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2014/09/10

「みんな」とか「原理主義」に陥らないための「ロジカル」という道具。


先日掲載されていたほぼ日“今日のダーリン”で書かれていた内容がずっとずっと頭から離れずにいます。ここから考えなくちゃいけない大事なことがまだまだあるように思えて。

a)みんな(大勢)がやっていると思っていたけど、
たった一握りの人しかやってないこと。

b)わたし(少数)だけがやっているつもりだったのに、
みんながやっていたこと。

c)みんな(大勢)がやっているのだろうと思ってたけど、
実際に、みんながやっていたこと。

d)わたし(少数)だけがやっているのだと思ってたけど、
やっぱり、ほんとにわたしだけがやっていること。

いろんなこと、だいたい上記の4つに分類できそうです。
「やっている」と記したところには、
「知っている」とか「思っている」と入れてもいいです。

c)とd)の場合については、当たっているので、
あんまり問題はないわけです。
b)とかa)についての思いちがいは、よくあることですが、
いろんな思考や行動を間違わせます。

ここで、親切に、いろんな例をあげて、
「ほらね」とか言うほうがいいのかもしれませんが、
めんどくさいので、そのまま書きっぱなしにします。
あのこと、このこと、ごじぶんなりに、
いろんなことを想像しては代入してみてください。

あなたの背後に、あなたの考えに
ものすごく同感する人がいると思っていても、
ぜんぜんいないという場合もよくあるでしょう。
あなたが、選ばれた人であるがゆえに、
ずいぶんいろいろ大事なことを知っていると思ってても、
そのくらいみんな知ってるよ、ということもありそう。

少数であることを気どらない。
多数であると思って調子にのらない。
考えるべき重要なことは、多さや少なさじゃない。


“b)わたし(少数)だけがやっているつもりだったのに、
みんながやっていたこと。”
の時には、優越感の思いちがいがうまれ、


“a)みんな(大勢)がやっていると思っていたけど、
たった一握りの人しかやってないこと。”
の時には、「常識でしょ?感」という思いちがいが生じてしまいます。



僕が怖いなぁと思っているのがa)の場合。相手に対する攻撃的な言動の多くは、この思いちがいから生まれています。

新興宗教でも思想でも、主義主張でも、この思いちがいによって、自分たちが正しいと思い相手をむりやり変更させようという非ロジカルな攻撃がはじまります。

声が大きい、腕力が強いからとか、一致団結して攻撃していくるから…ということで。こちらは、ちゃんとその主張の理由が知りたいのです。

以前は言論空間に登場することがなかった、感情論で叫ぶ人達が、文字を使ってロジカルな人と意見を戦わせようとしていることが目につくようになったことが原因ですが。。。

「みんなが…」という理由ではなく、ロジカルに「そうしたほうがいい理由」をテーブルの上に並べて議論できるフラットさを僕はつねに支持したい。

自分自身も、多数派だから、少数派だからという思いちがいをしないように・・・、思いちがいをベースに声高に語らないように・・・。

−−−

新入社員の頃、まったくロジカルな説明ができなかった自分が、一生懸命訓練したのも、このフラットに議論できることに憧れたからです。

自分が考えていることを相手に説明し、相手の主張していることの理由も理解して意思疎通をはかる。思っていることを抽象化し、ケース化して言語として可視化する。

人間が長い年月をかけて育ててきた、この力を社会でもっと活用してほしい。

大きな流れで言うと、ロジカルなものが優先される風潮が飽きられ、感覚的なものを崇拝してきたのがここ5〜6年ぐらいで起きたことでした。そろそろ、それが行き過ぎた頃かも。またロジカルのバランスも見直される時期なのかもしれません。


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2014/09/04

何を「貫いて」どの部分は柔軟に「変化・対応させる」のか?


世界に和食と寿司を拡めたレストランNOBUのオーナーシェフ、松久信幸さんの本を読みました。(会社員時代の同期・高橋亜起子さんから献本してもらって。彼女は現在NOBUの世界中の店舗に食器やお酒などを販売する事業をやっています)

一人の人間の波乱場上の物語としても楽しめますが、ブランドを作っていくことに興味がある人や、オーナーシェフという自分の分身であるお店を事業化していく中での変化を疑似体験できるという意味で、興味深い本でした。

「貫く」部分と「柔軟に変化させる」部分
ここの基準がしっかりとNOBUさんの中にあり、一店舗のときでも、世界中にレストラン・ホテルを展開するようにしても徹底しているということです。

シェフでここまでのバランスを持っているということが、面白い。いい原材料を使うことにこだわり、和食の良さを伝えるための方法は譲らない。一方で、現地の人に生魚に親しんでもらうために従来の日本料理にはないメニューを開発したり、店舗規模にあわせて柔軟に組織化する部分やレストランからホテルにチャレンジしてみるという変化も受け入れてしまう。

「お客さん=NOBUに求められていること」を理解し、その根幹の部分は大切にし、絶対に守る。一方で、変化が必要なものや、より時代や環境に合わせる必要があるものは柔軟に。

−−−
何を「貫いて」どの部分は「変化・対応」させるのか?

