グローバル サイトタグ(gtag.js)

2013/11/21

口を動かし不満を言っている人と、手を動かし身の周りを面白くする人



11月12月は仕事で、国内6地域を回る予定です。山形、三島、沼津、八戸、ときがわ、佐久。その後もまだ続くかも?

まだ山形出張が終わったばかりなのですが、いろいろと勉強になることばかりでした。共通するのは、自分たちの環境(自然の環境、持っている技能、周囲にいる人のネットワーク・・・)を受け入れ“工夫”して、楽しんでいるということです。

真下慶治記念美術館

例えば、上の写真の真下慶治記念美術館。最上川を描き続けた画家の記念館だけあって、曲がりながら山形県内を流れる最上川を借景として建てられた素晴らしい建物でした。安い資材なども使った木造の建物ですが、これこそ予算だけでは買えないものの典型かもしれません。

住んでいる人には、自分たちが住んでいる地域の素晴らしさを再認識させてくれる場所となり、外から来た人たちには、この地域の豊かさや根底に流れる文化を感じさせてくれる美術館です。

OUTDOOR SHOP DECEMBER




もう一つ特徴的だったのが、山形市内にあるアウトドアショップ。規模は小さくても、自分たちが川遊び、山遊びをする中で既製品では物足りないもの、あったらいいと思ったものを創って販売しているお店です。

小さなお店には、自分たちで建てた山小屋風の溜まり場も併設。きっとお客さんというよりも同じ仲間としていろいろと語り合ったり、次の遊びを企んでいるんでしょうね。道具からアパレルまで、お二人のセンスが好きでいろいろと買ってしまいました。

他にも素敵な場所はたくさんあったのですが、長くなるのでこの辺で。

口ではなく、手を動かして身の周りを変える

旅をすると本当に凄いなぁ、かっこいいなぁ、素敵だなぁ、と思える人と出会える確立が高くなる。

僕が旅に出る目的が、世の中の基準とは関係なく、自分たちが面白いと思うもの、自分たちの環境だからこそ楽しめることをやっている人たちに会いにいくことだからかもしれない。

そしてもう一つ大きな共通点は、地方で自分たちの環境を楽しんでいる人たちは広義の「ものづくり」を行っているということ。何かを産み出している人は、自分の環境を自分たちでより面白くすることができる。

都会に住んでいる人は、口を動かして不満とか言っている暇に、地方にいる人は、手を動かして身の周りを面白くしている。

この対比を感じながら、都会にも「クラフトマンシップ」を持ち込むことで、まだ可能性はあるはずだと信じている。


関連エントリー:ネットも人生も、つまらなくさせるかは「自分次第」


RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/11/13

“現在”のスティーブ・ジョブズにインタビューして書かれた本!!

今朝の会議で教えてもらったのですが、“現在”のスティーブ・ジョブズをインタビューして書いた本が発売されたとのこと。


え、“現在”?

なんと、大川隆法さんが霊界にいるスティーブ・ジョブズにインタビューしてつくった本とのこと。。。


いろいろとあるスティーブ・ジョブズ本は、すべて生前の話を「著者の視点」でそれぞれ切り取ったものです。普通の人の話は、編集されたもののほうがわかりやすく、編集に価値があるのですが、ビジョナリーな人の場合は例外です。

読み手が期待しているのはスティーブ・ジョブズ自身から発せられる言葉なんですよね。友人のブロガーである元アップルのカジケンも紹介しているように、誰かが編集したストーリーを読んだり見たりするよりも、本人の「生のインタビュー」が一番示唆に富むものだったりします。

そういう意味では、世にあまたあるジョブズ本の中で、一番"Think different"を体現している本なのかもしれない。人とは違うことを考えて、実行するってこういうことかも。

ある意味、コンセプトとして一番イノベーティブな本なのかも。。。いろいろと考えさせられるトピックスでした。(ちなみに、僕は現時点でまだこの本を読んでいませんので、レビューはできません。あしからず)


RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/11/07

日常に、「お茶呑み話」を取り戻せ!

