特に心に残ったキーワードとして
・直観、インスピレーション、グレーゾーン、人、本、書き留める、問い、、etc
番外編として、スタンプラリーw
そういえば、質問した直観・インスピレーションですが、よく考えたら脱藩学を見たとき、すぐに「これ、受けたい!!」って感じてたな。グループワークを始め、インタビューに協力して下さった皆様、また他のグループ発表やデータのアップデートもかなり参考になりました。今後ともいい関係が続きますように。
そして自分自身も磨きつつ、来月の同窓会が早くも楽しみです!


自分をよく観察し、分析するというすごい時間を頂き感謝しております。脱藩学はおわってしまいましたが、本番はこれからなのかなと思います。今回の学びをもとに自分を少しずつ改革できたらと思っています。みなさん今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

実は、僕の頭はまだモヤモヤしていて、あんまり終わった気がしてないんですね。ただ、そのモヤモヤの中身は、受講前から比べるとどんどんカタチが変わってきました。悶々と自分が出来ないことを嘆いていたところから、自分がやりたいことを、まず小さく始められそうなことをやるにはどうしたらよいかという発想に、ですね。という意味でも脱藩の勉強会など、Try and Errorで進んで行ければと思ってます。

普段、人前で伝える・発表する機会がなかなかないので本当に有難い経験でした。脱藩学のメンバーからもお誉めの言葉を頂きとても嬉しかったですし、少し自信にもなりました。振り返ると面白い気付きが幾つかありまして、例えば、自身の価値観を探るワークで、就活の自己分析の際には出てこなかったポイントがすらすら出てきたことに驚きました。また、チームで物事をやり遂げることは本当に達成感があります。脱藩学に参加してから、姿勢や考え方が変わっていく自分に気付きました。今後も脱藩学で学んだ姿勢や考え方をもとに、積極的に人・本・場所を求め、行動したいと思います。今後もフリユニや同窓会でお会いできること楽しみにしております。
皆さん 本日はお疲れ様でした。この一月、皆さんと一緒に脱藩者へのインタビューを行い、ディスカッションを行うことで、気付けた事が沢山有りました。そして、同時に自身の課題がかなり浮き彫りになりました。皆さんと過ごした一月は僕の血肉となりました。本当に有難う御座いました。自分に、時間・お金を投資して本当に良かったと思っております。と、形式ばった文言でさよならしてしまうのは絶対嫌なので、ぜひ勉強会を実施させたいと思います。


ー今回の脱藩学で学んだ結果見えてきた、自分の方向性ー ワクワクする事を仲間と考えることが好き自分だけの力では小さな特技でも、仲間とのコラボで成り立つこともある。ただ、経済性は無視できないので、副業というカタチで小商いコラボを始めたい。 今年に入ってから、技師の仕事しかない自分の先が見えなくて、変えたくてもがいた中で得た仲間たちに、各々の得意分野で助けてもらいながら、顔の見える小商いで小さな循環システムを築けたらと思うようになった。  現代版、組内といったところか?
皆様、短い期間でしたが、濃い時間をありがとうございました!毎回時間が足りなくなるほど充実していて、個性豊かな方たちと一緒に新しい発見がたくさんでき、本当に楽しかったです。これからも宜しくお願いします!

個人的に、一番嬉しかったのは、脱藩学卒業生が「今後もお互いの進捗&学びを共有する脱藩学同窓会」を提案して、さっそく企画してくれたことです。学び続けるためのコミュニティがこうしてできあがっていくのは、本当に嬉しいですね。もちろん、僕も関わっていきます!。


最期に、キュレーターとして一緒に脱藩学を作ってくれた古屋さん、ゲスト講師として登場いただいた板羽さん。自由大学の皆さん。そして、受講生の突然のインタビューアポイントにご協力いただいた皆さん。本当にありがとうございました!

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2012/08/28

安定し持っている物が多い人ほど閉塞感を感じ、不安定でも時間と自活能力がある人は輝いている

みどり荘 目黒区青葉台の高級住宅地にありながら、豪邸よりも不思議と輝いている

■「自分の人生」と「他人の人生」

「自分の人生」を生きてる人は、「決定権」を自分で握っています。どんな仕事を誰とするのか?どこに住むのか?どう時間を使うのか?の決定権を持っています。

一方で、「他人の人生」を生きるとは、判断基準を「社会のものさし」にし、言い訳をしながら、決定権を使わずに受動的に選択を行っている生き方です。

「他人の人生を生きる」人にとって、一番の言い訳は「不安定な状態・どうなるかわからないものを選べない」ということでしょう。

しかし、「自分の人生」を生きている人たちにとっても条件は同じです。視点が違うだけです。「一年後、どうなっているかわからない」という不安と「一年後、新しい計画を立てられる」という可能性は表裏一体です。

■「自分の人生」を生きたければ、チャンスを失わない状態に

目の前にあるチャンスを掴みたいのに、自分の今持っている権利や待遇を手放すのが嫌で、見逃してしまう人がいます。これは、やっぱりもったいない。

だから、チャンスを掴むために、僕がオススメしているのは「普段から自分の損益分岐点を低くしておくこと」


固定費を低くして、収入に合わせて自分の生活をコントロールできる自信があったら、みすみすチャンスを見逃す必要はなくなる。

(別に貧乏に生きろというメッセージしているわけではなく、チャンスを掴めるだけの準備をしとけという意味です。数年間やっていけるキャッシュがあることもチャレンジには有効です)

会社からの給与を前提とした生活設計と、それに基づいて楽観的に組んだ住宅ローンは自分を縛り付ける「高い損益分岐点」をつくってしまう。フットワークが重くなるような選択をしないことが、機会損失をしない状態作りでは大事です。