これはどんな組織であっても、個人であっても重要な問いです。個人だからと言って、なんでもかんでも迎合していたら、何も残らないし、つまらない。

限られた自分の時間を、何に使うのか? その「何」の優先順位を決めるためにも、この「貫くものは何なのか?」に対する答えが必要になります。

一方で、歳を重ねるにつれて、こだわらなくてもいいような部分なのに、無駄に頑固になっていないのかも考えなければ。

そんなことを考えさせられた本でした。



お客さんの笑顔が、僕のすべて!
松久信幸(ダイヤモンド社)

まえがき――ただ、お客さんの笑顔がみたいだけ

第一章 「海外」と「寿司」への憧れ
――下積み時代を耐えられたからこそ
「おやじみたいに海外に行きたい」
祖母譲りの負けず嫌い
無免許運転で大事故。高校中退
皿洗い、出前持ちばかりの三年間
巨人・王選手のための盛り合わせ
下積み時代を耐えられたからこそ今がある
「立派なお店」より「いい人のお店」
背伸びすれば背が伸びる
おいしいものを求める旅で、妻となる女性に出会う
親父さんの目を盗んで新しい料理に挑戦
「料理は心、ハートで仕事をする」の原点
「ペルーで寿司屋をやらないか?」

第二章 落ちるところまで落ちれば、焦りは消える
――海外での連戦連敗
「ペルー リマ 松栄鮨」開店
ペルーでアナゴを安く仕入れる裏技
「安い食材を使え」というパートナーと喧嘩別れ
やりたい仕事ができないフラストレーション
帰国し、赤貧暮らし
絶望の淵から「一日一ミリでも前へ!」
再起を誓い、単身ロサンゼルスへ
再び家族をひとつにした妻の勇気
南米で覚えた調理法を寿司に融合
店の転売計画が発覚。再び職を失う不安
背中を押してくれた恩人の申し出

第三章 お客さんの笑い声が満ちた場所に
――はじめての自分の店「マツヒサ」オープン
自分の好きな仕事ができることが、ただただうれしい
睡眠時間は一〜二時間。毎日が戦い
お客さんに、何でもやってあげられる!
「魚のおいしさを知ってほしい」という情熱から新しい料理が生まれる
料理はファッション、常に進化していく
熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに
寿司屋の「おまかせ」がNOBUスタイルの原点
お客さんの笑い声が最高のバックグラウンドミュージック
「もし自分が相手だったら・・・・・・」がサービスの基本
衝動買いしたマグロのおかげで看板メニューが生まれた
生魚を日本から輸入する
やる気のある職人が雇えれば、人件費なんて安いもの
良い食材が先、利益は後
アメリカで、褒めて育てる大切さを知った
メディアに取り上げられ、セレブが来店

第四章 四年待ってくれたデ・ニーロ
――NOBUの共同経営をスタート
デ・ニーロとの出会い
「三顧の礼」で信頼が生まれる
機が熟したときには不安を感じない
レストラン経営のプロが、キッチンを組織化
下手な英語でも伝えようとする情熱があれば・・・・・・
ストレスを感じながらではいい仕事はできない
日本料理店のイメージを変えた
ニューヨークからロサンゼルスへSOSの電話
ミシュランの星よりもお客さんの笑顔
それでも「原点」のマツヒサを忘れない
映画の世界も知ることができた
一つのことを続けていると、世界が広がる

第五章 NOBUの味とサービスを世界へ
――その土地に合わせることと、変えないこと
デ・ニーロなしのNOBUはありえない
ロンドンでNOBUの二店めをオープン、クリスマスに営業
世界のアルマーニと直談判、禁煙を貫く
NOBUの経験者が直接教えて伝える
新しい「味」を創る
NOBUスタイルの土台には「和食」がある
年間10ヶ月、世界中のNOBUを回る理由
現地のシェフと日本人シェフを組ませる理由
僕の目指す最高を、スタッフにも目指してもらう
「売れているんだからいいじゃないか」では大きな損につながる
新メニューを禁止するのではなく、もっといい料理を考える
本質を忘れるな、料理はシンプルがいちばん