友人が京都から「お茶呑み話」をしに来てくれた。「時間あるので、話でもしよう!」ではなく、文字通り「お茶呑み話」をするために、自分の茶器とお湯、茶葉を持ってやってきた。




せっかくなので、浜離宮に入ってお茶をいただき、閉館時間で追い出されるまで、「お茶呑み話」を楽しんだ。

---
そうか。。。「お茶呑み話」は、昔当たり前にあったもので、失ったものの一つかもしれない。

「お茶呑み話」には、
・お茶を楽しみ、とりとめもなく話ができる時間の余裕
・相手を思ってお茶を淹れるという関係性
・テーマが決まっていないなかで、どんな話やどんな空気感がうまれていくのか未知数という偶発性
というコミュニケーションに必要な素養が詰まっている。

実家にいる頃は、近所のお客さんがやってきて「お茶呑み話」を延々やっているのが、日常だった。そういえば、お茶は一杯だけ呑んで出かけようとすると、そんなに急いていると、交通事故に遭うから最低でも二杯は呑むようにと言われた記憶もある。お茶呑みにとって、急いているは無粋なのだ。

「お茶を淹れる/淹れてもらう」という行為自体が、普段の忙しく時間を気にして、効率的なミーティングを心がけている自分から結界を張ってくれる。


ちょっとでも、「お茶呑み話をする」というシーンが象徴するような、心の余裕、自然と人と向き合う時間を、自分の生活に取り入れていかなくちゃね。



関連情報→京都からやってきた友人がやっているfacebookページ「緑茶男子(Green Tea Boys)」


RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/10/31

今の社会は「余裕」が足りない。だから余裕を持つための3つの秘訣。


複数の案件が走っていると、精神的にあれもこれもと気が忙しなくなってきます。物理的にはそこまででもないのに、頭の中がクリアにならず、いつもごちゃごちゃしてしまう感覚。。。

この落ち着かない、整理されていない自分がすごく嫌なんですよね。余裕がなくなってくると、周囲にもカリカリしてしまうし、本来は考えられていた「もっと楽しい手」をスルーしてしまうようになるからです。

心に「余裕」があれば、人にも優しく、楽しく過ごせるのに。。。丁寧に暮らしたい、という罪悪感がわきあがってくるのも、「余裕」が足りないことが背景にあるからでしょう。


「余裕」がないために起こっている社会問題は、ブラック企業問題、食品偽装問題など、いたるところにあります。結局、時間や経済的な理由などで、余裕がなくなったがために、誰かを欺くもしくは誰かにしわ寄せが行くような行為が形を変えて繰り返されてきているだけなのかもしれません。

「余裕」をつくるにはどうすればいいのか?

精神的な余裕をもって、冷静に判断できる状態にしておくために、有効なのは以下の3つのことだと個人的に思っています。

1:身の周りの整理整頓。管理できる以上の物は持たない

落ち着いてじっくりものごとを考えるためには、机の上もきれいに片付いていないと集中できない。自分の身の周りが、コントロールされた状態にないと、頭の中もごちゃごちゃになっているような気分になってしまうから。

机の上や身の周りの整理整頓をするときに、一番の解決策は「モノを捨てる」こと。これは頭の中も同じ。いろいろごちゃごちゃと気になっている細々としたことは、一度紙に書き出してみると、案外ゴミのようなたいしたことないものが多いことに気がつきます。

2:スケジュールも「先回り」して「仕掛ける」側に回る

スケジュールを他人の言われるがままに後追いでやっていたら負けです。自分の場合なら、先回りして仕事の進め方をコントロールしてしまいます。

誰かにやらされているのではなく、自分で仕掛けている感覚です。僕のように独立していて自分で時間のコントロールができない状況でも可能です。

まずは、先回りできるように、自分の身の周りを片づけて、集中して仕事の段取りを考える時間をもってください。そうすると、心にもスケジュールにも余裕が出てくるはずです。何事もそうですが、起こったことへの反応や対応を辞めて、自らが先回りして仕掛ける側に回ることです。