====================================
上で書いたような考えに惹かれるのはどうやら僕だけではないようだ。

自分の人生を生きるために、消費依存社会のあり方に疑問を抱き、自分で創ることで愉快に生きていくことを実践している人たちがいる。

アバンギャルドな取り組みが書かれている下記二冊の販売が好調なのを見ていると、現在の消費依存社会への「閉塞感」を感じている人が多いようだ。

独立国家のつくりかた/坂口恭平(著)


ナリワイをつくる/伊藤洋志(著)



二人に共通しているのは、「マイホーム」という世間で言う大きな買い物の意義を疑っていること。現代社会をサバイブするためには必ずしもお金が必要ではないと考えていること。

共通するメッセージは以下のようなものだ。
「買わなくても、創れる」を実践している人たち、手に職を持った仲間のネットワークを持っている人たちは強い。 

なぜなら、買わないと必要な物が手に入らない人、自活技能を持った仲間がまわりにいない人は、市場で必要な物・スキルを手に入れなければならなくなる。その分だけ、生きるためにお金が必要になるから。

安定し持っている物が多い人ほど閉塞感を感じ、不安定でも時間と自活能力がある人は輝いている。この現象をどう考えたらいいのだろうか?

昔への憬れ? 高度経済社会への反動? それとも進化だろうか?


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2012/08/19

「都市と消費とディズニーの夢」グローバル化する世界、ショッピングモール化する社会




速水健朗さんの『都市と消費とディズニーの夢をお盆休みの飛行機の中で読みました。そのせいもあって、ショッピングモール化・テーマパーク化する空港の現実を目の当たりに感じながら、今後の都市の在り方、Web上で起きていることとの類似性についてぐるぐると考えることができました。

無視できない存在なのに軽んじられている「ショッピングモール」の歴史・現状・競争原理などが書かれている本です。新書のため文章量も多くはないのですが、都市好きやコミュニケーション・消費などに関しての仕事をしている人には、多くのアイデアを与えてくれる本だと思います。


以下、僕が考えさせられた部分のメモを箇条書きに列挙しておきます。

1:目的型から滞留型へ。Webとの類似性

検索エンジン主導線から、滞留型サイトからの導線が主流に変わってきたwebとの類似性がショッピングモールでもとっくにたどった道だった。人間中心に考えた場合、顕在化したものから潜在的なものを発見する喜びに移行してくるのは自然な流れなのだろう。

・1970年の時点で、フランスの批評家のジャン・ボードリヤールはショッピングモールを「未来都市の規模にまで拡大されたドラッグストア」と評しています 
・彼は、百貨店とショッピングモールの違いをこう説明します。百貨店はあくまで「現代的消費財」を売る場所であり、目的を持って歩き回ることができる空間であるが、モールは「多様な消費活動の綜合を実現する」空間であるといいます 
・「綜合」される「多様な消費活動」とは、日々の食料品から生活の知恵から、映画から家族での食事まで、商品に限らない「多様」な消費財が「万華鏡式」に「混合されている」状態を指しています 
・つまり、人々がショッピングモールで消費する物とは、余暇や機会といったものになっているということです 
・1970年代以降のショッピングモールとは、金銭消費型から滞在・滞留型へと進化します。つまりは、消費をするために集まった人びとにお金を使わせることが、本来のモールの消費の在り方でしたが、70~80年代のモールは、足を運んだ人に消費の機会を突きつけるというものに変化したのです

2:ショッピングモール族という世界共通のトライブ

国や宗教よりも属性の違いのほうが、見ている世界を規定しています。ショッピングモールを訪れる人たちと、バックパッカーの見ている世界は異なる。地元のクリエイティブピープルが出入りする場所と、観光客向けのたまり場も異なっています。(フォロワーや知人によって、接触する情報が異なるSNSとの類似性)


・批評家の東浩紀は、リゾート地のショッピングモールで見かけるクロックスの合成樹脂の靴を履いた子どもを連れた人びとの存在に触れています。 
・彼らクロックスピープルは、人種も文化も使用言語も宗教もばらばらです。彼らは富裕層ではありません。東は「異国のリゾート地で過ごすていどの経済力を備えたグルーバルな上層中流階級」と彼らを名付け、「ショッピングという共通言語」が彼らを深く結びつけているのだと指摘します。言い換えると「ショッピングが支えるグローバルな階級意識」ということになります。


3:プラットフォームとしてのモール、コンテンツとしてのテナント、コンセプトとしてのテーマパーク

都心の経済価値の高い土地を有効活用しようとすると、その要請に応えられるのは「ショッピングモール」となる。共通のプラットフォームの中に、コンテンツとしての店子が入り、店子を入れるコンセプトであるテーマによって差別化されていく。

ショッピングモールの話をしているのか、オンライン上のメディアの話をしているのか、わからなくなります。人を集め賑わいの場所をつくることにはオンライン・オフライン関係なく共通点があります。

ちなみに、この本にはメディア企業であるテレビ局がモール化している現状も書かれてあります。核テナントをフジテレビとした「お台場」、テレビ朝日と「六本木ヒルズ」、日本テレビと「汐留」、TBSと「赤坂サカス」・・・。


4:ショッピングモールと都市の生態系

中に入る人を制限して安全を担保するゲイテッドシティ、自動車を地下して安全に歩ける街、職住隣接させて利便性を極めた場合に生まれてくるショッピングモール都市。ウォルト・ディズニーが最期に構想していた夢の国だそうです。


