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2013/12/19

地方都市の「ドーナツ化現象」は、むしろチャンスなのかもしれない。


もうすぐ2013年も終わろうとしていますが、まだまだ地方出張が続いています。12月は静岡県三島市、沼津市、埼玉県ときがわ町、青森県八戸市。そして今日は長野県佐久市に向かっています。

出張をして現地の人と話をしていると、いかに街の構造が変わってしまったかということを認識させられます。「ドーナツ化現象」というマクロ的な話と捉えていたものが、ミクロの話で高校生から「市街中心地に行くよりも、時間はかかるけれどバスに乗ってイオンに行ったら、一日すごせるし、溜まる場所もある。バスが出ていて行きは250円かかるけど、帰りは無料だよ」と聞くと、寂しさを感じずにはいられません。。。

地方都市のドーナツ化
大都市圏外の地方都市においては、居住機能のドーナツ化だけでなく、商業機能のドーナツ化がみられる。すなわち、郊外や国道沿い・バイパス道路への大型店の進出がなお続き、「シャッター通り」とも表現される中心市街地の衰退に歯止めがかからない状態が続いている。市街地の再開発等によって活性化を図る動きも各地でみられるが、予算不足により遅々として進まない状況が大勢である。公共施設や公立病院等の郊外への移転もこの傾向に拍車をかけている。(via.wikipedia)

しかし、この悲観的な現象も、逆の立場から見るとすごく面白いチャンスに見えます。各都市を代表するような文化も歴史的な背景も豊かなエリアに、空き物件があったり、外者や馬鹿者が関われる余地が残されているのです。

今回、「手書き地図推進委員会」として訪れているため、その場所を盛り上げる活動をしている“活動家”の皆さんと交流する機会に恵まれました。なので、今月訪れた地域のホットスポットを紹介しておきます。

■青森県八戸市 ポータルミュージアム はっち

八戸の中心街に、ポータルミュージアムとして、八戸の面白さを発信しつなぐ役割をしている施設
入り口には「八幡馬」がディスプレイ
市の中心街におしゃれして遊びに来てもらう仕掛け
はっちの向かい側にある空き屋になってしまったビルに、事務用のプロジェクターで市民が作った映像をプロジェクションマッピングで映している。“廃ビル”があって“夜が暗い”からできるネガをポジに変える素敵な取り組み

■静岡県三島市 “伊豆、ときどき南米の手作り”カフェ cucurucu
ガラス張りの明るい店内。写真には写らない“イベント”や“コミュニケーション”のコンテンツが主役のお店
料理ももちろん美味しいのですが、「ミシマ買い食いMAP」を作っているように近所のディープなお店を教えてくれる

周囲を歩くには、散策できるきれいな川や三嶋大社。さらには富士山があちこちから見える。本当に素敵な場所

■静岡県沼津市 沼津の発信拠点 Lot.n
沼津あげつち商店街にあって、狩野川がすぐ近く。立地を活かしてカヌーなどの川遊びイベントも
店内には沼津のいいところを発信するモノ・コトが多く、自然やコミュニティというキーワードが好きな人にはたまらない
店内のコミュニティスペース。沼津のクラフトビール“ベアードビール”が店内で飲める
街の人のコンテンツを見せる仕掛けが秀逸。街の人が持っているコンテンツは大きな資源


■埼玉県ときがわ町 ときがわの小物屋さん
もともと埼玉県上尾で喫茶店をやっていたマスターが、このときがわの風景に惚れて通っているうちに、作ったお店

これがマスター惚れた風景。お店の向かいに椅子を置き、絵画のフレームを置くことで、風景を味わってもらう工夫をしている
お店の隣にある“宅爺所”と呼ぶ小屋には、薪ストーブがあり、くつろげるスペースとしている
8時間かけた水出しコーヒー。店内もそうだが、コーヒーにも一言添えてくれる。ときがわを味わってもらうための仕組み。ここのマスターの作る「手書き地図」は本当に濃い


上記のような街をポジティブに楽しむ“活動家”のいる場所が、あちこちにあるはずです。そして上記のような場所ができるのも、そこに隙間があり、役割として求められることがあるから。そういった文脈で、僕は地方都市のドーナツ化現象は、自分で街に関わっていきたいと考える人にとって、むしろチャンスだと思っています。


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2013/12/11

人肌感のある豊かな視点を各地の「手書き地図」に見た!