3:リスク対応をした上で、楽観的になる

「余裕」なんて、心配ばかりしていたらなくなります。だからといって、起こる可能性のあるリスクに何も対応していなければ心配はなくなりません。

リスクケースが起きた場合の対応策を準備した上で、気分すっきり「余裕」を楽しむのです。楽観的になるためには、楽観できるだけの準備があった上で、何かあっても柔軟に対応できる心づもりがあればいいのだと思います。

■
こんなこと長々と書いていたのは、自分自身が仕事に加えて、育児が入り、「心の余裕」が足りなくなりかけていたから。。。

こうやって書いてみると、「心の余裕を持つ」ために効くことは、自分の人生のハンドルを握って主体的に生きるために効くことと同じなんだなぁ。


RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/10/24

「走りながら考える」について、書きながら考えてみた。


「走りながら考える」。この言葉からいろいろ解釈できるけれど、僕の解釈はこうだ。

走ってみないと見えてこない情報こそ、自分の進む道を考えるのに値する情報だ。だからこそ、机上で考え続けるのではなく、まず動き始める、人にヒアリングを始める、自分がやろうとしていることを表明してみる、やり始めてみる・・・。


■
ネットで何でも検索できるようになってきている時代に、すでに解答の出ていることを知っている人の価値は相対的に低くなってしまった。一方で、価値が増してきているのは「現在進行系で課題に取り組んでいる人の知恵」だ。

そして、現在進行系の課題に取り組んでいる人の知恵には、まだ普遍的な解答になっていない部分=その人ならではの属人的な理由や要因が混じっている。

この属人的な部分がすごく大事な部分だ。普遍的な「誰でも活用できる解答」が求められ溢れている中で、その人だからこそ選んだ方法・使えた手法に問題解決のヒントがある。さらに、そこにはストーリーがある。問いと解答というQ&Aでは表せない、その解決に至った物語がある。


個人の生き方・暮らし方・働き方を考える人にとって、走りながら考え、属人的な話を聞き、自分が持つ属人的機会を発見して、チャレンジしてみることが有効だ。とにかく、まずは動かないと情報も入ってこない。

実は、属人的なことが嫌われる企業の中でも、新規事業を起こすときにも、まったく同じことが言えるのだけれども。

と、今日も書くことないなぁと思いつつも、書きながら考えて見たらこんなエントリーができました。書き始めて良かったぁ。

関連エントリー:「実践家が尊敬される社会へ」

RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/10/17

横のつながりブームから、縦のつながりも大切にする空気へ



「今足りないもの」に僕らは希少性を見いだし、憧れる。

未来に「今足りないもの」を埋める可能性を見いだす人がいれば、「今足りないもの」を昔に見いだし、懐かしむ人もいる。

先日読んだエントリーで以下のものがあった。
「新セレブな生き方は田舎暮らし|世界級ライフスタイルのつくり方」


新しいタイプのセレブは、田舎に住み(または平日ロンドン、週末田舎暮らし)、古いファームハウスを手入れして親からのお下がりやフリーマーケットで手に入れたインテリア、車はポンコツのランドローバー、子沢山(最低3人)で自家菜園でオーガニック野菜を育て、趣味はホームベイキング、ファッションはオーガニックコットンにHunterの長靴・・・ 
と続き、新型セレブの例としてジェイミー・オリバー(*1)とサヴァンナ・ミラー(*2)をあげ、今の若い世代(アッパーミドルクラス)が憧れるこのライフスタイルを”Nouveau Peasant”(フランス語で「新しい農民」)と呼んでいました。