第六章 パートナーシップ崩壊の危機を乗り越えて
――常にクオリティを高めつづける
パリ撤退の苦い経験
機が熟するのを待ってパリで再挑戦
「ノブはかけひきをしない」
「1+1」が「100」になるような関係に
NOBUの経営チームも成長した
大きな理想をもつパートナーと仕事をするのは楽しい
「NOBUができるとその街が変わる」
本当の競争をしていれば、競合とも共存共栄できる
中核メンバーの三人が育たなければ新規店舗は出せない
同じことを言いつづけるのが大事
僕がお客さんとの写真撮影を拒まない理由
「おもてなし」にマニュアルは要らない
叱るときも相手の立場に立って言葉を選ぶ
叱ることより効果的なのは、手本を見せること
ハングリー精神は教えられるものではないけれど
皿洗いの人に必ず「ありがとう」と言う

第七章 新たなステージへの挑戦
――NOBUホテルオープン
レストランからホテルへ
NOBUコンセプトをホテルのサービスに反映させる
緑茶とおせんべいでウェルカム
二四時間、部屋でNOBUの料理が食べられる
あるマネージャの勇気ある決断
若い子たちがぐんぐん伸びているのを実感できる店が居心地いい
新しい挑戦に批判はつきもの
日本人以外の人に「正面」の概念を伝えるオリジナル食器
クルーズのお客さんから届いた感謝の手紙
ライバル意識より学び合い意識が組織を強くする
スタッフの成功が、僕の成功。チャンスをつかんでほしい
チームプレーができるシェフがいることがNOBUの強み
「もしかしたら、僕は成し遂げたのかもしれない」

第八章 情熱と努力があれば、結果は後からついてくる
さらに、次の夢を目指して
マニュアルよりもコミュニケーションを第一に
弟子を自分と同じレベルに育ててこそ職人として一人前
レシピはコピーできても、ハートはコピーできない
残りの人生で僕がすべきこと
命の恩人の苦しみに気づいてやれなかった未熟さ
一生懸命がいちばん楽
こわがりだからがんばれる
グローバル人材になれるかなんて考えてもしょうがない
いっぱい助けられたその恩を、次世代に返したい
結局「情熱」という一言に集約できる
「もし自分が相手だったら」が世界に広がれば・・・・・・

あとがき



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2014/08/27

「子供はスリルを好み、大人はやめさせたい」って我々の社会の縮図だよなぁ。


相変わらず双子に手を焼いている状態が続いています。。。たまには、示唆的なインスピレーションを子供からもらうこともあります。

例えば、「おもちゃ」よりも「おもちゃじゃないもの」のほうを喜び、長い時間遊ぶという傾向。大人としては、おもちゃを預けておいたら、夢中で遊んで欲しいのですが、意外とすぐ飽きて投げ出してしまします。

それよりも、大人にとって「触らせたくないもの」「危ないから遊んでほしくないもの」で遊ぶことを好むわけです。テレビやエアコンのリモコン、各種ライトのスイッチ、床暖房のスイッチw DVDやオーディオ機器、らせん階段、ガラス。もちろん家具類やコンクリートの壁にアタックするのも大好き。尖っているものを見つけたら、掴んで舐める。。。

大人が「危ないなぁ」「やめて欲しいなぁ」と思うもので遊んで、ドヤ顔してこちらを見てくる。。。

−−−
詳しいことはわかりませんが、もともと本能的に「スリルを楽しむこと」や「相手の期待値を超えること」が組み込まれているのかもしれません。

すでに「使い方が決められている」ものよりも、「別の用途のものを工夫して遊ぶ」ことのほうが、相手の期待値を超えることにつながっていることを、まるで知っているかのように。

何歳向けとか、この子たちにはこのぐらいという制限された環境は、相手を文字通り“子供扱い”しているのかも。

これを、いい大人向けにもあちこちでやっているのが、我々の暮らしている社会。「もし事故が起こったらどうするんだ?」「新しいことやってうまくいかなかったらどうするんだ?」という先回りしたおせっかいであふれています。

子供の様子を見ていると、制限されるよりも、少々危ないことにも挑戦させるルールに適合するように、人間はできているように思えます。

もちろん、本当に危険な状況になったときに、手を差し伸べられるバックアップは必要です。

我々の社会に置き換えると、バックアッププランは社会システムで作っておきながら、挑戦にも制限している状態。バックアッププランが仕組みとしてあるのであれば、本当はもっと温かく挑戦する人を眺められる余裕があってもいいのかもしれませんね。


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2014/08/20

環境を作るとは、自分なりの「距離感」を保つこと。



お盆休みや夏休みを利用して、ネットとの距離感/SNSとの距離感について見直した人が多かったのではないでしょうか?