今年は地方出張が多い年でした。というより、多くしていました。まだまだ12月も続きますが・・・。

その理由が、個人的にいいと思ったものを属人的に紹介している「手書き地図」職人が各地にいるから。皆さんもご存じのように、個人が自分のフィルターを通していいと思ったものを世の中に発信する社会インフラが整ってきています。だれでも作家。だれでもメーカー。だれでも店長の時代・・・。

しかし、もう明らかなのは、「誰でも」はただの環境の話であり、結局「オリジナルで面白い視点」を持った人が、自分に共感してもらえる熱狂的なニッチマーケットを得て成立する話です。

こうやって考えたときに、まだプラットフォームができていない「歪みのあるマーケット」が、手書き地図の世界には残されています。

愛情があり、あくまで自分がいいと思ったものしか掲載しない。自分を通して見たものを情報として盛り込む、あくまで一次情報取材によって作られた濃い情報。

この誰かの「メガネ」を手に入れることで、その土地に行ったときに見えるもの、経験することが変わってくる。こんな素敵なものを認めてもらうための活動を始めました。

その名も「手書き地図推進委員会」

まずは各地をまわって、地図作者を取材し、実際にその地図を見ながらの自分たちが体験してみることから始めています。一方で、手書き地図の作り方のワークショップ。来年には全国の手書き地図作者の方々を集めて、サミット的なこともやりたいなぁ。

そんなわけで今後ともよろしくお願いします。
以下は、手書き地図推進委員会のサイトにアップした僕の「手書き地図」原体験話です。

2013/12/05

会社や組織の戦略は練るのに、自分のライフ戦略が後回しではもったいない。



自由大学でやっている脱藩学も気がついてみたら四期目。クオリティ落としたくないし、プログラムに頼るんじゃなくて、ちゃんと一人一人と属人的に向き合うことを考えると、このペースが丁度いい。

受講してくれる人たちの多くは会社の中で、その会社だったり、担当する部署の「戦略」を考え、実行している人たち。でも、もったいないことに、自分の人生についての「戦略」に関しては手薄になっている。

なぜ自分自身について向き合って、何をやって、何をやらないのか?を考えないのだろう。

企業や事業という単位では、散々、目指すべき姿にどうやって近づいていくのか?を試行錯誤しているはずなのに。

リソース配分についても企業人としては、意識して頭を捻っているはずなのに、一個人が自分のライフスタイルということになると、途端に取捨選択を行わなくなってしまう。

時間・予算・自分の特性・家族や仲間というネットワーク。。。見返してみると、リソースはたくさんあるはずだ。


主体的に楽しんで活躍している人たちに共通するのは、自分の人生のハンドルをちゃんと握っているということ。うまくいっていようが、うまくいってなくても、自分でどこに向かいたくて、どういうルートで行くのかを判断している。

そのためには、「みんなが寄っている場所だから・・・」ということは言っていられない。取捨選択して、自分にとって必要なのか?優先順位が低いことなのか?を“自分で”判断して進んで行っている。

だからこそ、他人や国のせいにはせずに、自分自身でなんとかしようと考え、行動できる。

一方で、自分が決めた計画を簡単に変えてしまう柔軟性も持っている

考えてばかりいても、波には乗れないよ。というエントリーにも書いたように、波が来たら乗ってしまう勇気も必要。

個人としてのライフ戦略をしっかり考えて、自分の人生の手綱を握っていれば、波に乗る準備ができてくる。波が来たら、戦略とか計画とか一旦捨てて、とことん乗ってみる。

計画から外れちゃうからといって、楽しいことを我慢しない。眉間にしわをよせて頑張るばかりじゃなくて、自分が心から惹かれる寄り道は、喜んで楽しむ。

まとめると・・・
1:自分の人生の戦略を立てて、乗客側から運転席に移動する
2:波が来たら、計画を変更してでも、乗ってみる「好奇心」を忘れない

この二つが、人生を楽しむカッコイイ大人になるコツなんじゃないかなぁ。少なくとも、脱藩学のゲストに来てもらった人、インタビューした人たちは、上の二つの条件が当てはまるから。


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2013/11/27

同じようなことをやっている人を競合と捉えるのか、同志と捉えるのか?