ロンドンの話だが、日本でもすでにこのセレブ像(というとなんか違うなぁ。憧れのライフスタイル像かな?)の変化は共通して起きている。

簡単には手に入らない、手間がかかって、関係性が大切なものこそ、“贅沢”で”羨ましい”。昔は、当たり前だったから感じなかった。どんどん楽なほう、省力化して効率的なほうに流れていったら、足りなくなったもの。それが自分で手間を掛ける生活なんだと思う。

----------

この田舎と都会の両方を楽しむというライフスタイル欲求が表しているのは、「縦のつながりの豊かさ」だろう。

ここ数年、「コミュニティ」というワードと一緒になって「横のつながり」が意識されてきた。同じ目的を持った仲間や自分が住む地域住民とのつながり・・・というふうに。

しかし、都会で横のつながり(コミュニティ)が形成できはじめると、田舎にはあった縦のつながり(世代をまたいで受け継いでいくもの)が足りないということに気づきだした。

都会では、縦のつながりを意識することが少ない。親子孫という世代の繋がりということも感じづらくなっているが、仕事や事業スタンスでも、縦のつながりは軽視されている。短期間に自分が蒔いた種を自分で刈り取ることに、何の疑問も持たないだろう。

しかし、田舎には、自分の代以降のためにやる「仕事」という考え方がある。よく言われる「暮らし」と「稼ぎ」と「仕事」の3分類だ。平日の糧を得るための仕事が「稼ぎ」で、地域社会のために提供するのが「仕事」。残りの生活が「暮らし」という分類だ。

この分類で言えば、「縦のつながり」は「仕事」(地域社会のために提供するもの)となる。

田畑があるのも、先代以前のこの地域の先祖が開拓してきたから。地域という単位で一緒に治水を行い、それが社会資本として残っている。行政に丸投げ意識がある都会では忘れてしまっている、顔の見える公共インフラの話がたくさんある。

一方で「稼ぎ」にも「縦のつながり」で産み出されるものもある。


森に行って、木の間伐の話を聞いたときもこれを思った。枝を剪定して、できるだけ節ができないように育てていく。でも、その木を売ってお金に換えるのは自分ではなく、次の世代。自分だって、先代が手入れしたものの恩恵を受けている、と。

憧れのライフスタイルに「田舎での暮らし、手間のかかる生活」が出てくるのは、上の世代から受け取ってきたものは利用しときながら、次の世代へ何かを残していない自分たちへのいらだちからかもしれない。

次の世代に文化を継承する、何らかの知恵を残したい、永く使える価値のあるものをちゃんと伝えていきたい。これが今のトレンドのインサイトなんじゃないのかなぁ。



■蛇足
と、「縦のつながり」について考え始めたのは下記の本を読んだから。遠野で活動しているランドスケープ・デザイナーの田瀬さんの実践記は、心に響いた。月並みな表現だけど、「本当の豊かさってなんだろう?」





RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/10/10

絶妙な「間合い」が、世界を救う?!


解決策をいろいろと考えていると、最終的には絶妙の「間合い」に行き着くことが多い。バランスや距離感と言ってもいいのかもしれないが、ニュアンスが何か違う。


間合い ま あい(大辞林より) 
①物と物とのへだたり。「適当に—を詰める」②動作をするのに適当な時機。ころあい。また、あいま。ひま。「—をはかる」

距離感とタイミングの両方を「良い具合」にすることを「間合い」という一言で表現できるなんて、なんて便利な言葉なのだろうか。

■
もとい、なぜ「間合い」に行きつくことが多いのか?

