ちょうど1ヶ月前に2000年に発売されたニューバランスのM1300Jをメーカーが行っているリペアサービスに出したエントリーを書きました。
そう、ついにリペアが完成して手元にM1300Jが戻ってきました。期せずして、2015年モデルのM1300JP2の抽選販売や取り扱い店舗の発表と同じタイミングでした。
ニューバランスでは、フラッグシップモデルに関してはソール交換やライニング交換を受け付けてくれています。1500や996、576。1300、577、1400、1700などが対象です。
修理代は以下です。
・オールソール交換:8000円(+税)
・オールソール交換+ライニング交換:13000円(+税)
直営店舗などでもリペアのお願いができるようですが、僕の場合は以下の連絡先に電話して書類を送ってもらい宅急便でM1300Jを送付しました。
■連絡先
ニューバランスジャパンお客様相談室「リペアサービス係」
0120−85−7120
平日の10時〜17時の受付
さて、リペアによって戻ってきたM1300Jの状況です。まずは写真にて。
■Before
送付後リペアサービスから電話がかかってきました。ライニング交換を行うと、ポリウレタン部分がかなり破損しているので危険があるとのこと。リスクはあってもこのままだと履けなくなってしまうので、修理を続行してもらうことにしました。コレクターではなく、履ける靴が欲しくてリペアに出しているわけですから
■After
画像を見てもらってすぐにわかるように、交換したソールとライニング部分が真っ白に! 箱を開けた瞬間、一瞬新品かと思いますが、すぐに見慣れた傷や汚れの全体像から、自分のM1300Jだということがわかります。
以前は、ソールは加水分解し、ライニングはボロボロになっていて履ける状態ではありませんでした。これですっかり実用レベルに復活しました。
一番心配だったのが、送付後に連絡がきたポリウレタン部分ですが、修理の方は相当苦労したと思うのですが、問題なくできあがっています。かなり満足なできあがりです。
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前回のエントリーでも書きましたが、メーカー自身がこのような修理サービスを行っていることは非常に好感が持てます。自信のある定番モデルを長く使えるものとして世の中に出している姿勢は素晴らしいと思います。
使い手側も、長く使える商品を購入したからには、使い捨てにならないように育てていく責任のようなものが生まれます。もちろん、堅苦しい責任ではなく、長く育てることを愉しめる権利です。
ノームコアトレンドのおかげもあって、ニューバランスがたくさん売れていますが、その中からこうやって大事にリペアしながら使うという愉しさまで広まってくれたらなぁ、と一ファンとして思っています。
前回のエントリー:New Balanceリペアサービスに、15年前のM1300Jを出してみた。
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なんだかBlogの更新が億劫になっている気がして、もっと気軽に“自分の消費傾向”的なものも残していこうと思い直しました。
上の写真ですが2000年に復刻したニューバランスのM1300Jです。ずいぶん大事に履いていたのですが、距離も歩いているし、そもそも15年も前のスニーカーですから、さすがにボロボロです。
M1300の復刻は1995年から5年おきに出ているのですが、2005年も2010年も、競争率が高く購入できませんでした。そしてもうすぐ出る2015年モデル(3月発売予定)も、このニューバランス人気ではきっと買えないだろうなぁ。
ということで、2000年モデルのM1300Jをニューバランスジャパンのリペアサービスに出すことにしました。
ニューバランスでは、フラッグシップモデルに関してはソール交換やライニング交換を受け付けてくれています。以下の写真のように1500や996、576。1300、577、1400、1700などが対象です。(1700も廃版になる前に買った何足かがソールの加水分解が起きているのでそろそろ出そうかなぁ)
靴は気に入ったものを永く履きたいので、こういうリペアサービスは本当にありがたいです。メーカー自体が、リペアサービスを提供できるのも、永く続く定番モデルが存在していることと、それを愛して大事に使う(高いリペア代を払ってでも修理したい)ユーザーがいるからでしょう。
気になる修理代は以下です。
・オールソール交換:8000円(+税)
・オールソール交換+ライニング交換:13000円(+税)
直営店舗などでもリペアのお願いができるようですが、僕の場合は以下の連絡先に電話して書類を送ってもらい宅急便でM1300Jを送付しました。
■連絡先
ニューバランスジャパンお客様相談室「リペアサービス係」
0120−85−7120
平日の10時〜17時の受付
修理から戻ってきたら、また紹介します。
ちなみに送付後リペアサービスから電話がかかってきました。ライニング交換を行うと、ポリウレタン部分がかなり破損しているので危険があるとのこと。リスクはあってもこのままだと履けなくなってしまうので、修理を続行してもらうことにしました。コレクターではなく、履ける靴が欲しくてリペアに出しているわけですから。
リペアに出すという消費。リペアに将来出せる商品を購入するという消費。修理担当してくれる職人さんと会話するという体験。この辺にすごく食指が動いてしまうのです。
関連エントリー:こだわりを持っている専門家に「叱って欲しい」。
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ここ数年、自分が欲しいなぁと思うしっくりくるものを市場で探すのが面倒かつ見つからないので、自分でお願いして作ってもらうことが増えてきた。
写真のフツーに見える帽子も細かくオーダーして作ってもらったもの。ベースとなる形やらサイズ・生地・色、ワッペンのフォントや色・サイズ、ステッチの色、アイレット・アジャスターetc.