僕自信、世の中が静かな期間に、いろいろなものとの「距離感」を見なおしてみようかなぁと思い立ち、実践してみました。

0:健康診断/人間ドックに行った上での身体面での見直し

1:自分のテーマの再確認と優先順位の組み換え
2:1に基づいて自分の時間の使い方
3:インプットする情報の再設定(書籍:ネット:一次情報の比率)


…とブレイクダウンしていくと、やはり時間を割いてしまいやすい環境にあるネットとの距離感は意識しないとなぁ、とあらためて感じました。

人付き合いも同じですよね。かなり強い意志を持たないと、つい飲み会の予定をどんどん入れてしまう。。。

そして健康面はついつい後回しにしがち。今回異常がなかったのもある程度習慣的に走ったりできてるからだと思い、スケジュールをちゃんと確保できるように再確認しました。

−−−
自分で環境を作るとは、すべてのものとの「距離感」を見直し、意識して自分にとって適度な環境を保てるようにする必要があります。

人間はどうしても楽なほうに流れやすい。だからこそ、定期的に立ち止まって、大きな目的・自分の環境を俯瞰して評価する時間が必要です。

自分の仕事のポートフォリオも個人の時間の使い方も、何かとの距離感も、定期的に見なおさないと。これこそが本来のバケーション(vacant=空っぽの期間に、篭って自分を見直すこと)の正しい使い方だと、自分を励ましていますw




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2014/08/08

ますます「一次情報」にこそ価値がある。



自分が直接関わっている業界・分野の報道やニュースを見ると、「ちゃんと取材してるのかな?」「結論ありきで、組み立ててない?」という経験をしたことがある人がほとんどでしょう。

でも、自分の知らない分野の話題だと、「へー、そうなんだ。」と納得してしまう。

もちろん、すべてのニュースや報道がそうだというわけではないので、害のないものならそれでもいいのかもしれませんが、自分や自社が事業としての意思決定をするときの情報ソースは、きちんと「一次情報」を集めて「自分の頭で考えたい」ものです。

念のため、一次情報とは、自分の目で見たもの、自分が直接聞いたもののことを指します。二次情報とは、本やメディアなど第三者が介在した上で仕入れた情報です。

−−−
そんなことを改めて考えたのも、週末に中国の西安を訪れたから。二年半ぶりぐらいの訪問でした。お世話になっている友人のお母様が亡くなったので、香典を渡して焼香するのが主目的。二番目に、日本ではネガティブな情報であふれている中国の地方都市の状況を自分の目で確認しておきたいという理由です。

前回訪れてからの間は、反日デモの報道だったり、中国のシャドーバンキング問題などネガティブな話題ばかりの時期でした。普通に考えれば当たり前ですが、中国とくくっても大きすぎるわけで、アメリカだって州や都市で全然状況が違うし、いろいろな階層・考え方の人がいるのは、人口的にも地理的にも大きくなればなるほど、一括りにはできません。

西安という都市に久々に行ってみた感覚では、都市への人口流入が続き、城壁の外側へ広まっていった新興エリアに住民も仕事をする人も、商売をする人も着実に拡がっているのを感じました。ニョキニョキと建っている高層レジデンス(だいたい40F建て)に下層階は商売エリアという組み合わせの便利さを謳歌し始めています。


ショッピングモールの広場には夜になると、踊りに来る団体が多数
各団体、自由に本当に楽しそうに踊っている
開発中のエリアでも人が住み始めると、飲食店を始める人がまずはお店を開き始める


若い人のマナーはすごく良くなっているし、年上の人達では旧来のままの人もいる。お店で働いている若い子たちの愛想もすごく良くなっていて、洗練されてきている。

もちろん、長安であった頃から国際都市であったため、異国の人たちを知っているということもあるのでしょうが、自分たちの社会の位置付け(発展度合い)を世界の目で俯瞰してみて考えている人達と話ができたのも興味深かったです。