いろいろな課題をお手伝いするような働き方をしていると、すごく感じることがこの「間合い」。なぜなら、現場に近ければ近いほど「現実」に引っ張られる。一方で、解決策を議論している人たちは「理想論」になりやすい。

でも、だいたいの解決策は、「現実」と「理想」のグラデェーションの間にある。一気に理想にチェンジすると危ないが、絶妙の「間合い」を取りながら、順番に地道に詰めていくしかない。

働き方議論もそうかもしれない。理想の働き方があるのであれば、絶妙の「間合い」で現実と折り合いを付けながら、一つ一つシフトしていくしかない。問題はいろいろと絡み合っているのだから。

昨日も出張で山形県にロケハンに行ったときに、自然と共生して暮らしている人々と話しながら、理想としての「良いとこ取り」を妄想していた。地方での豊かな暮らしと仕事の両立だって、絶妙のバランスと絶好のタイミングという「間合い」で実現することができるかもしれない。。。

■
理想と現実の狭間にあるときに、この「間合い」に知恵を捻ることが解決策の糸口になる。

どっぷりつかりすぎると、外からどう見えるのかがわからなくなる。だからといって、対象物から離れすぎていると、起こっていることを掴むことができない。

だから「間合い」が大事なんだよな。

世界の多くの問題だって、いろいろこんがらかって、繋がって、複雑になってしまっている。だからこそ理想論だけじゃなく「間合い」を提示して解決に進めて行ける人に価値がある。



告知:自由大学「脱藩学」第4期募集開始しました!
〜未来の自分を見つけるインタビュー〜
自分の人生のハンドルを握ることについて、参加者で議論し、模索しましょう。



RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/10/03

SNS断食はしても、ブログ断食はしないほうがいい。



とにかく一週間に一度は、ブログ書くんだ。。。そんな気持ちで、週に一度は何かエントリーをつらつら書くことにしている。

こうやって、まずは書き始めてみること。そうすると、今、自分が考えていること、気になっていること、こだわっていること、心にひっかかっていることが見えてくる。

忙しい毎日をおくっているからこそ、今の自分を俯瞰して眺めることができるブログを書く時間が、ありがたい。

最近では、SNS断食やネット断食という言葉ができるほど、SNSに時間を消費し、常にチェックしていない気が済まない人が増えている。でも、ブログは逆だ。今の自分の中にあるものに気がつくための作業だ。

人生を楽しむためには、人生のハンドルを自分が握ることだと思う。そういう意味ではSNS中毒は他人の反応によって自分を測っているから、断食してまでも抜け出す必要がある。一方で僕のようなスタイルのブログを書くことは、自分とじっくりと向き合ってみることなので、自分の人生のハンドルを握るのに必要なことなのかもしれない。

起業や独立を選択した人が人生のハンドルを握っていることは多い。けれど、会社を辞めないと自分の人生のハンドルを握れないわけではない。

自分と定期的に向き合って、その上で自分の意志で選択を重ねていく。傍観者じゃなくて、実践家として自分の選択にコミットしていく。自分がどんな環境にいようが、その環境の中で、ハンドル握って積極的に仕掛けていくことはできるんだよね。

SNSで他人の人生がうらやましく感じる人は、他人のものさしで自分を見ているのかもしれない。自分のものさしで、自分のやることを選択しなくちゃね。

告知:自由大学「脱藩学」第4期募集開始しました!
家庭の事情(双子の出産前のバタバタ&産まれた後の育児)で、しばらく脱藩学お休みしていましたが、今の環境でもできることはちゃんと向き合って行かなくちゃと再開することにしました。自分の人生のハンドルを握ることについて、参加者で議論し、模索しましょう。


RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/09/27

自分の年齢以外の「未来を想像するものさし」を持つ



「10年後・・・」「2020年・・・」と思い浮かべるときに、自分の年齢を尺度として「ああ○○歳になっているなぁ・・・」と想像していました。

将来を考えるときに、「自分」という目線で未来予想・計画をしていたのです。

子供が生まれてから(まだ生後2ヶ月の双子ですが・・・)、「自分」という目線にプラスして「子供」というものさしを手にしました。

自分の10年後(38歳が48歳)には、劇的な変化がないような(いや、あるかもしれませんがw)気がしますが、子供が0歳だったのが10歳になっていることをイメージすると、リアリティが大きく異なります。

