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2012/11/29

【ポートランドで考えた】その2:小さな都市でも、地政学的強みを活かした生態系が絶妙!

前回のエントリーに続いて、本題の考察編です。現地に一週間滞在して、現地に住んでいる人たちに会って、自分でどう感じたのか?


ポートランドという都市の地政学的強み

・都市と自然のハイブリッド環境

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ポートランドの人口は58万人。アメリカでもナンバー1の環境に優しい都市(2008年Popular science誌)。コロンビア川やコロンビア渓谷がすぐ近く。Mount Hoodが都心部からも見える環境。都市でありながら、ちょっと車を走らせれば自然溢れる地域。

ちょうど滞在した時期が雨の多い時期で、日によってはかなり激しい雨。ある日は雹まで降ってきました。そのため、街中にいる人でもほぼ全員がアウトドアブランドの防水・撥水フーディを着て、フードをかぶり、かつ傘を差していた人も多い状況でした。(僕が雨男だったという噂もありますがw)

もちろん、冬の時期以外はカラッと晴れて気持ちが良く、自転車にやさしい街であるポートランドも見て欲しいと現地の人々から何度も言われています・・・。

上の写真は、現地でお世話になっている友人夫妻に、車でコロンビア渓谷にあるマルトノマ滝まで連れて行ってもらったときのものです。ダウンタウンから1時間かからずに、完全な自然の中に没入できる環境です。

東北や北欧とも共通する、自然への畏怖と、雨や雪の時期に家の中で物を創るという共通の文脈を感じました。

・アウトドアブランド/スポーツブランドの本拠地


上記のような自然環境にあることが地政学的にポートランドの魅力となっていると思います。自然を愛する人たち、イケイケに経済謳歌を楽しみたい人たちではなく地に足のついた生活を志向しながらも、都市での人との関わり、カルチャーを楽しみたいという人たちが結果的に住んでいるようです。

ポートランドに本拠地を置いているアウトドアブランドや、スポーツブランドが多いのもうなずけます。今回会社にお邪魔したNIKEをはじめ、コロンビア・スポーツウェア、ペンドルトン。ダナーも工場はポートランドのようです。自分たちが、自社製品を使って楽しめる環境に暮らしながら、一カスタマーとして改善したり改良・発見が強みになっているからこそ、ポートランドに存在しているのでしょう。

あと、IT系ではインテルが大きな雇用を産み出しています。

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※写真は、ポートランド郊外ビーバートン市にあるNIKI CAMPUS。ここから世界に向けた仕事をしている

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※写真はNIKE CAMPUS内にあるNIKE湖。釣り人は本物じゃなくて銅像。キャンパス内に各種スポーツ施設が整っていて、家族も利用できる

こういった規模の大きな地元企業があることで、小さな都市であるにもかかわらず世界を向いた仕事をしている層が一定数いることも生態系としてすごく重要です。


DIYピープル・クリエイティブな仕事が集まる


・クリエイティブ業に従事しながら生活的余裕があるボボズ層


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NIKE本社などがあることも影響していると思いますが、クリエイティブ・エージェントのワイデン&ケネディやデザインコンサルタント会社のzibaなどの広義のクリエイターを雇用する土壌があります。もちろんNIKEなどの地元企業にもデザイナーなどの雇用があります。

最近はあまり聞かなくなりましたが「ボボズ(Bourgeois Bohemians ブルジョワ・ボヘミアンズの略称)」が一定数いることがこの街の生態系を面白くさせているように感じました。ブルジョワ=ヤッピーでスーツを着た会社員で金儲けに情熱を傾ける。ボヘミアン=カウンタカルチャーをベースにしたヒッピーで、お金から離れた自活・自由を重視する。この2者をあわせた概念として出てきたのが「ボボズ」でした。
ボボズは社会的にも経済的にも成功を収め、高い収入と豊かな暮らしを確保しているにも関わらず、服装はビシッと決まったスーツではなく、TシャツにGパンなどのラフな格好。食べる料理も豪華なフランス料理ではなく、どこかの山奥で取れた新鮮な水と、酵母から気を使って作られたパン。聞くのはクラシックではなく、ロックやパンク、エレクトロニカなど。芸術家肌なボヘミアンの性格と、資本家的なブルジョワジーの双方の特徴を、ボボズは持っているのだ。(『アメリカ新上流階級ボボズ』より) 

もちろん、90年代に言われはじめたボボズとちょっと違っているかもしれませんが、クリエイティブな仕事に就いて、自分の大切にするものの軸がカンターカルチャーに近い、自然の物を大切にしたり、いいものにはお金を払うという価値観を重視しているという点では、同じです。

そして、彼らがいるからこそ、飲食業やアートマーケット、ファーマーズマーケットなどのインディペンデントで小資本でいいものを提供している人たちを経済的に支えることできるのでしょう。


・個人で小資本で仕事を始められる隙間がたくさん残されている


 大企業が雇用を提供し、大企業が必要とするクリエイティブな仕事を提供する会社があり、彼らが「いいものには価値を見いだして、お金を払う」という土壌があるからこそ、個人が小資本ではじめたビジネスでやっていける人たちがいるのです。

 ポートランドで個人が挑戦しやすい環境としてあげられるのが、ファーマーズマーケットやフードカートの仕組みです。店舗を借りてチャレンジしなくても、ハードルが低く店を始められる。ハンドメイドのアクセサリーやファッション系や雑貨系をはじめる人も街中のイベントスペースで始められるプラットフォームが整っています。さらに、今では彼らには決済手段として現金だけじゃんく、ペイパルやスクエアでのクレジットカード決済を簡単に提供できます。(なぜかスクエアばかり見かけました。なんでだろう?)