友人の所長サンのブログで、“ちきりんに「ついてゆけない」人たち”というエントリーがあった。あぁ、このような溝を感じることが多くなったなぁ。

同じように、「競合」と「同志」って同じ対象のことを、違う目線から捉えている溝の象徴じゃないか?ということを、ふと思った。


個人だったり、小さな単位で動いている人たちにとって、同じコトを思考している人や、同じ世界を目指している人はいわば「同志」だ。

一緒に情報や課題を共有し、どうやったら前に進めるのかを一緒に試行錯誤するのが当たり前。


一方、大きな企業やしっかりとした組織にとってみれば、同じコトをやっている対象を「競合」とみなす

やっていることがかぶらずに、協力出来る場合には「提携」という考えができるが、あくまでそれは「ここからここまではうちが、ここから先はそちらが・・・」という線引きをして、棲み分ける考え方だ。


なんで、同じ対象を見たときに、こんなに捉え方が違うんだろう?

一つには、個人や小さな組織で動いている人たちは、自分たちの市場が隙間だらけで、立ち上がってもいないと考えている。だから、守るものは少なく、むしろ一緒に市場自体をまだまだ育てていきたいと考えているからだろう。

それに対して、ゼロサム的な相手を競合とみなして戦う気持ちになる市場は、すでに成長が止まっていて、市場を拡げることよりも、競合を排除して自分たちの取り分を確保することにパワーを使うことが賢明なのだろう。

この立ち位置の違いが「競合」と「同志」という捉え方の違いを生んでいる。その企業の使っている言葉を聞いているとどちらの立ち位置にいるのかが、見えてしまう。


こういう捉え方の違いや、思考の癖の違いって、同じ文化にどっぷり浸かっていると見えなくなっていることが多い。特に、この「競合」と捉えるか?「同志」と捉えるのか?の立ち位置の違いは、これからの時代を生きるにあたって大きな選択を象徴しているように思える

つまり、自分で将来性のある市場を創りに行ったり、新しい選択肢にチャレンジする側を選ぶのか? それとも、旧来からの安定したなわばりを、敵を追い払いながら守り続ける側に回るのか?

この違いは今後、ますます大きな溝になっていくように感じる。。。

関連エントリー:「生き方のスタンス」が違うと友達になれない?自己責任派と他人依存派の埋められない溝


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2013/11/21

口を動かし不満を言っている人と、手を動かし身の周りを面白くする人



11月12月は仕事で、国内6地域を回る予定です。山形、三島、沼津、八戸、ときがわ、佐久。その後もまだ続くかも?

まだ山形出張が終わったばかりなのですが、いろいろと勉強になることばかりでした。共通するのは、自分たちの環境(自然の環境、持っている技能、周囲にいる人のネットワーク・・・)を受け入れ“工夫”して、楽しんでいるということです。

真下慶治記念美術館

例えば、上の写真の真下慶治記念美術館。最上川を描き続けた画家の記念館だけあって、曲がりながら山形県内を流れる最上川を借景として建てられた素晴らしい建物でした。安い資材なども使った木造の建物ですが、これこそ予算だけでは買えないものの典型かもしれません。

住んでいる人には、自分たちが住んでいる地域の素晴らしさを再認識させてくれる場所となり、外から来た人たちには、この地域の豊かさや根底に流れる文化を感じさせてくれる美術館です。

OUTDOOR SHOP DECEMBER




もう一つ特徴的だったのが、山形市内にあるアウトドアショップ。規模は小さくても、自分たちが川遊び、山遊びをする中で既製品では物足りないもの、あったらいいと思ったものを創って販売しているお店です。

小さなお店には、自分たちで建てた山小屋風の溜まり場も併設。きっとお客さんというよりも同じ仲間としていろいろと語り合ったり、次の遊びを企んでいるんでしょうね。道具からアパレルまで、お二人のセンスが好きでいろいろと買ってしまいました。