・彼(ウォルト・ディズニー)の構想していた都市には、EPCOTというプロジェクトコードがついていました。これは“実験未来都市”(Experimental Prototype Community of Tomorrow)の略です 
・EPCOTは、中心から等距離の同心円状に拡がり、商業地区と居住地区が分離(さらに居住地区は、高密度と低密度に分かれている)され、それぞれの層をモノレールが結んでいました。人々が乗る自動車やゴミ収集車など、都市の維持に欠かせないクルマは都市の表面から閉め出され、地下に走らせた道路を通ることになっています。化石燃料を消費し、二酸化炭素を吐くクルマは、この都市ではバックヤードに追いやられているのです。そうすることで、交通事故は激減し、人々は都市の表面で安心して暮らすことができるというアイデアが込められています

都市の課題を解決するために生まれたものがショッピングモールであり、さらに経済効率的にも支持されたからこそ、ここまで広がったプラットフォームであるわけです。

実際、新興都市にはショッピングモール都市といえるような場所が多々あります。しかし、今あるショッピングモール都市には必ず別の生態系も共存しているからこそ、うまく成り立っているように感じます。

ショッピングモールを活用する層と、それとは別の生態系であるクリエイティブ層、そして中間所得層に憧れる層があってはじめて今の都市の生態系が成り立っています。

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ちょっと前に、以下のようなtweetをしたのですが、まさにこの分野が、自分が深掘りして考えておきたい分野です。


もっと世界で起きていることを見たいし、都市の住人に起きていることを見たい。そこには、これからを生きるヒントがたくさん隠れているから。





都市と消費とディズニーの夢
ショッピングモーーライゼーションの時代/速水健朗

目次
まえがき

第一章 競争原理と都市
コインパーキングによって変わった街の風景
都市のすき間を埋めるビジネス
公共施設にスターバックスができる理由
病院にカフェが増えるメリットとは
サービスエリアの民営化による変化
競争原理のもうひとつの側面
東京駅、羽田国際ターミナル、東京スカイツリー
ステーションシティ化とは何か?
空港民営化時代の競争戦略とテーマパーク化
東京スカイツリーとショッピングモール
グランドゼロの教訓と都市の創造者
最適化する都市=ショッピングモーライゼーション
六本木ヒルズはショッピングモールか?
商店街の衰退について回るウソについて
社会学から見たショッピングモール批判
まちづくりとコミュニティデザインブームへの違和感

第二章 ショッピングモールの思想
ディズニーの最後の夢とショッピングモール
ウォルトの最初の“夢の王国”
都市の夢と20世紀初頭の偉人たち
鉄道マニアの果てに
東西冷戦とノスタルジー
保守主義者・愛国主義者のウォルト
“夢の国”の誕生
テーマパークとは何か?
テーマパークと物語の導入
アメリカにとっての建国物語である西部開拓史
「トイ・ストーリー」に示された二つのフロンティア
ディズニーランドの視覚効果
ディズニーランドの次の夢
ウォルトの死によって完成しなかった都市
犯罪ゼロの理想的都市EPCOT
1950年代の大都市の荒廃
ショッピングモールの父、ビクター・グルーエン
ショッピングモールと田園都市

第三章 ショッピングモールの歴史
街と消費のかかわり、パサージュから百貨店へ
スーパーマーケットの登場
黎明期のショッピングモール
現代のショッピングモールの原型の誕生
モータリゼーションからスーパーハイウェイへ
ルート66の廃線とアメリカ人のノスタルジー
「カーズ」で描かれるアメリカ道路行政の転換点
アメリカ的生活とショッピングモール
「シザーハンズ」とニュータウンの共同性
「シザーハンズ」と郊外生活者のディストピア
公共性を帯びていく60年代のモール
モールに対する反発と批判の1960年代
映画「ゾンビ」のショッピングモールの様式
人はゾンビになっても消費から逃れられない
ゲイテッドスペースとしてのモール
モールの手法を用いた都心の再開発が始まった1970年代
観光地と結びつくモール
複合プロジェクト型再開発時代の始まり
映画「ターミネーター2」とダウンタウンモール
サンディエゴの都市再開発とジャーディ
アメリカダウンタウンのモーライゼーション
ボードリヤールのモールへの予言

第四章 都心・観光・ショッピングモーライゼーション
東京近郊高級住宅街の現在
緑と明るい空間に太陽光が差すモール
戦後のニュータウンと戦前の郊外住宅
鉄道会社主体の都市計画
多摩田園都市というニュータウンの誕生
中流階級台頭とモールの普及
モールとデパートの違い

【自動車時代のショッピングモール ららぽーとTOKYO-BAY】
日本版本格的郊外型ショッピングモールの登場
船橋ヘルスセンターと東京ディズニーランドの共通点
モール=ハードウェア、テナント=コンテンツ
ショッピングモールにとっての優良コンテンツ

【観光地とショッピングモール】
アミューズメントパークとモール
ラスベガスのショッピングモーライゼーション
ジャーディとラスベガス
モール、テーマパーク“シティ”への環境変化

【1990年代の日本のショッピングモール状況】
1990年代以降の日本のモール急増
日本版ダウンタウンモール
代官山モーライゼーション
都市とコンテンツ、モール化するテレビ局

【グローバル化とモールの関係】
訪日観光客で変わる街
観光客はショッピングモールを目指す
世界のモール化する観光地
クアラルンプールのショッピングモール
観光都市という視点
ショッピングモーライゼーションがもたらすもの

あとがき

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2012/08/06

23年前に黒川紀章さんが書いた「ノマドの予言書」を今こそ読むべき

故・黒川紀章

都市を計画したり、多くの人が使う建物を設計する建築家にはビジョナリーであることが求められる。

2007年に亡くなった建築家の黒川紀章さんは、間違いなくビジョナリーの一人だった。多くの人にとっては、都知事選出馬やバラエティ番組によって「変わった人」という印象だけが強くなってしまっているのが、大変残念である。