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※農家直売で新鮮でオーガニックなものが手に入る分、値段は高い。その価値を認めるライフスタイル層がいるからこそ成立する
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※駐車場にキャンピングカーのようなカートを置いて店舗として営業。複数の店舗が出ていて、駐車場をみてみるとカートのレント看板が出ている
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※なぜか決済は、Squareばかり目につきました。Paypal hereじゃなんでダメなんだろう?提供してないのかなぁ

ナショナルチェーンももちろんあるのですが、地元のビール・地元のコーヒーを優先し、美味しい物や面白い物の情報がすぐに広まる距離感も大きな要因でしょう。
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※Public Domain Coffeeにて。とにかくみんなよくしゃべる。レジの人もバリスタも。僕みたいにしょっちゅう飲みに+Wifiめがけて行く人はすぐ覚えられるw

・コミュニケーションする文化。2ノックで会いたい人に会える規模感


小規模でやっているお店が多いからなのか、どこでもよく話しかけられました。コミュニケーションをする文化がすごく心地よかったです。名無しの消費者じゃなくて、一人の人間として対等にコミュニケーションをするような感覚です。

『Green Neighborhood』を書かれた吹田さんに、ポートランドに行く前に話を伺った時に出ていた「2ノックで会いたい人に会える距離感」というのがすごくよくわかりました。

小さな街だからこそ、面白い人同士が繋がっているというのと、コミュニケーションをよくするから情報が流通するという掛け合わせで、会いたい人、必要な人に情報が伝わりやすいのでしょう。

一方で、「小さい街なので刺激が足りない、もっと世界を見てまわりたい」という話も聞けました。

まとめ:都市圏としてバランスの取れた生態系が肝

ポートランド市として見た場合には、凄くクールで古い物と新しい物が混じっていて、なんでこの街はこの規模でこんなにカッコイイんだろうと思っていました。

しかし、ポートランド都市圏としてみた場合、橋を渡ってワシントン州のエリアなども含めて200万人都市圏になるようです。

実際、Thanksgivingのタイミングでお邪魔したお宅はワシントン州でした。ポートランドは消費税がない分、固定資産税などが高いので川を渡ってワシントン州にお家を建てて、仕事はオレゴン州ポートランド。もちろん買い物もポートランドという生活を聞いていると、都市圏で把握しないといけないなぁと実感しました。(追記:なんとさらにワシントン州は個人所得税の収税がないとのこと)

そして、この都市圏で見た場合にポートランド都市圏の生態系が絶妙によくできているのです。

このエントリーで書いてきたように大企業の雇用があり、それに付随して必要となるクリエイティブ系の雇用があり、そのため個人で価値を発揮すれば商売ができるという生態系がうまくできているところが絶妙だと感じました。

日本の各都市でもどう特色を出して、雇用や街作りをやっていくのかという課題が目の前にあります。その一つのヒントがやはりポートランドに行ったことでかなり実感値が持てたなぁというのが感想です。


<おまけ>

パウエルズブックスの地元チャートで上位に入っていたこの本。今読んでいますが面白いです。冒頭にポートランドのノードストロームで働いていた人が首になって、個人でカーペット屋さんを始めるストーリーが出てきます。やはり普通の小売り・製造業での雇用が減ってきて、その受け皿として小規模商売にチェレンジするニーズが出てきているようです。こちらでのスモールビジネス起業は、必要に迫られてという環境も大きいのかもしれません。日本もそのうち・・・。



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2012/11/28

【ポートランドで考えた】その1:なぜ、ポートランドに興味を持ったのか?

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先週一週間、アメリカオレゴン州のポートランドに行ってきました。そこでの考察をBlogに残しておきます。


■なぜ、ポートランドに興味を持ったのか?


・クリエイティブ都市の成り立ちを探ってみたかった


リチャードフロリダの『クリエイティブ都市論』に興味を持ったのがスタートだったと思います。クリエイティブ都市論でのキーノートは以下のようなものです。
トーマス・フリードマンが「世界はフラットになった。どこに住んでいようと、グローバル経済に参加できる」と主張する。それに対して「世界はフラットではない。世界は鋭い凹凸があって『スパイキー』だ」 
グローバル経済の波とテクノロジーの発展をもってしても、なお「住む場所」が人生、つまりは職業・職業的成功、仕事の人脈、快適な暮らし、伴侶を見つけることに影響を与えている
この本を読んでから、世界のあちこちを見に行きながら、人が集まってくる都市、競争力が高い都市とはどうやってなりたっているのかを見に行くのが、自分にとっての研究開発という位置付けになっています。

・「DIYピープル」が地域社会に与える影響を見てみたかった 


以前このBlogにも書いたように「DIYピープル」と呼ばれる種族が、もはや右肩上がりの経済成長が期待できなくなった都市の活性化や地域経済の担い手になるのではないかと考えているからです。

DIYピープルの特徴を自分なりにまとめると以下になります。
・自分たちで、自分の周りの課題を解決しようと動く人たち
・自分ごとである身近な課題を、喜んで解決する人たち
・どんなに社会に課題が溢れていても、未来は明るくなると信じている人々
以前の「DIY」が自分の生活に必要なものを、自分で作るという意味合いの色が付いてしまっていたのに対して、ここでいう「DIY」にはもうちょっと「自分ごと」と思える範囲の「公共性」が入ってきています
そのため、眉間にしわを寄せた社会活動とは捉えず、素直に自分として「あったほうが楽しいから」「自分ができることだから」という気持ちで動いているのが、大きな特徴です。
このDIY精神が根付いている都市の代表がオレゴン州のポートランドだったということがあります。

※吹田良平さんの書かれたポートランドのDIY精神溢れる都市の成り立ちを書いた『GREEN Neighborhood-米国ポートランドにみる環境先進都市のつくりかたとつかいかた』。雑誌Spectator 21号『From Oregon with DIY特集』。雑誌PAYPER SKY38号『TRAIL オレゴンのランナーたちとトレイルを走る旅』。この3冊がお薦めです。





さて、本題の考察ですが・・・。このエントリー長くなりそうなので、次の記事に分けて書きます。なぜなら地域経済に与える影響の大きい大企業の存在についても、ちゃんと触れないと小規模でもバランスの取れた街づくりは説明できないと感じたからです。次のエントリーまで、もう少々お待ち下さい。

【ポートランドで考えた】その2:小さな都市でも、地政学的強みを活かした生態系が絶妙!