他にも素敵な場所はたくさんあったのですが、長くなるのでこの辺で。

口ではなく、手を動かして身の周りを変える

旅をすると本当に凄いなぁ、かっこいいなぁ、素敵だなぁ、と思える人と出会える確立が高くなる

僕が旅に出る目的が、世の中の基準とは関係なく、自分たちが面白いと思うもの、自分たちの環境だからこそ楽しめることをやっている人たちに会いにいくことだからかもしれない。

そしてもう一つ大きな共通点は、地方で自分たちの環境を楽しんでいる人たちは広義の「ものづくり」を行っているということ。何かを産み出している人は、自分の環境を自分たちでより面白くすることができる。

都会に住んでいる人は、口を動かして不満とか言っている暇に、地方にいる人は、手を動かして身の周りを面白くしている。

この対比を感じながら、都会にも「クラフトマンシップ」を持ち込むことで、まだ可能性はあるはずだと信じている。


関連エントリー:ネットも人生も、つまらなくさせるかは「自分次第」


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2013/11/13

“現在”のスティーブ・ジョブズにインタビューして書かれた本!!

今朝の会議で教えてもらったのですが、“現在”のスティーブ・ジョブズをインタビューして書いた本が発売されたとのこと。


え、“現在”?

なんと、大川隆法さんが霊界にいるスティーブ・ジョブズにインタビューしてつくった本とのこと。。。


いろいろとあるスティーブ・ジョブズ本は、すべて生前の話を「著者の視点」でそれぞれ切り取ったものです。普通の人の話は、編集されたもののほうがわかりやすく、編集に価値があるのですが、ビジョナリーな人の場合は例外です。

読み手が期待しているのはスティーブ・ジョブズ自身から発せられる言葉なんですよね。友人のブロガーである元アップルのカジケンも紹介しているように、誰かが編集したストーリーを読んだり見たりするよりも、本人の「生のインタビュー」が一番示唆に富むものだったりします。

そういう意味では、世にあまたあるジョブズ本の中で、一番"Think different"を体現している本なのかもしれない。人とは違うことを考えて、実行するってこういうことかも。

ある意味、コンセプトとして一番イノベーティブな本なのかも。。。いろいろと考えさせられるトピックスでした。(ちなみに、僕は現時点でまだこの本を読んでいませんので、レビューはできません。あしからず)


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2013/11/07

日常に、「お茶呑み話」を取り戻せ!

友人が京都から「お茶呑み話」をしに来てくれた。「時間あるので、話でもしよう!」ではなく、文字通り「お茶呑み話」をするために、自分の茶器とお湯、茶葉を持ってやってきた




せっかくなので、浜離宮に入ってお茶をいただき、閉館時間で追い出されるまで、「お茶呑み話」を楽しんだ。

---
そうか。。。「お茶呑み話」は、昔当たり前にあったもので、失ったものの一つかもしれない。

「お茶呑み話」には、
・お茶を楽しみ、とりとめもなく話ができる時間の余裕
・相手を思ってお茶を淹れるという関係性
・テーマが決まっていないなかで、どんな話やどんな空気感がうまれていくのか未知数という偶発性
というコミュニケーションに必要な素養が詰まっている。

実家にいる頃は、近所のお客さんがやってきて「お茶呑み話」を延々やっているのが、日常だった。そういえば、お茶は一杯だけ呑んで出かけようとすると、そんなに急いていると、交通事故に遭うから最低でも二杯は呑むようにと言われた記憶もある。お茶呑みにとって、急いているは無粋なのだ。

「お茶を淹れる/淹れてもらう」という行為自体が、普段の忙しく時間を気にして、効率的なミーティングを心がけている自分から結界を張ってくれる。


ちょっとでも、「お茶呑み話をする」というシーンが象徴するような、心の余裕、自然と人と向き合う時間を、自分の生活に取り入れていかなくちゃね。



関連情報→京都からやってきた友人がやっているfacebookページ「緑茶男子(Green Tea Boys)


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2013/10/31

今の社会は「余裕」が足りない。だから余裕を持つための3つの秘訣。


複数の案件が走っていると、精神的にあれもこれもと気が忙しなくなってきます。物理的にはそこまででもないのに、頭の中がクリアにならず、いつもごちゃごちゃしてしまう感覚。。。

この落ち着かない、整理されていない自分がすごく嫌なんですよね。余裕がなくなってくると、周囲にもカリカリしてしまうし、本来は考えられていた「もっと楽しい手」をスルーしてしまうようになるからです。