そもそも注文することが愉しい時間だったりする。他の人にとっては帽子一つに対して面倒なことかもしれないw
“成熟化(大人になった?)”から
個人的な体験を分析すると、自分のファッションテイストもトーンもすでに固まってしまっている。若い時のように新しいものを試して失敗しながら、自分を理解していくというステージがとっくに過ぎてしまった。
アイテムに関しての経験値がすでに高くなっている。自分の中に、このアイテムにこんなことを求めるという要件や、軸がすでに存在している。目が肥えた消費者になっている。
自分が満足できるものしか欲しくないのに、市場にあるのは顔の見えないみんな向けの商品であふれている。場合によっては、大手メーカーなどの作り手・企画者よりも自分のほうが経験値が高いことも出てくる。
こうなってくると、世の中にたくさんある商品から選ぶ(ECなどが実現している世界)よりも、自分が欲しいものを自分でオーダーしてつくるほうが労力もかからず、満足度も高い。
モノ分野でもプロシューマー化しやすい環境が整ってきた
アルビン・トフラーが『富の未来』の中で提唱した「生産的消費者(プロシューマー)」になりやすい環境が一層整ってきたという背景も見過ごせない。
プロシューマーが語られだしたころは、あくまでソフト産業だったり、DIY分野についての兆しだった。それが今では工場で作っていたような物の分野にも当てはまるようになってきた。
以前ならそれなりの量をつくる人でないと、製造してもらえないものが多かった。相手が工場などであればなおさら効率化を求められから、経済的メリットが少ない小ロットでなおかつこだわりが強い個人ユーザーなんて相手にしてもらえない。
しかしながら、今ではこだわりが強い個人ユーザーを相手に、要望を聞いて作ってくれる個人商店が増えてきている。小商いをやっているほとんどが個人の商店は、ネットで注文を請け、ヤマト運輸のような個人の荷物を簡単に送ってくれる物流のおかげで商品を届けることができる。
得てして、この個人商店を起こす人は、その分野でプロシューマーとなる注文主と同じトライブに属する人であることが多い。注文主と話が合うし、細かすぎるこだわりの意図も理解してもらいやすい。
とはいえ“誰でも”プロシューマーにはならない
自分で欲しい要件を言語化して仕様に落とすのはパワーがかかる。それだけの情熱も伝える術もまだまだ必要になる。ある意味仕事で要件定義して、エンジニアに伝えるのと同じだけのことを、趣味でやる…。
人は考えることを避ける・判断するのを先延ばしする。多くの人は受動的で頭を使わないことが好きで、流されることが楽なのだ。世の中の大半の人は、こっちの吊るしの世界のほうが幸せに感じる。
一方で残りの人達は、自分の頭で考えて比較検討して、納得行くものを欲しがる人達だ。もしくは、ある特定の分野に関してはプロシューマー化するけれども、どうでもいい分野では吊るしで不満はない人達もいる。
欲しいものを明確であれば、見つからなくても作り出せるし、そうではない人は流されていることで満足できるという構造があるように思える。暮らし方にしても、仕事にしても、モノであっても…。そんなことを個人的な消費行動を通して俯瞰してみた。
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2015年になってから、子供の病気、嫁の肺炎、子供のインフル…と、次から次と襲ってきたお陰で、ネットやマスメディアなどのあらゆる情報洪水から離れる生活を送っていました。(正確に言うと、今なお継続中…)
時間的な問題や自由になれないもどかしさはたくさんありましたが、情報が取りづらくなったことに関しては、正直、まったく困りませんでした。もちろんメールのレスが遅くなったりなどでご迷惑をお掛けした方もいるとは思いますが。
気をつけていても、知らず知らずのうちにたくさんの情報を消費する習慣がついてしまっているのかを思い知りました。いわば、移動中の空き時間に…ソファに座りながら…という後継姿勢的な情報インプットは、まさに消費ですね。
時間がなくなることでインプットすること=自ら必要と思って前傾姿勢になって探すことに限定されました。こちらは、仕事上の必要に迫られて、手が家事などで動いていても頭の中で考えていたり、組み立てていたりするので、その上で必要な情報を探しに動いた結果の情報収集です。
家庭的な状況で、時間に制約が生まれることで、情報との距離感の見直すきっかけになりました。
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受動的に出会う情報のほとんどはノイズ。
テレビから流れてくるニュースのうち本当に必要な情報ってなんでしょうか? 情報番組といわれるもののうち本当に必要な情報ってなんでしょうか? タイムラインを眺めている中で得られる有用な情報ってなんでしょうか?