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2012/11/14

固定概念を捨てて、「再発明」されたものに心が動く。



ちょっと時間が経ってしまいましたが、写真はDESIGN TIDE 2012に出展されていた台湾のデザイナー周育潤さんのTable M01/02という作品です。見ての通り、リモワのスーツケースに装着することでテーブルとして使用できる板です。

If we can think about what should be the relationship between the product and the environment,maybe it is easier to make a neat space."Tabele M"is a table that has to work with the luggage.The luggage becomes a part ob your furniture, and keep serving you when not in traveling.
モノと環境の関係を捉え直せれば、もっと簡単に快適になれるのではないだろうか。Table Mはスーツケースと合体できる新しい家具である。スーツケースは旅でなくてはならないモノなのに、普段の生活ではあまり必要とされない。 Table Mを使うことにより、家具として再び必要とされ、生活を彩ることができる。
すごく刺さりました。ああ、これが欲しかったなんだぁと。

自分の生活や身の回りの物でも、固定概念を取っ払って「再発明」すれば満たされていないニーズはまだあると再認識させられました。

こういった鮮やかな補助線を引くアイデアは、商品企画の現場よりも、フラットな視点でモノと環境を捉えられる外野から生まれてきているように思います。この例では家具メーカーでも、スーツケースメーカーでもなく、台湾のデザイナーの純粋な疑問から生まれています。

最近、こういった鮮やかなプレゼンテーションと出会っていなかったので、なんだか勇気づけられました。僕ももっと固定概念から離れたフラットな視点を持てるように頑張らなくちゃ。目も頭も心も、綺麗にしておかなくちゃ。

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2012/11/07

最新技術よりも、現実社会で起きている「人間くさいコンセプト」が大事

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左が1984年のカメラで右が2012年のカメラ。1984年発売のCONTAX TはもちろんフィルムでズームもなくAFでもない。一方、2012年のSONY RX100はデジカメで28mm相当から100mm相当までズームができるレンズがついている。

コンセプトとしては、どちらも「ポケットに入るサイズで、CarlZeissのレンズで良い写真をハズレなく、自分のイメージしたように撮りたい」というニーズを満たしてくれるもの。CONTAX Tはポジフィルムを入れて雑誌の簡単な取材などの時に利用していました。

この二つ、驚くべきことに年の差が28年も!あるにもかかわらずコンセプトはほぼ一緒。逆に言えば28年もかかって、やっとこのコンセプトとアナログ時代の使い勝手を埋めるデジカメが出たとも言える。(僕というターゲットにおいてですが・・・)

家電製品、デジタルガジェッドなどは新しければ新しいほうが優れていると信じられている。もちろん、技術進化が激しい分野なので、性能という面では否定はできない。しかし、道具としての完成度という視点で見た場合には、まだアナログ時代の使い勝手を超えられていないものが多いのも事実

電子書籍も、「持ち歩けて、さっと開いて、すぐに読み始められる。ちょっとした空き時間ができたときに、積ん読状態だった本からのゆるやかな催促」という、紙の本のコンセプトに追いつくのに20年ぐらいかかるのかもしれない。

そりゃそうだ。紙の本だってここまでの形になるまでに数千年の時間がかかっているから・・・。

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Webサービスを設計している人、アプリを企画している人、デジタルガジェットを開発している人・・・すべてに言えるかもしれないが、やはり人間に受け入れられてきたベーシックなコンセプトからヒントを得たほうがいい。ぜったいに。

web上で起きていることよりも、現実社会で起きている人間くさいコンセプトのほうが正しい

人と人をマッチングさせるようなサービスやアプリを作っている人たちにとっては、街中で僕らが見知らぬ人と自然に知り合う機会が起こる場のメカニズムを分析することをお薦めする。お寿司屋さんやバーで、マスターや大将から自然と話を振ってもらってお互いの会話が始まるとき。一対一じゃなく、カウンターの向こうの共通の知り合いという三角形のコミュニケーションがあれば自然に話ができる

ユーザーの興味関心(インタレストグラフ)を収拾してビックデータ解析で・・・と考えている人たちは、日常の中にある不思議と自分の興味関心を話しているタイミングを研究してみたほうがいい。なぜ、美容院や床屋・ネイルサロンでは自分の興味関心や最近行った旅行などプライベートなことをいろいろ話せるのか?その一方で、自分の仕事のことや職場のこととかは話してなかったりして。

人間らしい生活を送っていたり、自分が現実社会で友達と遊んだり、飲みに行ったときに起こるコミュニケーションだったり、旅行に行ったときに経験することだったり、すべての遊びや生活が貴重なインプット情報になるわけです。こんなに素晴らしいことってないですよね!

だから僕は、頑張って人間らしい生活を送り、できるだけ遊ぶように必死に努力しているわけです。法人の経費に入れてもいいですよね・・・?え、ダメですか・・・。すいません。


2012/11/01

素を活かして、無理しない。でも想起される人でありたい。

錦鯉
自分を過剰に演出しない。自分に嘘をつかせない。自然に、素で振る舞っている人が、輝いて見えてくる。自然体で、でも自分に自信がある感じ。いいよねぇ。

twitterで以下のようにつぶやいたように、実際の人となりと、ネットなどのメディアを通して伝わってくるイメージとの差が大きい人がいる。


「一見凄そうでも実はたいしたことない人」は、「自分を過剰に演出している」人。「無理して自分の弱い部分を無理してよく見せようと虚勢をはっている」人を見る度に、ちょっと辛くなる。なんだか、かわいそうなんだよね。自己紹介を聞いているうちに、伝わってきて、できるだけ聞き流してしまう。(すいません!)


一方の「一見普通の人が実は凄い人」は、自分の優れている部分を外に伝えていないために、機会損失が起きている状態だと思う。もっとうまく伝えたらいいのに。。。もったいないなぁと感じて、手を貸したくなるし、この人を誰かに紹介しなくちゃ・・・と考えちゃう。

前者は、自分に嘘をついているから苦しくなってくるし、会った相手も虚像と実像とのギャップを感じてしまう。まるで粉飾決済でお化粧した財務諸表。それで株価を上げても心は楽しくない。後者はギャップはないものの、その分、得られたかもしれないチャンスを逃している。正直経営で技術もあり実直にやっているものの、ちゃんと広報活動ができていないために、新しい仕事が入ってこない状態。

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だからこそ、自分はできるだけ得意分野を素の状態で外に発信していきたいし、自分を無理してよく見せるようにはしたくない。(向いてないだけかもしれないけどw)

自分の得意分野以外のダメな部分もさらけ出しながら、その分得意なこともちゃんと記憶してもらえるようにしたい。前者がセルフブランディングだとしたら、後者は一見、「素のまま天然勝負」。でも、ちゃんと相手の記憶にしまわれる時には、適切なタグがついて保存される。

そんなことがちゃんとできているといいなぁ・・・。

関連エントリー:「自分のダメな部分を見せたほうが得な時代


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2012/10/23

未来に不安を感じる人ほど「教養」を学んだほうがいい。


自分の「視点」を鍛える、コミュニケーション能力を高めることは、実用的な自己投資だ。


同じ対象物を見ても、文脈の情報を持っている人と持っていない人では見えてくるものが違ってくる。それによって、戦いに勝つ者が現れたり、新しい商売を始める人がいた。話がうまい人が周囲を巻き込み多くの仲間を作ることができた。