お通夜やお香典、焼香などの風習だって、細かい違いはあるもののほとんど日本と同じ。(中国から伝わってきたものだから当たり前かw)亡くなった方を弔う気持ちに至っては、世界共通でしょうしね。

−−−
長くなりましたが、世の中でネガティブなことが言われている時こそ、自分の足で一次情報を集めて、本当かどうかを考えてみましょう。

もし、事実がポジティブであれば、価値があるものが不当に評価されていないタイミングかもしれません。商売にしても、事業にしても、企画にしても、本来の価値に気づかれていない状態こそが、チャンスなのだから。




まさにこの「弱いつながり」は、旅をして現地を訪れることで「検索ワード」を発見することのメリットを書いている、今の社会での情報リテラシーの新しいあり方を感じられる本で、おすすめです。

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2014/07/30

クリエイティブとは、答えを出す力よりも設問設定能力のほう。


「何が問題なのかが問題」

IDEE創業者であり国連大学前青山ファーマーズマーケットや246common、自由大学ファウンダーの黒崎輝男さんに、とある講演で話をしていただいたときの言葉です。

−−
僕らが日々仕事で直面しているのは、課題を解決するための方法を考えて、実行に移し、うまくいくように運営することです。

しかし、最初の「課題設定」で間違ってしまったら・・・。間違った課題設定を唸りながら解き、総出で苦労しながら実行に移すものの…「あれ? 当初の課題は解決できたけど、それで何がしたかったのだろう?」という悲しい結末になりがちです。

そして、苦労して実現したことは組織として正当化する力が働いてしまいます。
−−

クリエイティブさとは、この何が課題かを見極める力です。多くの組織が間違った課題を設定する間違い、苦労する方法を選び頑張ったと賞賛する文化を壊すことです。

良いデザイン=問題解決ができること、と言われてきましたが、今はさらに良いデザインを引き出すための課題設定能力が必要とされているのだと思います。

課題設定が得意な職業としてのコンセプターや、編集者あたりが活躍できる範囲はまだまだあると思うんだけどなぁ。


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2014/07/24

「ヒップな生活革命」を読んで。音楽が担っていたスターの位置づけは食に移った



ヒップな生活革命』佐久間裕美子著を読んで、故川勝正幸さんが90年代に「世界同時渋谷化」と名づけた現象を思い出していた。

90年代に「世界同時渋谷化」が、2010年代は「世界同時ポートランド化もしくは世界同時ブルックリン化」が起きているのかもしれない。


この新しい文化の潮流は、自分たちが消費するものの本質を強く意識することから始まっています。口に入れたり、身に着けたりするものがどこで作られ、どこからやってきたのかを考えよう、社会的責任に重きを置く企業を支持しよう、「より大きい物をよりたくさん」という消費活動と決別しよう、お金さえ払えば誰でも手に入れることのできる高級ブランドのバッグよりも、自分がより強いつながりを感じるものを、たとえば同じコミュニティの一員がデザインし、地元の工場で、自分たちと同じ電車に乗って仕事に通う人が作る商品を使おう、という新しい価値基準の提案です。via.「ヒップな生活革命」まえがきより

以前は音楽とミュージシャンが担っていたスターの位置づけが、現代では食とシェフ/コーヒーとバリスタが担っている。そんな現象と地元でのものづくりのトレンドや、地に足の着いた生活革命、日常を愉しむ生活が書かれている。


人間は環境に適応する生き物だ。生態系の一部だ。時代によって、大きく振り子が振れたのを戻すために、ヒップなものの定義は時代で変わる。新資本主義が行き過ぎたアメリカで、都市型の働き方が行き過ぎた日本で、昔ながらの食や健康に良いもの・コトがヒップに感じるのは、必然なのだと思う。

関連エントリー:人間が生存していくために「イケてる・イケてない」の感覚が存在する



ヒップな生活革命
佐久間裕美子

はじめに
第1章 アメリカに新しい変化の波が現れた
「新しいアメリカ」のスペック
時代を変革するヒップスターたち
おいしいコーヒーが代表する文化の「サード・ウェーブ」
ポートランドに芽生えた独立の精神
文化のケミストリーが起こる場所としてのホテル
ひとつの文化圏となったブルックリン
バブリーな世界観と対立する無骨で温かいスタイル
「責任ある食べ方」がニューヨークの食を変えた
消費動向の変化が社会に変革を求める