すでにメディアの作り手が平均的な読者を想定できない今、受動的に得られる“みんな向け”の情報は「知らないよりは、知っていたほうがいい」というレベルのものかもしれません。
「知らないより知っていたほうがいい」ものに時間を奪われているぐらいなら、「自分が知りたいこと」や「自分が実践できる、自分に関係する情報」と出会うのに時間を使いたいと気がつくはずです。
ノイズ情報をたくさん入れていないと不安になるのは、モノを買うことをさせづらくなった現代でもいまだに有効な消費のさせ方なんだなぁ、と。お金を払わなくても、時間を消費させるというのがすごく機能している社会だよなぁ、と。
無料の情報って、無料なのではなくその分時間を売り渡し、下手すると自分の将来の選択も売り渡している(住宅・保険とか多くのマーケティングはここですよね)ことがあるので注意が必要です。
自分が何をやりたいかわからないとか、やりたいことがないって言う人の多くはこの情報を受動的に消費するのに毒されているから起こっていることとも言えます。自分の頭で考えるのってパワーがかかるから、つい楽なほうに流れちゃうものです。
上記はすごく当たり前の社会の仕組みですが、今回のように情報収集に宛てられる時間が極端に減った環境に追いやられることで、また見直すことになりました。自分の頭で考えるめんどくささから逃れちゃいけません。
というか、今年はこんなことにならないように家族健康で暮らしたいなぁ。今年本厄の筆者よりw
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以前このブログでも書いたことのある中小企業庁からの受託事業だった自由大学クリエイティブスクール女性起業コースが先週終了しました。
僕自身が双子の育児と仕事のごちゃまぜ生活なのですが、自分で仕事を創ることをやっているので、まだなんとかやっていけています。そして、育児中なのを逆手に取って、上記のような新領域を始めてみました。
女性が働くときの選択肢とき、会社に勤めていままでどおり普通の人として働くって、企業にとっても・個人にとっても不幸だと思う時があります。企業にとっては“新しい視点”を手に入れた人を普通の人と同じ用途で使うのは損失ですし、個人としても、努力で普通の人と同じことを強いられても、スーパーウーマンでない限り無理です。
そこで、その他の選択肢として、いっそ創業するという選択肢があってもいいはずです。(創業している場合の保育園への入学資格としての点数が高くなるといいなぁ)
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前置きが長かったですが、要は「育児と仕事の両立」という目標設定は間違っている、ということを言いたいのです。
いままでどおり一人というリソースで、1(育児)+1(仕事)=2の結果を求めていて、さらにそれを精神論や努力で乗り越えている状態と言ってもいいと思います。
目指すべきは「育児と仕事の混合」であり、1way 2jobsのようないかにまとめて両方に好影響が出せるかというズルさのほうでしょう。
1way 2jobsって、飲食業などの教育でよく言われている言葉のようで、「注文取りに行ったら、ついでに下げるお皿を処理してくる」といった、いかにまとめて効率的に業務をやっていくのかという思想のようです。
もちろん育児中ということだけにあてはまる話をしたいわけではありません。以前“当事者という美味しいポジション”というエントリーを書きましたが「プライベートだったり生活の中で当事者である経験や苦労を、どう仕事にフィードバックしてやろうかというしたたかさ」をもっと奨励するべきです。
「一挙両得」は結果論のニュアンスが強いし、失敗したわけじゃないけど「転んでもただでは起きない」というようなスタンスも含まれている。そんなしっくりくることわざを、新しく創る必要があるのかもしれませんね。
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高倉健さんの訃報を聞いて思ったのが、“現役のまま亡くなる”というのが、最も幸せなことだという価値観の時代がやってきている、ということです。
日本の社会保障費のことを考えても、人生戦略を考えても、一番大きなリスクは長生きすることです。もはや終身雇用の時代じゃあるまいし、定年退職したら公的年金と貯蓄でやりくるするんだというテンプレートは成立しなくなっています。
このことが浸透してくると、多くの人の働き方も人生設計も変わってきて面白くなるだろうなぁ、と個人的に思っています。
つまり、長生きすることのリスクへの対応策は、死ぬまで働くこと。生涯働き続けられること、となるでしょう。
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生涯働くことを選択するというと、ネガティブなイメージを持つ人が多いかもしれません。でも、逆じゃないかなぁ。
生涯働くためには、飽きずに続けられる向学心がある分野じゃないと続けられない。ある種、学ぶように働く分野設定をしていく必要があるんだと思う。
前回も「飽きたから、新しいことを始めます」を肯定する。というエントリーを書いたように、学習曲線を駆け上がる愉しさはエンタテイメントになりえます。
一生働ける仕事を見つけられるということは、それ自体が楽しみになるはずです。もちろん、同じ仕事である必要性はありません。楽しみであり向学心として次から次と分野を変えて学び働くことも生涯働くための選択肢です。
生涯学習となりうる働き方をする。これが次のスタンダートにならざるを得ないのだと思います。まったくもってウエルカムです。
どうせリタイアして暇を持て余して何をすればわからないよりも、自分が興味あることを仕事(誰かの役に立っている状態)で続けられることほど、幸せなことはないでしょう。
生涯現役で亡くなった方の訃報に、多くの人が敬意とあこがれを持つのには、上記のような背景があるのかも。
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