だから、昔から人間は自分に投資するときに「教養」、リベラル・アーツを学んだ。「教養」は視点を鍛える・コミュニケーション能力を高めるための実用的な学問だったからではないだろうか。


同じ絵を鑑賞しても、見えてくる情報量が変わってくる。同じ音楽を聴いても、得られる情報量が変わってくる。同じ文学作品を読んでも、違う意味が読み取れる。「教養」によって得られる視点が「文脈」で、文脈を読み取れる能力がある人が、素晴らしい人格者と尊敬されてきた。

文脈を理解することで、自分の置かれている環境を正しく把握できる。全体の流れの中で自分がやること・やりたいことをどう訴求していけばいいのか、どう協力者を得ていけばいいかを掴むことができる。今で言えば、コミュニケーション能力と定義されるものが、「教養」を学ぶことで手に入れられる。



”今”必要とされているものを身につけたいのであれば、“今”稼げる技術や“今”重宝される技能を学ぶほうが手っ取り早い。しかし、昔から「教養」が尊重されてきたのは、時代が変わっても、流行が変わっても必要とされる普遍的な自己投資が必要だと考えていたからだろう。

だったら、特定の技能を鍛えたい明確な欲求を持っていない人で、未来に不安を感じている人こそつぶしのきく「教養」を学んだほうがいい


・・・・・・・・・・・・・
ちなみに、僕の場合は「天の邪鬼」であることを信条としているので、もしも「教養」が流行してきたら、みんなが見向きもしないものに鞍替えするだろうw

そのタイミングで「価値>注目度」となっているもったいないものを見つけて、「価値<注目度」となる前に身につけておきたいし・・・。

そうか!この「価値>注目度」を見つける視点を手に入れるために、結局相場観を得るために「教養」を身につけなくちゃいけないのかもなぁ。。。やっぱり「教養」は普遍的に必要かも。




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2012/10/11

職業は、自分で作っていいんだよ。

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気が付かないうちに囚われている「フレーム(文脈といってもいいかも?)」を明示して、その上で顧客の文脈にあわせた解決策を出すのが僕の職業。

例えば、技術ありきで新規事業を始めるケースでは、技術オリエンテッドのフレームに陥っている場合が多い。でも、利用してくれる顧客のフレーム(文脈)にあわせて提示しないと認めてもらえない。下手すると、ただの自慢話に付き合わされているようなものだ。


相手の文脈にあわせて、話し、提案する。この部分を会社名ともしている「空気読み」と呼んでいる。自分の文脈で考えていても、解決策は見出せない。


当たり前のことだけど、ずっと自分たちの「フレーム(文脈)」に浸っていると、そのフレームが見えなくなる。そのおかげで僕のような外部の「空気読み」のニーズが発生する。僕がやっていることは、デザインしないデザイナーなのかもしれない。「空気読み」は勝手に僕が作った新しい職業だ。

文脈を理解して企画をつくる人、文脈を理解して事業をつくる人、文脈を理解して伝え方をつくる人。

クライアントの持っている伝えられていない・活用されていない「もったいない」部分を感じて、「だったらこうすればいいのに!」ということをつくっていてる。


Hate something,Change something!
気に入らないものがあったら、変えちゃえばいいんだよ!

そう。職業だって、なければ勝手に作ればいい。


僕が「空気読み」という職業を作ったように、自分が得意なことで、世の中にあったほうがいいと思ったら、それを仕事にしてもいいはず。


無理矢理、誰かが作った既存の職業から選ばなくちゃいけないわけじゃないんだよ。





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2012/10/05

失敗談ほど美味しい経験はない。

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成功話をわざわざ人に話すのは自慢になってしまうが、失敗談であれば話しやすい。聞く側も、自慢げに話された成功談は、うがった捉え方をしてします。「本当にこの人の手柄なの・・・」と。

しかし、失敗談であればアイスブレイクにもなり、そこでその人が体験したこと、学んだことがすんなりと心に入ってきます。失敗談を話してもらえると、初対面の人でも、一気に信頼感が高まることまでありますよね。

自分がよく使う失敗談は、入社二年目で任された雑誌の関西版で「表紙の定価ミスが、印刷会社で深夜に発覚し、翌日昼までにピックアップに来るトラックに、正しい定価の雑誌を積み込まないと掲載している広告費などが損害賠償になるという恐怖体験」です。

まさしく修羅場であり、どうやってトラブルをシューティングするか機転も実行力も求められる話でありながら、雑誌の流通構造・本が書店に並ぶまでの仕組みを伝えられるお話です。(と、自分では思っています・・・)

会社のプリンターで大量に出力した正しい定価を明記したステッカーシールと、社員&臨時アルバイトをかき集めての人海戦術で事なきを得ました。あのとき、正しい定価が貼られた本を新大阪駅の書店で見つけたときの感動は一生忘れないでしょう。

情報を編集して、社会に届けることの責任や影響力も慣れてくると麻痺してしまいます。しかし、この事件を思い出すことで、初心に戻れます。

多くの方々に迷惑をかけることで、トラブルを沈静化できたことなので、もちろん反省も感謝もしています。しかしだからこそ、多くの人に迷惑をかけたせっかくの事件を失敗談としてネタにして、使わないともったいない。

話がうまい人は、一つや二つの失敗談をもっているものです。(僕はもっとあるけどw)

何かをはじめるときに失敗したらどうしようと躊躇する人もたくさんいるでしょう。会社で失敗したら自分のキャリアに傷がつくとか気にしている人もたくさんいるかもしれません。

でもね。時間がたつと失敗談って、美味しい経験談になるのです。誰かに話しても嫌みにならず、みんなが面白がって聞いてもらえて、さらに自分の印象を残すことができる。いいことだらけです。

何かに挑戦してみて、成功したら褒められるし。失敗したって数年後の自分に感謝してもらえるんだよね。



自由大学「脱藩学」第二期受講生募集中です!