その中で、1989年に出版された「ノマドの時代 情報化社会のライフスタイル」は、まさしく先見の明があったことを証明する書籍でしょう。

ノマドという言葉が新しかったため、書名にも「新遊牧騎馬民族」とルビがふってある。この本で書かれているのは、ノマドというムーブメントを予測だけでなく、21世紀への3つのキーワードは「騎馬民族(ノマド)」「江戸」「情報化社会」と明言している。

以下の目次を眺めていただければ想像できるように、リチャード・フロリダなどが提唱している「クリエイティブ都市」としてのあり方について書かれている。


<
目次>
序章 新騎馬民族とは
1章   騎馬民族のライフスタイル
2章   情報都市−江戸
3章   江戸を見る目
4章   江戸は“旅”の時代だった−巡礼の道
5章   江戸のホモ・モーベンスと講−伊勢参り
6章  「過密」こそ情報を生む−江戸の情報網
7章   西欧の「広場」と東洋の「道」
8章   環の思想
9章   ネットワークの時代
10章  江戸の時間コミュニティ
11章  情報のダブル・コード−受けつつ送る
12章 「高密都市」の情報マッサージ
13章  演劇空間都市
終章  情報化社会と情報都市


本文からちょっとピックアップするだけで、我々がネットで議論していることがこの古いテキストにそのまま現れてくる。


人材と情報が集中するオアシスでこそ強い都市になる
集積回路としての都市の舞台だから、移動空間を情報空間にする
アドホックなグループコミュニティが成立する、ノマドの時代の人間関係
高密都市だから持てる、フェイス・トゥ・フェイスの口コミュニケーション
ものから関係への情報化社会
均質なイコン社会から、多様な個の関係の社会に変わる
ダブルバインドが情報化社会を生きる「新騎馬民族」のキーワード
情報化社会はシンボリズムの時代
農耕・工業化社会の掟から人類の解放をめざす「新遊牧騎馬民族」
ハイブリッドで多種多様体な異質文化が共生するノマドの時代
・・・


すでに絶版になっている書籍なので、中古で入手するしかないのが非常に残念だが、間違いなく「今こそ」読むべき本。夏休みにじっくり読んで、個人と都市、今後の社会予測などにじっくり向き合うのに最適なテキストだと思う。




関連記事:「ノマド論に対して、会社員とフリーが対立することの不毛さ。


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2012/07/31

与えられた選択肢から選ぶより、自分で選択肢をつくる

二者択一の選択肢で、決められずに悩んでいる人こそ、そのトレードオフの選択肢から離れたほうがいいと思う。

魅力的な選択肢がないのであれば、自分で選択肢をつくってしまえばいい。そんなアドバイスをすることが最近多くなっています。それが「自分の頭で考える」ってことじゃないのかなぁ。

The fork in the road / i_yudai


考えてみると、僕らが普段接する商品にしても、サービスにしても時代環境によって変化したニーズにあわせて変化してきています。それなのに、まるで人生の分岐点や、ディベートの課題のように、二者択一を迫ってくる選択肢は、ずっと変わっていません。


・住宅であれば「買うか? 借りるか?」
・大学を卒業する頃になると「就職するのか? 進学するか?」
・退職する人には「起業するのか? フリーになるのか?」
・結婚・出産する女性には「仕事を続けるのか? 結婚・出産を機に家庭に入るのか?」


ステレオタイプな選択肢ばかり・・・。


もちろん、提示されている選択肢の中から満足した道を選ぶことができる人にとっては、なんの問題もない。しかし、二者択一を迫られて苦しんでいる人こそ、この選択肢から逃げたほうがいい。


しっくりこない人は、第三の選択肢を考えてみる。自分にあった選択肢を作ることに自分のあたまを使ったほうがいい。それは、二者択一じゃなく、「どっちもやる」を選ぶこともかもしれませんし、「どっちも選ばない」という選択かもしれません


・家を「買うか、借りるか?」からはみ出したシェアハウスやコーポラティブハウス、オーナー住居付き賃貸マンション・・・


・「就職か?進学か?」からはみ出した、いきなり起業や海外就職、学びながら働く、就職しながら学問を続けるというその他の選択肢・・・


・「起業か?フリーか?」からはみ出した連携してチームを作って仕事をするフリー集団。法人という器を使った一人起業。起業もしながらフリーとしての仕事も両方やる「一人コングロマリッド」・・・


・結婚・出産する女性であれば「旦那と二人起業」「旦那が主夫になって、自分のキャリアを続ける」「会社と契約して、専門性の高い仕事を続ける」・・・


こうやって書き出してみても、選択肢はまだまだたくさんあるはずです。「その他」の選択肢がたくさんある社会こそが、多様性のある「しがらみの少ない」社会だと思うんですよね。




「どっちも選ぶ」という関連記事:西安で考えた「この時代の日本だからこそ得られるハイブリッドな生き方」


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2012/07/23

「ちょこっと稼ぐ」は雇われて働いている人にとっても魅力的。



Chikirinさんの「ちょこっと稼ぐの復活」というエントリーが深すぎるので、Blogに自分の考えを書かざるをえません。。。
就職できないで自殺する人までいるらしいけど、そこまでいかなくても就職できるかどうかが大きなストレスになっている大学生はたくさんいるでしょう。そもそも「雇ってもらえなければ、人生終わり」みたいなコンセプトはおかしいとは思うけど、そうなってきたのは、「何やっても食べていける」という感じがなくなってきたからかも。 
昔は自分で何かやって「ちょこっと稼ぐ」というのが、もっと身近だったんじゃないかと思う。