大きな差は、成長すること・変化することが確実に予測でき、できることやチャンスが多くなっているからでしょう。

===
10年後、20年後・・・と未来をイメージするときに、自分の年齢以外のものさしを持っていると見えてくるものが違ってきます。

そして、見えてくるものが違ってくるからこそ、リアリティを持ってその時に向かって何をするのか? どう備えていくのか?を真剣に考えることができます。

「子供の年齢のものさし」は、今の日本に住んでいる人でも、イメージしやすい例だと思います。一方で、今経済が成長している新興国に住んでいる人は、「都市の成長のものさし」を持っているのかもしれません。


そして、2020年の東京オリンピックも昨今の日本で珍しくみんなが確実に予想できる「もう一つのものさし」の一つでした。

真剣に未来のチャンスと向き合うために・・・、大きな変化に備えるために・・・。人間はリアリティをもって想像できないとなかなか動けないものです。

「自分の年齢以外のものさし」は、未来を考えるときに、脳が現実の課題・機会と同じように捉えるための有効なツールなんだろうなぁ。

関連エントリー:浮かれるな。7年後どうなるかは自分たち次第。


RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/09/17

自分を過剰に見せるマーケティングなんて、やめたらいい。


個人にも、企業にも言えることだが、自分や自社の商品を本来の姿よりもよく見せるマーケティングを続けるとおかしくなっていく。

実力よりも高い目標を置いてストレッチすることは、もちろん悪いわけじゃない。向上心を否定するつもりもない。それは努力すること、成長することで期日までにギャップを埋めることが前提になっているから。問題はギャップを放っておいて、そのままでいることだ。

この約束したものと実現できることのギャップがある状態をクライアントや他者を巻き込んでいるのに放置しているといろいろな問題を引き起こすことになる。過剰自己演出からの悪いマーケティングと、言ってしまっていいと思う。

自分を過剰に演出して売り込んだのはいいが、内容が伴わないため、お客さんにも、売り込んだ営業担当にも、要件が満たせないことがわかっている現場の担当者も・・・まわりまわって焼き畑営業経営でヤキがまわってしまう経営者にも、ツケが回ってくる・・・。

多くの人が「働き方」で悩んでいる原因の一つが、この過剰に自分たちや商品を演出してしまうマーケティングからスタートしているように思えてなりません。

本来のマーケティングは、自分たちの提供している価値によって、喜んでもらえるお客さんを出会わせるためのものであったはず。しかし、いつのまにか過剰演出マーケティングで、受注することがやめられなくなる。。。


===================

多くの人が感じている「丁寧に暮らしたい」「嘘をつかず自分の仕事に誇りを持ちたい」という心理は、上に書いたような“過剰自己演出からの悪いマーケティング”が背景にありそう。

自分も、必要以上に自分をよく見せようとしたりせずに、愚直に仕事に取り組む軸をぶらさないように気を引き締めなくちゃ。

自分が楽しく暮らすことを守りたいからこそ、誰かにしわよせがいくような仕事の仕方はしたくない。

今日の台風が過ぎた後のカラっと気持ちのいい秋晴れの空のような気持ちで暮らしたいからね。

関連エントリー:
楽でも、派手でもなく「丁寧に暮らしたい」




RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/09/08

浮かれるな。7年後どうなるかは自分たち次第。


まだなにも決まってはいない。
レールになんて乗るな。
ここからはなんだってありだ。
着せられた制服も、貼られたレッテルも
だれかの勝手な期待も、邪魔だったら捨てればいい。
なにかになりたい?だったら、きみがなればいいだけ。
遠慮なんかしてる場合じゃない。
動け。ぶつかれ。不可能を乗り越えるほど
きみはもっとうまく、もっと強くなれるはず。
挑み続けるかぎり負けはない。
明日。七日後。七年後。
どんなきみになるかは
今日のきみが決める。

いいメッセージですね。2020年の東京オリンピックが決定し、世の中が浮かれている感じのときにNIKEから届いたこのメッセージ。「浮かれるなよ。7年後どうなるかは自分たち次第だよ」というすごく響く言葉。

東京にオリンピック誘致したからすべてが解決するわけじゃない。一人一人が7年先という未来を考えて、ここから何かを築き上げていくことのほうがずっと大事でしょうね。

こうやって、オリンピック決定のタイミングにあわせて、この絶妙なクリエイティブを準備していたNIKEは凄い!