第2章 食を通して生き方を変える
グルメになったアメリカ人
ブルックリンに花開いた食のアルティザン文化
自分が自分のボスになって生活をコントロールする
地産地消の思想と結びついて生まれた屋上農園
生産者と消費者を直接つなぐ地域支援型流通システム
アリス・ウォータースが広める「食べられる校庭」

第3章 足元を見つめ直してモノと付き合う
「ブラック・フライデー」で過熱する極端な消費主義
売りながら「買うな」とうたった異例のキャンペーン
「ギビング・チューズデー」が大量消費に投げかけた疑問
公益に企業の価格を見出す新しい企業の形
贅沢から実質へのシフトが起こっている
「メイド・イン・USA」の復興
日本人デザイナーが貫いた「メイド・イン・ニューヨーク」
老舗に命を吹き込んだヘリテージ・ブーム
全米一治安の悪い街・デトロイト復興の物語
自分の生き方を表現するブランド
サイクリストと直接つながる自転車専用パンツのブランド
斧からスタートしたブランドが商品に込める物語
違うコミュニティを掛け合わせて成長する帽子ブランド
製造業を底上げする作り手と工場とのお見合いサービス
顔の見える作り手から買える新しいオンラインストア

第4章 自分の場所を作る文化発信のチャンネル
レコードの流行に見る音楽文化の再生の兆し
若い作家がデジタルで直接映像を届ける配信革命
小さなコミュニティを作って復活する雑誌
世の中の動きとは独立して自分たちの場所を作る
政治に参加するチャンネルはひとつではない
日本の伝統的な文化がアメリカに与えた影響
 


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2014/07/16

“当事者”という美味しいポジション


人生のほとんどは、何かの“当事者”になっている期間だ。他人の映画や小説を愉しむよりも、まず自分の物語を味わおう。

サービスを作るときにも、マーケティングの仕掛けを考えるときにも、企画書を作るときにも・・・必ずターゲットユーザー像を設定して、その人達の気持ちになって「刺さる」ものを考えるのが当たり前。多くの仕事で、“ユーザーの気持ちを想像する力”が前提になっている。

だとしたら、自分自身がユーザーであるタイミングである“当事者”期間の経験をフル活用しないわけにはいかない。

今の自分であれば、双子の子育て修行はまさしくこの当事者の酸いも甘いも研究し尽くすタイミング。仕事も子育てもいろいろごちゃごちゃにしながら、どういう暮らし方をしたらいいのかを探求できるタイミング。

もちろん、仕事で“当事者として”取り組んでいるプロジェクトからは、お金をもらいながらいろいろな経験や知識を貯められる。

人生に無駄な経験はない(はず)。せっかくの当事者になれるタイミング。その経験を売り物にできるように、後に問題解決ができるように、深く深く掘っていくことでディープインタビューよりも強いインサイトを拾い集めて戻ってこよう。

関連エントリー:「失敗談ほど美味しい経験はない。


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2014/07/10

自己責任派と、自由と責任を放棄しておきながら文句だけ言っている人達。


台風が来るたびに、自分のスケジュールを自分でコントロールする「自由と責任」について考えてしまいます。

以前、台風が来ることが確実にわかっているのに出社して帰宅困難に陥る不思議さについてエントリーを書いたことがありました。昨夜の台風で再び認識させられた「リスクを取ったジャッジができない」日本の空気

起こってしまったことを全力で以前の形に戻すことは迅速に機能するし、素晴らしい復旧作業が行われます。 昨夜も倒れた木を撤収して、道路を通れるようにしたり、線路を元通りにして早く復旧できるために多くの人が各持ち場で素晴らしい仕事をしていたと思います。本当に頭が下がります。 

しかし、なぜか、未然に防いだりするための判断を行うことは苦手なようです。台風が直撃する日に、自宅待機という判断もあり得たと思いますし、逆に出勤したからには中途半端な時間ではなく台風が行き過ぎてから帰宅するような指示を出すという判断もあると思います。もしくは、そんなことは会社に頼らずに、自分個人の判断として、情報を集めて自己責任でジャッジすべきですよね。 

さて、本題です。 前者と後者の大きな違いは、「起こってしまったことを全力で以前の形に戻すこと」が、「元通りにすばやく戻す」ということのために、合意形成がしやすいのに対して、「未然に防ぐための判断」は「もしも起きなかったら?」などとケチが付き、合意形成が行われづらいことです。 