いつのまに「雇ってもらって、給与をもらう」という選択肢が当たり前の世の中になってしまったのだろう。。。本来は、自分で「ちょこっと稼ぐ」という選択肢だってあるのに、端から諦める人が多いのはもったいない。

===========================
さて、言いたいことは「仕事がなければ、自分でちょこっと稼げばいいじゃん。」ということだけじゃなく、「仕事があっても、ちょこっと稼ぐことで得られる満足を求めている人が多いのでは?」ということ。


雇われている仕事では、誰のために、自分が役に立っているのかを感じづらい仕組みになっている。一方で、自分でちょこっと稼ぐことは、シンプルだ。自分が提供するものに誰がお金を出してくれて、誰が喜んでくれるのかを直接感じられる。


今、満たされていない「社会への貢献感」「自己肯定感」が、「ちょこっと稼ぐ」ことによって得られる


だからこそ、雇われて仕事をしている人にとっても、「ちょこっと稼ぐ」ことには金額ではない魅力がある。さらに、会社組織という分業システムから切り離されたときに、自分に何ができるのかという不安を抱えている層にとっては、なおさら魅力的なんだ。


「ちょこっと稼ぐ」なんて、社会全体から見たらミクロなトレンドだし、今は産業界に影響を与えるほどのトレンドじゃないかもしれないけれど、一度振れ始めた振り子は、徐々に加速していき、無視できないトレンドになっていく。


だって、こっちのほうがクールに感じ、輝いているのだから。


関連記事:人間が生存していくために「イケてる」「イケてない」の感覚が存在する




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2012/07/19

消費シーンでも表れる「依存」恐怖症という現代の病。


「依存」が怖いなぁ。


Cut Chair Optical Illusion by Peter Bristol



この時代を生き抜いていくために、自然と身に付いてきているのが、「依存恐怖症」とも言える病なんじゃないだろうか?


自分の帰属意識を、家庭・職場の関係・第三の場所(常連のお店・何らかのコミュニティetc.)へ分散するのも、一つに依存しないための防御策。


個人で収入の分散化を求めているのも、事業や会社でも従来のターゲットなる新市場に出て行くことを求めるのも、海外マーケットに進出するのも、安定が望めない情勢では、一つに依存していることがリスクだからだろう。


もしかしたら、「消費」もそうなのかもしれない。モノを購入するときにも、一度買ってしまうことで、「依存」してしまうような関係を求められるときには躊躇する


住宅やクルマは、金額が高いだけでなく、その後も持ち続けてメンテナンスや税金を払い続けなければならず、他の選択肢をとることを難しくさせるから、二の足を踏んでしまう。


お酒やタバコ、ギャンブルが以前に比べてcoolじゃなく感じる人が出てきているのも、依存するものを増やしたくないからかもしれない。(「飲み会で飲むのはいいけど、家で毎日飲む気はしない」とか)


無料であるSNSでさえ依存症にならないように、気を付けているわけで。。。(無料でも自分の時間と情報を提供しているわけですから)




顧客が躊躇しているのは、「お金を払うこと」よりも、「依存する関係を築く」ことなのかもしれません。


それなのに、企業が「囲い込み戦略」なんて実行しようものなら、巻き込まれないように、ますますガード堅く警戒心が強くするだけ。。。一方で、ちゃんと関係ができて自分の帰属意識が持てるようなサービスやブランドには、お金だけじゃなく「依存」を表明するのも厭わないわけですから、人間って興味深いですね。



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2012/07/12

「新しいだけ」では、もはや優遇されない。



「新しくないから・・・」「10年前に流行ったものでしょ・・・」と、新しいモノ原理主義の人は、たった一つの「ものさし」で、対象物を評価する。でも、それは対象物の他の面をまったく評価対象としてみていない。


日本人は「新しいモノが好き」と一般的に言われてきました。最新のガジェッド、新築の家、新車、新しくできたショッピングモール・・・etc.


でも、この「新しいモノ原理主義」から目が覚めつつあるのだと思う。
少なくとも、僕が今イケテるなぁと感じるものは、「新しいか古いかを気にせず」他の評価軸で戦っているモノたちです


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ミッドタウンやお台場などのハードから新規に作った場よりも、廃校になった建物や工場の跡を活用してソフトとしての人が集まって作り上げた場(ex.3331IIDTABLOID)のほうが輝いている。


日本人の僕がアジアの都市に行って惹かれるのは、上海のm50や台北の華山1914創意文化園区などのやはり工場跡地にクリエーターが集まって活動している場所であって、上海環球金融中心(上海森ビル)や台北101などの最新のビルじゃないんですよね。


新品のバッグや靴よりも、その人が何年もかけて馴染んできたモノや道具たちに、すごく惹かれます。新築の家よりも、古い家をリノベーションして暮らすことを選ぶ人たちにも同じ流れを感じます。


SDIM0861


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昔、カーセンサーという中古車媒体をやっていたときにも感じたことだけど、新車を選ぶよりも中古車を選ぶほうが自由度が高いだけに難易度も上がる。


新車だと、今売っているものの中から選ぶので、現在の商品価値(=売値)で評価基準が一緒に提示されている。自分の用途×価格レンジ(という世の中尺度)で選ぶことができる。しかし、中古車だと今まで発売されて流通しているクルマすべてから、自分なりの優先順位で選ぶことできる。プライスという世の中基準から離れた「自分のこだわり」や「テイスト」を優先した選択できてしまう。こっちのほうが自由だけれども、その分難易度も高くなる。