2012/09/28

楽でも、派手でもなく「丁寧に暮らしたい」

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仕事が忙しくて、生活が荒れぎみのときほど、「丁寧に暮らしたい」という気持ちがわきあがってきてくる。ホッコリしたいんだけど、だらしないのは嫌なんだよね。

別に派手な生活をしたいわけではなく、ラクして暮らしたいわけでもなく、ちゃんと「丁寧に暮らしたい」。僕らの生活が、便利になんでも手に入るようになり、どんどん効率的になんでもできるようになってきた揺り戻しとして「丁寧に」「手間をかけて」暮らすことへの憧れが生まれてくる。

不思議なものです。

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大阪でWSWS(wisdom sharing work shop)という会で講演するために大阪に行き、翌朝京都にいる同期と2時間強おしゃべりして帰ってきた。

お茶一つとっても、観光客向けの顔と、日常生活に溶け込んでいる生活としての顔がある。僕個人は後者の顔を見たり、体験することに興味がある。住んでいる人にとっては「必要とされる・必要だと思われている」のは前者である観光客向けの顔。

観光客のほうもハレの姿をいくらみても日常生活が“ハレ”化しているから、希少価値を感じなくなっている。むしろ、ラクでも・派手でも・わかりやすいものでもない、「丁寧に暮らしている」“ケ”の姿のほうが興味深く感じると思う。

例えば、「丁寧に暮らす」ということを体験するために京都に旅に行って1日だけでも、その生活に浸ってみる。水をくんできて、植物に水を与えて、その後丁寧に朝食を作って食べる。そんなプログラム体験したい人は多いだろう。

丁寧に暮らしている人は、便利に暮らしている人を羨み。便利に暮らしている人は、丁寧に暮らしている人に憧れる。人間は、ないものねだりなんだから。

観光で本当に提供して欲しいのは、「普段ないもの」のほうなんだよね。そして「普段ないもの」が時代の移り変わりによって、「いつもあるもの」になってしまう。

そういうことに気がつけるように、常に第三者の眼を忘れずにもっていたいですね。

2012/09/19

新しいワークスタイルに憧れるのは「自分の気持ちに嘘をつく働き方を続けたくない」から


話題の書籍『ワークシフト』ではマクロ的に労働環境の変化が書かれています。

マクロの動きとリンクしているのか、たまたまなのかはわかりませんが、個々人は「自分の感情」に従って、今の居心地の悪さをなんとかしたいと動き出しているようです。


自由大学で行っている「脱藩学」「アメーバワークスタイル」の講義参加者と対面して感じるのは、彼らが「新しいワークスタイル」に惹かれる根っこにあるのは「これ以上、自分の気持ちに嘘をついて仕事を続けていいのだろうか?」という疑問です。


顧客にとって本当にいいことをやっているのだろうか?

自分の働き方は誰かを犠牲にしていて、それを見ないようにしているのではないだろうか?

自分はおかしいと思っていることも、「みんながやっているから、組織とはそういうもんだ」とのみ込んでしまっているのではないか?


こういったモヤモヤたちです。


新しいワークスタイルに求めるのは、「どこでも・いつでも・誰とでも仕事ができる」という浮ついた言葉よりも、もっと地に足がついたもの。誰かを騙したりせずに、正々堂々とゆっくりとまっすぐに生きたいという実現手段です。

彼ら・彼女たちは、もともと破天荒に自分の好きなこと・やりたいことを追求してやってきた人たちではありません。

今までの自分の枠からはみ出ること。今まで築いてきたものを手放すこと。組織にいる仲間とは異なる価値観を歩み始める必要があること。。。これらの悩みからどう動き出せばいいのかが見えないのです。でも、もうこれ以上嘘を続けることがつらい・・・。


社会的に認められてきた合理的な道を一生懸命に歩んできた人たちが、自分の気持ちに嘘をついていることに気が付いてしまった。だから動き出したくて悩んでいます。


新しいワークスタイルをただ煽るだけではなくて、この悩める層に「こっち側」の世界を体験させながら、ソフトランディングさせてあげる。

ある程度予測可能な生き方から、不安定だけど、何が跳ねるのかわからない生き方へ。メリットだけでなく、デメリットや苦労を伝える場が必要だと思っています。

顕在化したニーズや共通の悩みを見つけることが難しくなった社会で、はっきりとしたモヤモヤがここにはあります。


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2012/09/08

自由大学「脱藩学」第一期のまとめ。皆さんありがとうございました。


以前、このblogでも告知しました自由大学での「脱藩学」が無事第一期が終了しました。写真は、最終回終了後すっきりした顔で卒業した集合写真です。ちゃんと卒業証書授与もやりましたw

脱藩学で伝えたいなぁと思ったことは以下のことでした。

「脱藩する=自分の選択肢を作って生きる」こと。そのためには、自分が何を求めているのか?どんなことを大事にしていて、何が許せないのかに気が付くこと。自分の気持ちに嘘をつかない生き方を求めているのに、前に進めない人たちに動く最初の加速度を付けること。これが脱藩学でやりたかったことでした。



カリキュラムとしても、自分を掘り下げ発表し、自分が話を聴いてみたい先行脱藩者にアポを取り、その上で自分たちが発見したことをお互いシェアするという実習型。多くの人にアポイントを取り、実際の話を聞くことで、現実的にイメージができたと思います。


第1回:[認識]仲間と自分を見つける
第2回:[探索]自ら動いて調べるヒントを得る
第3回:[発見]師匠を見つける
第4回:[丁稚]私淑・丁稚する
第5回:[共有]学んだことを仲間と深める

自分が求めるものを追求していく生き方をするためには、自らチャンスを掴みに動くことが必要になります。学校や会社で求められてきた「見返りとかリターンを説明して動く」という考え方から、どうなるかわからないけれど、好奇心でどんどん動いていく習慣を身につけて欲しいと思い上記のようなカリキュラムを組みました。


学生・主婦・会社員・自営業と本当にさまざまな方が集まりました。それぞれ時間がない中で、チームごとに話を聞きたい人にインタビューに行くというアクションを通して学んだことは多かったと思います。


このカリキュラムを自由大学という場でできたのはすごく良かったです。

教えられる側が一方的に先生から話を聴いて教わるのではなく、自ら動きながら体得していくというスタンス。わざわざ駅から遠い場所に毎週集まるというハードル。

また第二期もやりますが、第一期で見えてきた「毎回タイムオーバー」という問題を見据えて、改善策を準備して始めたいと思っています。

■脱藩学卒業生のコメント(脱藩学ウォールのものを一部転載しました)

全5回の講義、本当にありがとうございました。想像してた以上に得られたものが多かったとしみじみ感じてます。最初脱藩したいと思ってたしがらみもいつのまにか抜けてることに気づきました。そして臆せずまずは行動しようという意気込みや積極性が出てきました。素晴らしい場を提供してくださった皆さんに本当に感謝です。


昨日で脱藩学の講義が終了。
今日は祭りの後の余韻というか、終わってしまった寂しさも少しあり。
とにかくこの講義はとても内容が濃かった!!今まで参加した勉強会や講義の中でもかなり印象に残るものだった。
そもそもこの講義に参加している時点で、生きることに前向きなメンバーだと思うので話していて気持ちがいいし、自分自身も大いに振り返ることが出来た。自分の真の気持ちにも気付いたし。。
受身でも押しつけでもなく、自らとても興味をもって参加できました。
昨日特に心に残ったキーワードとして
・直観、インスピレーション、グレーゾーン、人、本、書き留める、問い、、etc
番外編として、スタンプラリーw
そういえば、質問した直観・インスピレーションですが、よく考えたら脱藩学を見たとき、すぐに「これ、受けたい!!」って感じてたな。グループワークを始め、インタビューに協力して下さった皆様、また他のグループ発表やデータのアップデートもかなり参考になりました。今後ともいい関係が続きますように。
そして自分自身も磨きつつ、来月の同窓会が早くも楽しみです!