心に「余裕」があれば、人にも優しく、楽しく過ごせるのに。。。丁寧に暮らしたい、という罪悪感がわきあがってくるのも、「余裕」が足りないことが背景にあるからでしょう。


「余裕」がないために起こっている社会問題は、ブラック企業問題、食品偽装問題など、いたるところにあります。結局、時間や経済的な理由などで、余裕がなくなったがために、誰かを欺くもしくは誰かにしわ寄せが行くような行為が形を変えて繰り返されてきているだけなのかもしれません。

「余裕」をつくるにはどうすればいいのか?

精神的な余裕をもって、冷静に判断できる状態にしておくために、有効なのは以下の3つのことだと個人的に思っています。

1:身の周りの整理整頓。管理できる以上の物は持たない

落ち着いてじっくりものごとを考えるためには、机の上もきれいに片付いていないと集中できない。自分の身の周りが、コントロールされた状態にないと、頭の中もごちゃごちゃになっているような気分になってしまうから。

机の上や身の周りの整理整頓をするときに、一番の解決策は「モノを捨てる」こと。これは頭の中も同じ。いろいろごちゃごちゃと気になっている細々としたことは、一度紙に書き出してみると、案外ゴミのようなたいしたことないものが多いことに気がつきます。

2:スケジュールも「先回り」して「仕掛ける」側に回る

スケジュールを他人の言われるがままに後追いでやっていたら負けです。自分の場合なら、先回りして仕事の進め方をコントロールしてしまいます。

誰かにやらされているのではなく、自分で仕掛けている感覚です。僕のように独立していて自分で時間のコントロールができない状況でも可能です。

まずは、先回りできるように、自分の身の周りを片づけて、集中して仕事の段取りを考える時間をもってください。そうすると、心にもスケジュールにも余裕が出てくるはずです。何事もそうですが、起こったことへの反応や対応を辞めて、自らが先回りして仕掛ける側に回ることです。

3:リスク対応をした上で、楽観的になる

「余裕」なんて、心配ばかりしていたらなくなります。だからといって、起こる可能性のあるリスクに何も対応していなければ心配はなくなりません。

リスクケースが起きた場合の対応策を準備した上で、気分すっきり「余裕」を楽しむのです。楽観的になるためには、楽観できるだけの準備があった上で、何かあっても柔軟に対応できる心づもりがあればいいのだと思います。


こんなこと長々と書いていたのは、自分自身が仕事に加えて、育児が入り、「心の余裕」が足りなくなりかけていたから。。。

こうやって書いてみると、「心の余裕を持つ」ために効くことは、自分の人生のハンドルを握って主体的に生きるために効くことと同じなんだなぁ。


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2013/10/24

「走りながら考える」について、書きながら考えてみた。


「走りながら考える」。この言葉からいろいろ解釈できるけれど、僕の解釈はこうだ。

走ってみないと見えてこない情報こそ、自分の進む道を考えるのに値する情報だ。だからこそ、机上で考え続けるのではなく、まず動き始める、人にヒアリングを始める、自分がやろうとしていることを表明してみる、やり始めてみる・・・。



ネットで何でも検索できるようになってきている時代に、すでに解答の出ていることを知っている人の価値は相対的に低くなってしまった。一方で、価値が増してきているのは「現在進行系で課題に取り組んでいる人の知恵」だ。

そして、現在進行系の課題に取り組んでいる人の知恵には、まだ普遍的な解答になっていない部分=その人ならではの属人的な理由や要因が混じっている

この属人的な部分がすごく大事な部分だ。普遍的な「誰でも活用できる解答」が求められ溢れている中で、その人だからこそ選んだ方法・使えた手法に問題解決のヒントがある。さらに、そこにはストーリーがある。問いと解答というQ&Aでは表せない、その解決に至った物語がある


個人の生き方・暮らし方・働き方を考える人にとって、走りながら考え、属人的な話を聞き、自分が持つ属人的機会を発見して、チャレンジしてみることが有効だ。とにかく、まずは動かないと情報も入ってこない。