正直、日本のこの倦怠感というか気持ち悪さは、この「もしも?」という不確実性が高いことについて、合意形成ができない空気が蔓延していることのように思います。 

そして、合意形成ができないことを「自分の責任で」とリスクをとって判断する人が少ないことからきています。 リスクとって決めて実践するってことは、この「未然に防ぐための判断」を行うときと同じ行動です。情報を集めようと思えばいくらでも集められます。でも、最後は「えいや!」で人がジャッジを下すしかないんですよね。
自分で未来のことに関して、予防策を取ることも無視することも、自分で100%責任を負うからこそできることです。この「自由と責任」を放棄してしまっている人が多いように思います。

会社や組織に「帰宅するかどうか」の判断を委ねていながら、その判断のせいで混乱に巻き込まれると文句を言う人達。消費者意識が変に高く、自分の判断で購入したものなのに、過剰なサービスを求めクレームをつけまくっているモンスター消費者。行政にも教育にも、自分たちがなんら参加していないのに、完璧さばかりを求める人達…。すべて同じ所でつながっています。

「自由と責任」を放棄しておきながら、文句だけ言う人達を「カッコ悪い」と大声で言える社会に僕は住んでいたい。文句言っている暇があったら、自分たちで未然に防ぐ努力や改善策を出して動ける大人たち側にいたい。

関連エントリー:「生き方のスタンス」が違うと友達になれない? 自己責任派と他人依存派の埋められない溝


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2014/07/04

移動は投資。仕事は研究。


以前、「移動は投資」というエントリーを書きました。
“移動によって、客観的に見ようとすればするほど主観が磨かれる”がまさにそうです。客観的に異なるものを見ていくと、自然に自分の中に「ものさし」ができていきます。これがものすごい武器になります。

複数の視点という「ものさし」を持っているからこそ、見えてくる「発見」「抜け道」「切り口」があるのです。
今の時代を生きている我々にとって、この「移動は投資」をもって手に入れられる視点は大きな武器となります。


そしてもう一つ大事なことは、「仕事を研究」と思えるかどうか。自分のやっている仕事は、自分が研究してノウハウを蓄積したり、成果を出していくものだと捉えられるかでしょう。研究開発費として、自分が時間や労力やお金というコストを払うのを、喜べるかどうかです。

会社員であろうと、フリーランスや経営者であっても、これは同じです。自分が仕事でやって積み重ねていっているものが、自分の研究成果としてプロフィールになっていきます。

よく言われることですが、以前は企業名や肩書など所属している“企業格と階級”で判断される時代でした。

しかし、今では過去やってきたことが調べればすぐにわかる時代です。

自分は何を成し遂げてきたのか? 何の専門分野で、どんな経験を積んできているのか? どんなテーマをもって取り組んできているのか?どんな転機や人との出会いが今につながっているのか?ということが価値を持ちます。

Narrative(ナラティブ)という言葉が、急上昇してきている背景には、大学教授や研究者でなくても、個々人が「仕事を研究」にすることが求められるということがあるのでしょう。

さらに、もう一つ背景にあると思っています。これは「NarrativeとStoryの違い」を説明したほうがわかりやすいでしょう。
「NARRATIVE」という単語を辞書で調べると、「物語」という意味が出てきます。「物語」という言葉から連想されるのは「STORY」であり、「NARRATIVE」ではありません。
「NARRATIVE」と「STORY」は少し意味が違います。「STORY」は始点と終点が決まっていて、話の向かう方向性も決まっています。それに対して「NARRATIVE」は始点と終点がなく、方向性もないまま「語っていく」、そのような状況です。「NARRATIVE」な語らいが良いのは、そこにある偶然性・意外性です。
その語りの中には、今まで気がつかなかったことが多く含まれています。その糸口から「なぜ?」を繰り返し、その思考や行動の背景を探っていく。普段は意識していない、自分の中で物語として成立していないものが、語らいの中で結びついていく。相手が大事にしていることやその意味、理由が見えてくる。via:http://www.nakedclue.jp/当社を支える考え方/narrative/

計画的にプロフィールを見せたり、一直線に積み上がってきたものよりも、自分のテーマを追求しているなかで、偶発性や意外性のある出来事があり、振り返ってみると、今の自分の場所ができているという話にこそ重要な部分があるのです。

多くの研究者が失敗やミスによって、偶然大きな発見と出会えるように、我々のプロフィールもNarrative性によって紆余曲折あって積み上がってきたもののほうがセクシーで人を惹きつけます

自分を研究者と定義したら、仕事を積み重ねる中で起きてしまう失敗やミスもチャンスと思えるようになるし、ちょっと違った分野でも探求してみたいと思えるコトや人と出会うのは自然なこと。

振り返ってみると、想像していたいよりも遠くに、自分を連れて行ってくれるかもしれませんよ。


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2014/06/25

「○○の多様化」は、逃げ文句では?