これが、社会が成熟してきたことで我々が手に入れた新しい自由(選択基準の多様化)です。その分、トレードオフとして「自分が求めるものが何か?」を明確にしなければならなくなりました。




もちろん、だから「新しいモノは終わった」わけじゃなくて、「新しいだけ」の価値が相対的に下がっただけで、新しいということも判断基準の一つの項目として、ちゃんと冷静に観られる立場になったということ。
そして、「新しいだけ」では今までのように優遇されずに、過去に作られたモノたちと、並列に価値を比べられるようになっただけなんだ。




この話って、先進国の中では「モノ」だけじゃなく音楽や書籍などの「コンテンツ」にも当てはまるんだよね。考えれば考えるほど、深いよなぁ。。。



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2012/07/06

国が提示する「標準モデル」が時代に合わなくなっていることが、本質的な課題だよね。



人と違うことを求めることは楽じゃない。社会の仕組みが、一般的な生き方に最適化されているからです。

20080820 Rail (線路は続く?)
        20080820 Rail (線路は続く?) / BONGURI

レールに乗っていれば、自分の頭を使って判断しなくても、次にやるべきことが表れてくる。まるでコース料理みたいに・・・。もしかしたら、最初にコース料理を注文した認識すらないかもしれません。


これが、「その他」の生き方・レールから外れた生き方を選択した途端、コース料理ではなく、都度都度、自分の欲しいものを言葉にして、組みあわせて注文しなければなりません。


コース料理だったら、自分のニーズを口にすることもなく「みんなが美味しいと思える」「お店にとって一番、注文して欲しいもの」をサーブしてもらえます。


でも、そのコース料理が今の人の口には合わないものだったら・・・、お店の都合なだけで自分たちが欲しいと思えるものではなかったら・・・、単品メニューの組み合わせに挑戦したくなるのは自然なことでしょう。


しかし、単品メニューの組み合わせには、相応のスキルが求められます。さらには、自分の選択ミスは確実に自己責任・・・。


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今の日本社会では、この元々提供されているコース料理の欠点や粗、もしくはお店側の意図が見え見えになってきているため、コース料理よりも自分で単品メニューを組みあわせて、「自由に好きなものを選ばせてくれ!」という声が大きくなり始めています。

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        IMG_0019 / PoundPolo




本質的な課題は、国として「モデル世帯※」という一つのターゲット向けの時代錯誤のコースだけ出し続けていることです。さらに悪いことに、モデル世帯はほぼ存在しません。
※モデル世帯(厚労省が年金の試算に使っているもので、条件は①20歳までに結婚した同じ年のカップル②結婚生活40年③40年間夫は会社員で入社から定年までの標準報酬月額が月36万円、妻は専業主婦、というもの)


本来はお上が、時代に適したコース料理の選択肢をちゃんと示していったほうがいいはずです。示して欲しいとは思うけれども、たぶんそれを期待するのは間違っています。彼らが普段過ごしている組織こそが、今の時代の社会とは異なっているから。


じゃあ、どうするのか?


抜本的な解決ではないけれど、今できることは「単品メニューの組みあわせ事例の共有化」なんじゃないだろうか?


単品メニューを組みあわせて、時代に適合した(していると信じた)生き方を選択した人たちが、良い面も悪い面も含めて、実例やノウハウをオープンソース化して共有していくことしかないんじゃないだろうか。


そうすれば、レールから外れて、新しい挑戦を始めた人を攻撃したり足をひっぱったりするのではなく、社会に一つの事例を提供してくれているという温かい気持ちになれます。


ついでに国は確定申告タイミングで、実態調査レポートを提出することを条件に「被験者控除」枠を作って、実証事例を集めたら面白いのになぁw だって社会のためにサンプルになってくれているわけですから。


まあ、それは冗談としても、時代に適合していないモデルケースだけしか示されないよりも、「その他」を選んだ人のサンプルがたくさん提示され参考にできる社会のほうが、僕にとっては豊かな社会だと感じます。



関連記事:自由大学で「脱藩学」やります!


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2012/06/28

完璧さを求める窮屈な社会をやめてみませんか?



下の写真は昨日の朝、駅に向かう途中に見つけた飲食店に掲げられた手書きのお知らせです。






休業のお知らせですが、どうして休業になったのかを、店主の言葉でぶっちゃけて書いてあります。


こうなると、じっくり最後まで読んでしまいますし、かなり感情移入してしまいます。僕だったら次に行ったときに、絶対に「指大丈夫ですか?」と声をかけるでしょうね。


=====================


その後、ふとなぜこの手書きのお知らせに惹かれるんだろうということを考えました。 


「自由さ」と「ほほえましい人間らしさ」がにじみ出ているからなのですが、背景には今の日本社会の中で、この「自分の都合をぶっちゃっけられて」さらに休業を「自分で決断できる」ということが、非常に難しいという現実があるからでしょう。


自分で、自分の弱い部分や失敗を見せることができ、自分の行動を決断できる「権限」を持っていること。これが、しがらみの多い我々の暮らす社会では希少価値なのです。


・いかにも自分が完璧な人材だとアピールしなくちゃいけない(就職活動の面接アピール、セルフブランディングetc.)社会


・新人だろうが、ベテランだろうが、前線に立つからには完璧を求められる社会


・サービスレベルでも非常に高いレベルを得られて当たり前だと思っている消費者社会


と考えてみると、求める側の立場になったときに、つい高い基準(人材要望レベル、サービスとしてのあるべきレベル)を求めちゃったりするのですが、ここまでなんでも完璧を求められるのは、やはり「窮屈」ですよね。


もうちょっと、不完全な部分も受容できる「人間らしい」レベルにできないものでしょうか? 結局は完璧さのためのコストが価格に跳ね返っているわけですし、自分たちの労働環境を苦しくしていることに繋がっているんですよね。