自分をよく観察し、分析するというすごい時間を頂き感謝しております。脱藩学はおわってしまいましたが、本番はこれからなのかなと思います。今回の学びをもとに自分を少しずつ改革できたらと思っています。みなさん今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

実は、僕の頭はまだモヤモヤしていて、あんまり終わった気がしてないんですね。ただ、そのモヤモヤの中身は、受講前から比べるとどんどんカタチが変わってきました。悶々と自分が出来ないことを嘆いていたところから、自分がやりたいことを、まず小さく始められそうなことをやるにはどうしたらよいかという発想に、ですね。という意味でも脱藩の勉強会など、Try and Errorで進んで行ければと思ってます。

普段、人前で伝える・発表する機会がなかなかないので本当に有難い経験でした。脱藩学のメンバーからもお誉めの言葉を頂きとても嬉しかったですし、少し自信にもなりました。振り返ると面白い気付きが幾つかありまして、例えば、自身の価値観を探るワークで、就活の自己分析の際には出てこなかったポイントがすらすら出てきたことに驚きました。また、チームで物事をやり遂げることは本当に達成感があります。脱藩学に参加してから、姿勢や考え方が変わっていく自分に気付きました。今後も脱藩学で学んだ姿勢や考え方をもとに、積極的に人・本・場所を求め、行動したいと思います。今後もフリユニや同窓会でお会いできること楽しみにしております。
皆さん 本日はお疲れ様でした。この一月、皆さんと一緒に脱藩者へのインタビューを行い、ディスカッションを行うことで、気付けた事が沢山有りました。そして、同時に自身の課題がかなり浮き彫りになりました。皆さんと過ごした一月は僕の血肉となりました。本当に有難う御座いました。自分に、時間・お金を投資して本当に良かったと思っております。と、形式ばった文言でさよならしてしまうのは絶対嫌なので、ぜひ勉強会を実施させたいと思います。


ー今回の脱藩学で学んだ結果見えてきた、自分の方向性ー ワクワクする事を仲間と考えることが好き自分だけの力では小さな特技でも、仲間とのコラボで成り立つこともある。ただ、経済性は無視できないので、副業というカタチで小商いコラボを始めたい。 今年に入ってから、技師の仕事しかない自分の先が見えなくて、変えたくてもがいた中で得た仲間たちに、各々の得意分野で助けてもらいながら、顔の見える小商いで小さな循環システムを築けたらと思うようになった。  現代版、組内といったところか?
皆様、短い期間でしたが、濃い時間をありがとうございました!毎回時間が足りなくなるほど充実していて、個性豊かな方たちと一緒に新しい発見がたくさんでき、本当に楽しかったです。これからも宜しくお願いします!

個人的に、一番嬉しかったのは、脱藩学卒業生が「今後もお互いの進捗&学びを共有する脱藩学同窓会」を提案して、さっそく企画してくれたことです。学び続けるためのコミュニティがこうしてできあがっていくのは、本当に嬉しいですね。もちろん、僕も関わっていきます!。


最期に、キュレーターとして一緒に脱藩学を作ってくれた古屋さん、ゲスト講師として登場いただいた板羽さん。自由大学の皆さん。そして、受講生の突然のインタビューアポイントにご協力いただいた皆さん。本当にありがとうございました!

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2012/08/28

安定し持っている物が多い人ほど閉塞感を感じ、不安定でも時間と自活能力がある人は輝いている

みどり荘 目黒区青葉台の高級住宅地にありながら、豪邸よりも不思議と輝いている

■「自分の人生」と「他人の人生」

「自分の人生」を生きてる人は、「決定権」を自分で握っています。どんな仕事を誰とするのか?どこに住むのか?どう時間を使うのか?の決定権を持っています。

一方で、「他人の人生」を生きるとは、判断基準を「社会のものさし」にし、言い訳をしながら、決定権を使わずに受動的に選択を行っている生き方です。

「他人の人生を生きる」人にとって、一番の言い訳は「不安定な状態・どうなるかわからないものを選べない」ということでしょう。

しかし、「自分の人生」を生きている人たちにとっても条件は同じです。視点が違うだけです。「一年後、どうなっているかわからない」という不安と「一年後、新しい計画を立てられる」という可能性は表裏一体です。

■「自分の人生」を生きたければ、チャンスを失わない状態に

目の前にあるチャンスを掴みたいのに、自分の今持っている権利や待遇を手放すのが嫌で、見逃してしまう人がいます。これは、やっぱりもったいない。

だから、チャンスを掴むために、僕がオススメしているのは「普段から自分の損益分岐点を低くしておくこと」


固定費を低くして、収入に合わせて自分の生活をコントロールできる自信があったら、みすみすチャンスを見逃す必要はなくなる。

(別に貧乏に生きろというメッセージしているわけではなく、チャンスを掴めるだけの準備をしとけという意味です。数年間やっていけるキャッシュがあることもチャレンジには有効です)

会社からの給与を前提とした生活設計と、それに基づいて楽観的に組んだ住宅ローンは自分を縛り付ける「高い損益分岐点」をつくってしまう。フットワークが重くなるような選択をしないことが、機会損失をしない状態作りでは大事です。


====================================
上で書いたような考えに惹かれるのはどうやら僕だけではないようだ。

自分の人生を生きるために、消費依存社会のあり方に疑問を抱き、自分で創ることで愉快に生きていくことを実践している人たちがいる。

アバンギャルドな取り組みが書かれている下記二冊の販売が好調なのを見ていると、現在の消費依存社会への「閉塞感」を感じている人が多いようだ。

独立国家のつくりかた/坂口恭平(著)


ナリワイをつくる/伊藤洋志(著)



二人に共通しているのは、「マイホーム」という世間で言う大きな買い物の意義を疑っていること。現代社会をサバイブするためには必ずしもお金が必要ではないと考えていること。

共通するメッセージは以下のようなものだ。
「買わなくても、創れる」を実践している人たち、手に職を持った仲間のネットワークを持っている人たちは強い。 

なぜなら、買わないと必要な物が手に入らない人、自活技能を持った仲間がまわりにいない人は、市場で必要な物・スキルを手に入れなければならなくなる。その分だけ、生きるためにお金が必要になるから。

安定し持っている物が多い人ほど閉塞感を感じ、不安定でも時間と自活能力がある人は輝いている。この現象をどう考えたらいいのだろうか?