実は、属人的なことが嫌われる企業の中でも、新規事業を起こすときにも、まったく同じことが言えるのだけれども。

と、今日も書くことないなぁと思いつつも、書きながら考えて見たらこんなエントリーができました。書き始めて良かったぁ。

関連エントリー:「実践家が尊敬される社会へ

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2013/10/17

横のつながりブームから、縦のつながりも大切にする空気へ



「今足りないもの」に僕らは希少性を見いだし、憧れる。

未来に「今足りないもの」を埋める可能性を見いだす人がいれば、「今足りないもの」を昔に見いだし、懐かしむ人もいる。

先日読んだエントリーで以下のものがあった。
新セレブな生き方は田舎暮らし|世界級ライフスタイルのつくり方」


新しいタイプのセレブは、田舎に住み(または平日ロンドン、週末田舎暮らし)、古いファームハウスを手入れして親からのお下がりやフリーマーケットで手に入れたインテリア、車はポンコツのランドローバー、子沢山(最低3人)で自家菜園でオーガニック野菜を育て、趣味はホームベイキング、ファッションはオーガニックコットンにHunterの長靴・・・ 
と続き、新型セレブの例としてジェイミー・オリバー(*1)とサヴァンナ・ミラー(*2)をあげ、今の若い世代(アッパーミドルクラス)が憧れるこのライフスタイルを”Nouveau Peasant”(フランス語で「新しい農民」)と呼んでいました。

ロンドンの話だが、日本でもすでにこのセレブ像(というとなんか違うなぁ。憧れのライフスタイル像かな?)の変化は共通して起きている。

簡単には手に入らない、手間がかかって、関係性が大切なものこそ、“贅沢”で”羨ましい”昔は、当たり前だったから感じなかった。どんどん楽なほう、省力化して効率的なほうに流れていったら、足りなくなったもの。それが自分で手間を掛ける生活なんだと思う。

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この田舎と都会の両方を楽しむというライフスタイル欲求が表しているのは「縦のつながりの豊かさ」だろう。

ここ数年、「コミュニティ」というワードと一緒になって「横のつながり」が意識されてきた。同じ目的を持った仲間や自分が住む地域住民とのつながり・・・というふうに。

しかし、都会で横のつながり(コミュニティ)が形成できはじめると、田舎にはあった縦のつながり(世代をまたいで受け継いでいくもの)が足りないということに気づきだした。

都会では、縦のつながりを意識することが少ない。親子孫という世代の繋がりということも感じづらくなっているが、仕事や事業スタンスでも、縦のつながりは軽視されている。短期間に自分が蒔いた種を自分で刈り取ることに、何の疑問も持たないだろう。

しかし、田舎には、自分の代以降のためにやる「仕事」という考え方がある。よく言われる「暮らし」と「稼ぎ」と「仕事」の3分類だ。平日の糧を得るための仕事が「稼ぎ」で、地域社会のために提供するのが「仕事」。残りの生活が「暮らし」という分類だ。

この分類で言えば、「縦のつながり」は「仕事」(地域社会のために提供するもの)となる。

田畑があるのも、先代以前のこの地域の先祖が開拓してきたから。地域という単位で一緒に治水を行い、それが社会資本として残っている。行政に丸投げ意識がある都会では忘れてしまっている、顔の見える公共インフラの話がたくさんある。

一方で「稼ぎ」にも「縦のつながり」で産み出されるものもある。


森に行って、木の間伐の話を聞いたときもこれを思った。枝を剪定して、できるだけ節ができないように育てていく。でも、その木を売ってお金に換えるのは自分ではなく、次の世代。自分だって、先代が手入れしたものの恩恵を受けている、と。

憧れのライフスタイルに「田舎での暮らし、手間のかかる生活」が出てくるのは、上の世代から受け取ってきたものは利用しときながら、次の世代へ何かを残していない自分たちへのいらだちからかもしれない

次の世代に文化を継承する、何らかの知恵を残したい、永く使える価値のあるものをちゃんと伝えていきたい。これが今のトレンドのインサイトなんじゃないのかなぁ。



■蛇足
と、「縦のつながり」について考え始めたのは下記の本を読んだから。遠野で活動しているランドスケープ・デザイナーの田瀬さんの実践記は、心に響いた。月並みな表現だけど、「本当の豊かさってなんだろう?」





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