まずは自分がモンスター消費者にならないようにすることから。この窮屈な社会を生み出しているのは「お金払ってるんだから、なんでも要求するのが当たり前」という感覚でしょう。


一方で愛嬌がある人は、うまく完璧性の罠に陥らずに、自分の弱い部分を見せる勇気を持っています。今のところ、社会の求める水準が変わらないうちは、モンスター消費者にならないように気を付けながら、愛嬌を磨くしかないのかもしれないなぁ。




関連記事:「自分のダメな部分を見せたほうが得な時代


 一方で素晴らしい日本のサービスレベルについて書いた関連記事:「日本の接客サービスクオリティって、もはや観光資源だよね。



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2012/06/22

[募集告知]自由大学で「脱藩学」やります!

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突然ですが、池尻にある「自由大学」で、「脱藩学」という講座をやることにしました。

まず、なんで「脱藩学」という講義をやることにしたのかを説明させてください。 僕の課題感として、「本当は価値があるのに、有効利用されていないものを、何とかしたい」というものをずっと思っています。まさに編集者ができることは、「価値があるもの」を見つけて、正しい文脈で世の中にPUSHすることだと考えています。 

だからこそ、僕はメディアを活用した新規事業という切り口で、メディアプロデュースだったりコンセプト設計の仕事をしています。クライアント企業の持っている価値を、正しい文脈で発揮するためのお手伝いをしたいからです。 

さて、話をもとに戻すと。今、一番もったいないなぁと思っているのは、人材です。本来持っている良さを、常識に押しつぶされて活用できていない。他人基準、世の中基準で物事を考えてしまうために、使われていない能力がたくさんあります。日本の閉塞感の理由の一つが、がんじがらめになったルールのせいで、前に進めない息苦しさだと思っています。

今回の「脱藩学」では、そんな社会の空気によって、自分らしく生きることがやりづらいと感じている人に、脱藩・越境してしまった人の事例を見てもらったり調べてもらったりすることで、他人のレールじゃなくて自分の人生のレールに戻るお手伝いをしたいと考えています。(もちろん、自分のレールで生きることの自己責任の覚悟も、クローズドな場ですから、包み隠さず共有できる貴重な場だと思っていますw)

 Techwave cafeで、すでに実践済みですが、「先生が教えて、生徒が聴く」という関係だけではなく、「現在進行系の生徒同士が、自分たちの気づきをシェアしながら学んで行く」という方法も実践できればと思っています。21世紀の学び方は縦だけじゃなく、横の学びが大事ですからね。

ということで、興味もたれた方は、是非!集まったメンツによって、どう講義が転んでいくかわかりません。僕が大好きな、柔軟だけど、一本筋の通ったコンテンツを提供しますので、よろしくお願いします。
【講義計画】
 第1回:[認識]仲間と自分を見つける
初回の講義では、自己紹介を兼ねながら、集まった仲間と一緒に自分が「何を重視しているのか?」「どんなことを嫌悪しているのか?」を探求していきます。

・定性的ファクター(価値観、信念、使命感、個人のストーリー) ・定量的ファクター(仕事、生活、時間、人間関係、衣・食・住・遊・学・働) 上記に基づいて、自分の求める生き方の優先順位を見つけていきます。 ※その後、教授による個別サポートを実施予定

 第2回:[探索]自ら動いて調べるヒントを得る 
自分の求める生き方を体現するロールモデル(師匠)を見つけます。そのためにヒントとなる意志のある生き方スタイルを選んだ先行事例の方を紹介しお話を伺います。
お話を伺うロールモデルゲスト:株式会社ベビログ 板羽宣人さん 
「公務員を辞めて、夫婦起業。夏は家族でニセコでノマドワーク」
 参考: 5月のハワイ滞在記昨年夏のニセコ滞在中のblog   

第3回:[発見]師匠を見つける
自分の求める生き方の優先順位と、自分にとっての師匠を発表してもらいます。発表内容によって参加者のグルーピングを行います。このグルーピングに基づいて、第5回まで仲間で一緒に学ぶための師匠へのインタビュー・発表を行っていきます。師匠へのアポの取り方、インタビューの行い方をお話しします。

 第4回:[丁稚]私淑・丁稚する
前回設定した師匠インタビューの途中経過発表、すでにインタビューが行えたチームによる発表を行います。また、仲間で学ぶことを活かすためのコツを講義します。 ・ 現在進行系の学びのシェア/悩みの共有/不安の共有/師匠との差分の発見方法など

第5回:[共有]学んだことを仲間と深める 第4回までに発表できていないチームの師匠インタビューの結果を発表してもらいます。その上で、自分が求めるスタイルに到達するための「差分」の埋め方、今後どうやってチャンスを掴んでいったらいいのか?についてグループで議論をしていきます。

【日程】
第1回 7/24(火)19:30-21:00
第2回 7/30(月)19:30-21:00
第3回 8/07(火)19:30-21:00
第4回 8/21(火)19:30-21:00
第5回 8/28(火)19:30-21:00

【開講決定日】7/17(火)
【定員】15名
【学費】36,000円
【会場】IID 世田谷ものづくり学校内

開講は7/24(火)からですが、定員15名までと、かなり絞ってやりたいと考えていますので、ご興味のある方は早めにお申し込みいただけると幸いです!
  自由大学:「脱藩学」講義内容