昔への憬れ? 高度経済社会への反動? それとも進化だろうか?


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2012/08/19

「都市と消費とディズニーの夢」グローバル化する世界、ショッピングモール化する社会




速水健朗さんの『都市と消費とディズニーの夢をお盆休みの飛行機の中で読みました。そのせいもあって、ショッピングモール化・テーマパーク化する空港の現実を目の当たりに感じながら、今後の都市の在り方、Web上で起きていることとの類似性についてぐるぐると考えることができました。

無視できない存在なのに軽んじられている「ショッピングモール」の歴史・現状・競争原理などが書かれている本です。新書のため文章量も多くはないのですが、都市好きやコミュニケーション・消費などに関しての仕事をしている人には、多くのアイデアを与えてくれる本だと思います。


以下、僕が考えさせられた部分のメモを箇条書きに列挙しておきます。

1:目的型から滞留型へ。Webとの類似性

検索エンジン主導線から、滞留型サイトからの導線が主流に変わってきたwebとの類似性がショッピングモールでもとっくにたどった道だった。人間中心に考えた場合、顕在化したものから潜在的なものを発見する喜びに移行してくるのは自然な流れなのだろう。

・1970年の時点で、フランスの批評家のジャン・ボードリヤールはショッピングモールを「未来都市の規模にまで拡大されたドラッグストア」と評しています 
・彼は、百貨店とショッピングモールの違いをこう説明します。百貨店はあくまで「現代的消費財」を売る場所であり、目的を持って歩き回ることができる空間であるが、モールは「多様な消費活動の綜合を実現する」空間であるといいます 
・「綜合」される「多様な消費活動」とは、日々の食料品から生活の知恵から、映画から家族での食事まで、商品に限らない「多様」な消費財が「万華鏡式」に「混合されている」状態を指しています 
・つまり、人々がショッピングモールで消費する物とは、余暇や機会といったものになっているということです 
・1970年代以降のショッピングモールとは、金銭消費型から滞在・滞留型へと進化します。つまりは、消費をするために集まった人びとにお金を使わせることが、本来のモールの消費の在り方でしたが、70~80年代のモールは、足を運んだ人に消費の機会を突きつけるというものに変化したのです

2:ショッピングモール族という世界共通のトライブ

国や宗教よりも属性の違いのほうが、見ている世界を規定しています。ショッピングモールを訪れる人たちと、バックパッカーの見ている世界は異なる。地元のクリエイティブピープルが出入りする場所と、観光客向けのたまり場も異なっています。(フォロワーや知人によって、接触する情報が異なるSNSとの類似性)


・批評家の東浩紀は、リゾート地のショッピングモールで見かけるクロックスの合成樹脂の靴を履いた子どもを連れた人びとの存在に触れています。 
・彼らクロックスピープルは、人種も文化も使用言語も宗教もばらばらです。彼らは富裕層ではありません。東は「異国のリゾート地で過ごすていどの経済力を備えたグルーバルな上層中流階級」と彼らを名付け、「ショッピングという共通言語」が彼らを深く結びつけているのだと指摘します。言い換えると「ショッピングが支えるグローバルな階級意識」ということになります。


3:プラットフォームとしてのモール、コンテンツとしてのテナント、コンセプトとしてのテーマパーク

都心の経済価値の高い土地を有効活用しようとすると、その要請に応えられるのは「ショッピングモール」となる。共通のプラットフォームの中に、コンテンツとしての店子が入り、店子を入れるコンセプトであるテーマによって差別化されていく。

ショッピングモールの話をしているのか、オンライン上のメディアの話をしているのか、わからなくなります。人を集め賑わいの場所をつくることにはオンライン・オフライン関係なく共通点があります。

ちなみに、この本にはメディア企業であるテレビ局がモール化している現状も書かれてあります。核テナントをフジテレビとした「お台場」、テレビ朝日と「六本木ヒルズ」、日本テレビと「汐留」、TBSと「赤坂サカス」・・・。


4:ショッピングモールと都市の生態系

中に入る人を制限して安全を担保するゲイテッドシティ、自動車を地下して安全に歩ける街、職住隣接させて利便性を極めた場合に生まれてくるショッピングモール都市。ウォルト・ディズニーが最期に構想していた夢の国だそうです。


・彼(ウォルト・ディズニー)の構想していた都市には、EPCOTというプロジェクトコードがついていました。これは“実験未来都市”(Experimental Prototype Community of Tomorrow)の略です 
・EPCOTは、中心から等距離の同心円状に拡がり、商業地区と居住地区が分離(さらに居住地区は、高密度と低密度に分かれている)され、それぞれの層をモノレールが結んでいました。人々が乗る自動車やゴミ収集車など、都市の維持に欠かせないクルマは都市の表面から閉め出され、地下に走らせた道路を通ることになっています。化石燃料を消費し、二酸化炭素を吐くクルマは、この都市ではバックヤードに追いやられているのです。そうすることで、交通事故は激減し、人々は都市の表面で安心して暮らすことができるというアイデアが込められています

都市の課題を解決するために生まれたものがショッピングモールであり、さらに経済効率的にも支持されたからこそ、ここまで広がったプラットフォームであるわけです。

実際、新興都市にはショッピングモール都市といえるような場所が多々あります。しかし、今あるショッピングモール都市には必ず別の生態系も共存しているからこそ、うまく成り立っているように感じます。

ショッピングモールを活用する層と、それとは別の生態系であるクリエイティブ層、そして中間所得層に憧れる層があってはじめて今の都市の生態系が成り立っています。

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ちょっと前に、以下のようなtweetをしたのですが、まさにこの分野が、自分が深掘りして考えておきたい分野です。