「オリンピック」という言葉は公式スポンサー以外が広告に使用することができないので、オリンピックとは一切言っていない。読んでいる人のタイミングと、世の中の話題の文脈を使って、自然とすべてが共有されて、その上でNIKEらしい強いメッセージを発信している。

ルールがあるからって、諦めちゃだめだよね。広告自体がルールを諦めずに、挑んできているからなおさらメッセージとシンクロしている。すごく勉強になりました。

関連エントリー:「生き方のスタンス」が違うと友達になれない? 自己責任派と他人依存派の埋められない溝

RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2013/09/04

予算が潤沢でも、「やる気」は売ってもらえない


「お金だけ準備すれば、いいものができるわけじゃない」
よく言われる言葉だけど、価値と価格についてちゃんと認識していない人には、さらっと流れて終わってしまっている言葉のように思います。

Chikirin さんの「定価の世界は消えゆく運命」も、きっとシリーズとして定価ではなく、売り手と買い手のパワーバランスによって価格が変わるこの世の中の仕組みについて、とりあげていくのでしょう。

安く買うために・・・、高く売るために・・・、どちらも交渉力、情報力を得て有利になるように活動を行っています。そういうもんです。

■
僕が書きたかったのは、このプライスについてではなくて、手に入れられる「商品」が変わる場合のほうです。

受注生産商品やサービスだったり、ソフトウェアのような契約時点では形がまだないもののケースです。同じ値段を払ったとしても、できあがる商品の品質にばらつきがあることが前提となっています。

しかしながら、形がない商品やサービスを受けるときには、供給者のやる気を導き出すことで、対価以上の品質を実現できる、ということを忘れてしまっているケースが散見されます。

======

よくあるのは、飲食店などでもウエイターの方や板前さんに、興味や敬意をもって接することで、対価とは関係なく「得をする」ことがありますよね。

それは特別に教えてもらった食の背景の知識だったり、特別に出してもらった一品かもしれません。


自分の仕事で言えば、商品の広告企画のソフトを作るときには、多くのクリエーターさんに集まってもらい、喧喧諤々とやりあいながら、お題を解決するソフトを作っていくときにこの「対価だけでは得られない品質」が実現することがあります。(もちろん予算が厳しいために、現場が嫌々やっているようであればいいものはできませんが・・・)。

大事なのは、面白がって働きたい大人たちに「挑戦したくなる負荷のかかる問題」を出して、「お互いが切磋琢磨したくなるプロフェッショナル」を集め、クライアント側も「一緒に目的に向かって汗をかく担当者」を準備すること。

実は、こっちのほうが潤沢な予算を準備するより難易度は高いかもしれません。しかしうまくいくと、結果は、如実に違います。


共通するのは、対価を払ってサービスを受ける側や発注する側も、一人の人間として相手を尊重して臨むスタンスがないと、本当にいいものは手に入らないということ。

「お金払ったから、いいもの手に入るのが当たり前だ!」という消費者意識を振りかざす人は、結果的に高い対価で価値の低いものしか手に入れられていません。

そう考えると企業側も、予算を補うだけの熱意がある・・・とか、担当者が本当に一生懸命にやっててほっとけない・・・など、こういう人間味あふれる人がもっと大事にされてもいいのかもなぁ。

※昨夜のとある企業の新ラインナップ広告プロジェクトの決起集会。顔合わせから誕生日を祝うサプライズ準備してあったりと、古き良き雰囲気に触れて、ついこのエントリーを書いてしまいました

■関連エントリー





RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村