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2012/06/18

経済成長のみを標榜することへの静かな反動

2012 06 16 15 57 45

先日、やっと六本木の21_21 design sightでやっている「テマヒマ展」を観てきました。

いろいろと感じることや、考えたことがあるのですが、ずばり「経済成長のみを標榜することへの静かな反動」だなぁと。

僕自身、仙台出身でずっと見慣れてきた物たちなのですが、作っている人の顔と作業の映像、背景にある自然も含めたコンテキストの中に置かれると、もう間違いなく「静かにずしりとくるメッセージ」でした。

以下に、佐藤卓さんと深澤直人さんの企画意図のメッセージと、会場で手にしたフリーペーパーに書かれていたナガオカケンメイさんのコメントを引用しておきます。

佐藤卓さん
永い年月、厳しい自然と折りあいをつけながら、生活のために伝承されてきた東北に残る食と住から、私達はこれからのために、今、何を読みとることができるだろうか。伝承とは、先代のやっていることを最初は見よう見まねで身体で覚え、熟達したものが次の世代へと引き継がれていくこと。そこには、つくり方のマニュアルもなければ、丁寧な手ほどきもない。その家に生まれたら、それをすることが宿命だと身体に思い込ませ、受け継いでいく。

今、残っている素晴らしい手仕事を褒めたたえることは容易いが、どうしてこの地域に残ってきたのかを掘り下げ、そしてその精神をなんとか未来に残していく方法を探らなければならない時がきている。なぜなら、その永い間受け継がれてきた日本のものづくりの精神が、近代の『便利』を崇拝する合理主義に、歪んだ民主主義と資本主義が折り重なり、急速に消えつつあるからだ。 
『便利』とは、身体を使わないということである。現代社会はできるだけ身体を使わないで済む『便利』なものを、疑うことなく受け入れてきてしまった。身体を使わないと人間はどうなるか。ここに記すまでもなく、様々な現代の病がそれを物語っている。この『便利』というウイルスは、一度生活に入り込むとなかなか元には戻れない手強いウイルスなのである。このウイルスが、日本の風土をことごとく蝕んでしまった。しかし、僅かな麹から幻の味噌を再生するように、今に残る手間ひまかけた手技からその精神を汲み取って、なんらかの方法で未来に向かって引き継いでいくことはできないものだろうか。この展覧会で、少しでも東北に残る日本のアノニマスなもの達に接していただき、日本のものづくりを今一度考えるきっかけにしていただければ幸いである」 
21_21 DESIGN SIGHT企画展「テマヒマ展」 メッセージより

深澤直人さん
すだれのように吊り下げられた数千本の干し大根。天にも届きそうなくらいに積み重ねられたリンゴの木箱。やわらかく煮るために、ひとつひとつ木鎚でつぶされる大量の豆。すべては人間の手の動きと自然が織りなした東北の生活のテクスチャーであり、生活に刻まれたリズムである。自然と季節の力を借り、それも無駄のないひとつの道具として授かり、日々の恵みとして蓄え続けて行く様。この停まることのない緩やかな循環が東北の人の生きるペースである。 
この生活には手間ひまがかかっている。しかし穏やかで強く、迷いがない。このペースは自然と共生して来た長い経験によって、エコロジカル(生態的)な営みに同期し、破綻がない。手間ひまをかけるものづくりは常に『準備』である。その営みに終わりはないし完成もない。しかしその手間ひまが生み出すリズムが、行く先を見失いかけている今の人間のペースを穏やかに緩和し、大切な何かを明示し、焦りの心にひとつの糧を与えてくれるような気がしてならない。 
訪ねる東北の先々で必ず同じ質問をしてみた。『なぜもっと楽に、合理的な方法でやろうとしないんですか?』と。返事は、『??...?......。無理をしないってことかなぁ』と。『無理』は循環を壊してしまうことを意味している。粘り強く淡々と繰り返される一見単純そうに見える作業が、穏やかで豊かな生活の循環を生み出している。『テマヒマ展 〈東北の食と住〉』にその空気を持ち込めるだろうか。急ぎすぎて混迷する現代を救う啓示に満ちた生活の美を持ち込めるだろうか。東北には今、人が見失いかけている真の豊かさの定義と、飾らない美の真髄が潜んでいると確信している 
21_21 DESIGN SIGHT企画展「テマヒマ展」 メッセージより

ナガオカケンメイさん 
日本がもし低迷しているように感じるとしたら、それは間違いなく「自分たちらしさ」を捨てて、ただ儲かればいいという気持ちの迷いから「自分らしさ」を捨てたことおが原因だと思います。経済の低迷や自然災害を機に、また、グローバルという言葉から海外進出していく中でも、やはり、そこで迷うとしたらならば、その原因は「らしさ」がないふんばりの利かない戸惑い。それは企業に限らず、国も私たち個人にもいえます。 
他県からの友人をもてなすとき、出来れば自分の土地を感じ、味わってもらいたいと思うでしょう。そんな時、昔の人が作り育て続けた地酒を振る舞い、伝統文化を育ててくれた先人たちの何かを利用する。改めて「感謝」することもない「日常」となったそんな「らしさ」は、その土地の個性豊かに時代を進む武器となります。 
d design travel DESIGN TRAVEL WORKSHOP in YAMAGATA フリーペーパーより 

DIY精神で創作活動を行うことで浪費しなくても、心が満たされてしまうポジティブな「生産>消費」好きの状態を愉しんでいかなくちゃ。そもそも、このblogがそうなわけですがw 

蛇足:東北の手仕事には、厳しい自然環境によってままならない自分たちを、少しでも安心させる役割があったと思います。手間暇はかかるが、没頭して手を動かして物を作ることで、不安を和らげることができます。もしかしたら、都会に住む現代人がジョギングしたりジムに行くのも同じ精神構造かもしれません。不安解消であり、心を整える効能があったはずです。