もっと世界で起きていることを見たいし、都市の住人に起きていることを見たい。そこには、これからを生きるヒントがたくさん隠れているから。





都市と消費とディズニーの夢
ショッピングモーーライゼーションの時代/速水健朗

目次
まえがき

第一章 競争原理と都市
コインパーキングによって変わった街の風景
都市のすき間を埋めるビジネス
公共施設にスターバックスができる理由
病院にカフェが増えるメリットとは
サービスエリアの民営化による変化
競争原理のもうひとつの側面
東京駅、羽田国際ターミナル、東京スカイツリー
ステーションシティ化とは何か?
空港民営化時代の競争戦略とテーマパーク化
東京スカイツリーとショッピングモール
グランドゼロの教訓と都市の創造者
最適化する都市=ショッピングモーライゼーション
六本木ヒルズはショッピングモールか?
商店街の衰退について回るウソについて
社会学から見たショッピングモール批判
まちづくりとコミュニティデザインブームへの違和感

第二章 ショッピングモールの思想
ディズニーの最後の夢とショッピングモール
ウォルトの最初の“夢の王国”
都市の夢と20世紀初頭の偉人たち
鉄道マニアの果てに
東西冷戦とノスタルジー
保守主義者・愛国主義者のウォルト
“夢の国”の誕生
テーマパークとは何か?
テーマパークと物語の導入
アメリカにとっての建国物語である西部開拓史
「トイ・ストーリー」に示された二つのフロンティア
ディズニーランドの視覚効果
ディズニーランドの次の夢
ウォルトの死によって完成しなかった都市
犯罪ゼロの理想的都市EPCOT
1950年代の大都市の荒廃
ショッピングモールの父、ビクター・グルーエン
ショッピングモールと田園都市

第三章 ショッピングモールの歴史
街と消費のかかわり、パサージュから百貨店へ
スーパーマーケットの登場
黎明期のショッピングモール
現代のショッピングモールの原型の誕生
モータリゼーションからスーパーハイウェイへ
ルート66の廃線とアメリカ人のノスタルジー
「カーズ」で描かれるアメリカ道路行政の転換点
アメリカ的生活とショッピングモール
「シザーハンズ」とニュータウンの共同性
「シザーハンズ」と郊外生活者のディストピア
公共性を帯びていく60年代のモール
モールに対する反発と批判の1960年代
映画「ゾンビ」のショッピングモールの様式
人はゾンビになっても消費から逃れられない
ゲイテッドスペースとしてのモール
モールの手法を用いた都心の再開発が始まった1970年代
観光地と結びつくモール
複合プロジェクト型再開発時代の始まり
映画「ターミネーター2」とダウンタウンモール
サンディエゴの都市再開発とジャーディ
アメリカダウンタウンのモーライゼーション
ボードリヤールのモールへの予言

第四章 都心・観光・ショッピングモーライゼーション
東京近郊高級住宅街の現在
緑と明るい空間に太陽光が差すモール
戦後のニュータウンと戦前の郊外住宅
鉄道会社主体の都市計画
多摩田園都市というニュータウンの誕生
中流階級台頭とモールの普及
モールとデパートの違い

【自動車時代のショッピングモール ららぽーとTOKYO-BAY】
日本版本格的郊外型ショッピングモールの登場
船橋ヘルスセンターと東京ディズニーランドの共通点
モール=ハードウェア、テナント=コンテンツ
ショッピングモールにとっての優良コンテンツ

【観光地とショッピングモール】
アミューズメントパークとモール
ラスベガスのショッピングモーライゼーション
ジャーディとラスベガス
モール、テーマパーク“シティ”への環境変化

【1990年代の日本のショッピングモール状況】
1990年代以降の日本のモール急増
日本版ダウンタウンモール
代官山モーライゼーション
都市とコンテンツ、モール化するテレビ局

【グローバル化とモールの関係】
訪日観光客で変わる街
観光客はショッピングモールを目指す
世界のモール化する観光地
クアラルンプールのショッピングモール
観光都市という視点
ショッピングモーライゼーションがもたらすもの

あとがき

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2012/08/06

23年前に黒川紀章さんが書いた「ノマドの予言書」を今こそ読むべき

故・黒川紀章

都市を計画したり、多くの人が使う建物を設計する建築家にはビジョナリーであることが求められる。

2007年に亡くなった建築家の黒川紀章さんは、間違いなくビジョナリーの一人だった。多くの人にとっては、都知事選出馬やバラエティ番組によって「変わった人」という印象だけが強くなってしまっているのが、大変残念である。

その中で、1989年に出版された「ノマドの時代 情報化社会のライフスタイル」は、まさしく先見の明があったことを証明する書籍でしょう。

ノマドという言葉が新しかったため、書名にも「新遊牧騎馬民族」とルビがふってある。この本で書かれているのは、ノマドというムーブメントを予測だけでなく、21世紀への3つのキーワードは「騎馬民族(ノマド)」「江戸」「情報化社会」と明言している。

以下の目次を眺めていただければ想像できるように、リチャード・フロリダなどが提唱している「クリエイティブ都市」としてのあり方について書かれている。


<
目次>
序章 新騎馬民族とは
1章   騎馬民族のライフスタイル
2章   情報都市−江戸
3章   江戸を見る目
4章   江戸は“旅”の時代だった−巡礼の道
5章   江戸のホモ・モーベンスと講−伊勢参り
6章  「過密」こそ情報を生む−江戸の情報網
7章   西欧の「広場」と東洋の「道」
8章   環の思想
9章   ネットワークの時代
10章  江戸の時間コミュニティ
11章  情報のダブル・コード−受けつつ送る
12章 「高密都市」の情報マッサージ
13章  演劇空間都市
終章  情報化社会と情報都市


本文からちょっとピックアップするだけで、我々がネットで議論していることがこの古いテキストにそのまま現れてくる。


人材と情報が集中するオアシスでこそ強い都市になる
集積回路としての都市の舞台だから、移動空間を情報空間にする
アドホックなグループコミュニティが成立する、ノマドの時代の人間関係
高密都市だから持てる、フェイス・トゥ・フェイスの口コミュニケーション
ものから関係への情報化社会
均質なイコン社会から、多様な個の関係の社会に変わる
ダブルバインドが情報化社会を生きる「新騎馬民族」のキーワード
情報化社会はシンボリズムの時代
農耕・工業化社会の掟から人類の解放をめざす「新遊牧騎馬民族」
ハイブリッドで多種多様体な異質文化が共生するノマドの時代
・・・


すでに絶版になっている書籍なので、中古で入手するしかないのが非常に残念だが、間違いなく「今こそ」読むべき本。夏休みにじっくり読んで、個人と都市、今後の社会予測などにじっくり向き合うのに最適なテキストだと思う。




関連記事:「ノマド論に対して、会社員とフリーが対立することの不毛さ。


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