一度自分の気持ちにひっかかった表現があると、打ち合わせ中でも会話中でも、「また、それか!」と気になって話に集中できなくなる。

最近のマイブームは「多様化」だ。会話の中でも、「多様化してますからね〜。」とか、ニュースなどでも「ライフスタイルの多様化によって…」と聞くたびに、本当かなぁ?とつい考えてしまう。

今、“手垢のついた表現”として、乱用されている表現の最右翼が“○○の多様化”かもしれない。

この「多様化」が使われるのは多くが、要望に答えられない理由や、迅速に対応できない言い訳として「多様化」が使われている。

でも、本当に要望に答えられないほどに、要望が多様化しているのだろうか? 政治や行政が対応できないほど、社会の望む方向性が見えないのだろうか?

−− 冷静に考えてみると、ベクトルは一つじゃないだろうか?

従来型の富国強兵型の経済成長のために、いろいろなことを犠牲にしてもらガリガリやるのだということをなんとなく共有していた世界(この時代にも多くの疑問を感じていた人がいた)から、もうちょっとバランス良く人間的な生活を送りながら経済的に安定できる方法はないの?という層のボリュームが大きくなっただけだろう。

つまり生活者の要望は明確で、「みなさんが望んでいることの方向性はこっちですよね」と提示できるはずです。

しかしながら、それをやらないのは、今の日本の置かれた社会環境で、誰にでも楽してその要望を手に入れられるほど、甘くない、からなのでしょう。要望や課題を特定してしまえば、それを解決しないのは政治家や行政が責められることになってしまうから。

もはや、これは社会課題ではなく、各個人の課題だと認識すべき時なのかもしれません。


多様化しているのはニーズではなくて、要望を手に入れるための個人の実現方法のほう。個々人の持っているものを社会に提供しながらバランスの良い人間的な生活を手に入れる。それぞれの立場で、機会を活かしてバランスの良い人間的な生活を手に入れる…etc。個人が考え、動いて手に入れるものなのです。

言うなれば、行政や政治が(国家がと言ってもいいかもしれないが)一律に対応できる手法ではないということです。(税収が今後も伸び続け、人口も増加していく環境であれば別ですが)

まとめると、「○○の多様化によって、あり方を検討中」ということは、「政治が対応しかねることなので個々人で頑張ってね」というふうに読み替えるとすっきりする、ということです。

何かが欲しければ、誰かのせいにせず、自分で工夫して手に入れる時代。文句を言っているぐらいなら、自分でHackする。そしてそれが思っている以上にできる時代です。



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2014/06/19

危機的状況こそが、新しい自分を創る。


月〜金の9時−17時で仕事をいかに進められるのかの切迫感が以前とは変わりました。そして夜に、つい仲間と飲んで情報交換するのは当たり前、人と会うのも飲みながら…という当たり前もかなり減りました。

時間の使い方も生活スタイルも一年前とは大違いです。

理由は、双子が生まれ保育園に無事に入れたことで、この時間に集中して仕事ができないと、朝も夜も育児は時間が読めないので危険だから。

振り返ってみると、こういう働き方ができるようになったのは極端な状況に陥ったからこそだと思います。双子という想定外のおかげで今までのやり方では、ちょっと無理かなぁと、ゼロリセットして考えることができたから。

ライフスタイルや習慣を変えさせる一番の方法は「危機的状況」です。

一番中途半端で良くないのは、120%とか130%“頑張れば”なんとかなってしまうという状況です。200%頑張らないと超えられない課題がやってくれば、自然と「その他の選択肢」を考えることに頭が動き始めます。

emergency(緊急事態)とemergence(創発・覚醒)が、同じ語源だと言われますが、緊急事態ぐらいにならないと、過去のしがらみを捨てて新しいものを産み出すことにシフトしないのかもしれません。

とはいえ、多くの周りの方々がこちらの状況を察してくれて、ご配慮いただいているからです。ありがとうございます!(と、周りが協力してくれる効果も、危機的状況だと生まれますw)

やっぱり、ピンチはチャンスですねぇ。
とはいえ、子供が寝た夜中にごそごそ仕事している分もあるので、もう一段、楽にできる方法を考えなくちゃなぁ。


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